第7話

エピソード文字数 6,005文字

 ホームに入ってきた山手線の電車が完全に停まるのを、離れた位置から見守る。
 他のお客さんが全員乗車すると、私もドアに向かってこわごわと歩を進めた。視線はずっと足下……そこにあの子の姿はない。
 大丈夫、大丈夫。首から下げたお守り袋をぎゅっと握る。
 無事乗り込むことに成功すると大きく息を吐いて、運よく空いていたシートに、ややだらしないくらいに身を沈めた。二時間ちょっと前はスツールの柔らかさに苛立っていたのを思うとまだ落ち着いているのかも知れない。
 握っていた手を開くと染谷さんから貰った紺色のお守り袋がある。
 中身は普通のお守りのような御札ではなく、ごく小さな紙人形。私が染谷さんに教わった折り方で折り、手足に空けられた穴に私の髪を通して結んである。これが今も守ってくれたんだろうか……。
 私が霊的な攻撃を受けた時に傷を肩代わりしてくれる――「代わり雛」という陰陽道に起源を持つ呪術、らしい。

『相当強力な霊なのは間違いないです。祓うには備えがいるんですが、その間も当然丸屋さんは攻撃されるでしょう。「外側」から攻撃してくる霊から身を守る術はいくつもありますが、この霊はもう丸屋さんに取り憑いて「内側」にいますから。祓ってしまう以外だとこれしか身を守る手段はありません』 

 だからお祓いの準備が済むまで肌身離さず持っているように、と言われた。
 強度のわからないロープで崖からぶら下がっている、そんなイメージだ。
 次の瞬間千切れておかしくないとしても、他に掴むものがない。あまり考えると吐きそうになる。
 そして。
 自分のお腹を見下ろし、心の中で尋ねる――このままじゃあなた消されちゃうんだよ。それでいいの。それとも自分の強さに自信があるの。
 祓うと霊は消滅すると聞いて私は、例えば供養なんかで救済することはできないのかと尋ねた。相川さんはいつかのような、白けた感じの目をして答えた。

『供養なんか何の意味もない。死んだ人間がどこに行くか、何に救われるかなんて誰も知りもしないんだから。生きてる人間が楽になるだけの自己満足』

 私に憑いた霊だけじゃない。あのお寺や神社も、長い年月捧げられてきただろう、子の冥福を祈る親の思いも、全ては無意味だと。「そんな」と思ったけど、やはりまた、あの無数の「死」が頭に浮かぶ。

『その霊にどんな事情があろうと、あなたはこの件では一方的な被害者。身を守るための選択をすればいい』

 見えているはずなのに、彼女は終始冷淡だった。
 多分、正しいのは彼女なんだと思う。私だって殺されるのは絶対嫌だし、そうなった時はまた新たな女性が取り憑かれる可能性も高いんだから。
 けど存在ごと消してしまうというのはあらゆる可能性――天国地獄とか生まれ変わりとか、そんなのがあるのかわからないけど――が消えるということだろう。
 染谷さんの準備期間は私がそれを覚悟する時間でもあって、今の私は全く足りていなかった。

「はいママの負け~」
「え~ズルじゃない?」

 斜め前の席に並んで座った母娘が手遊びをしている。私もやった覚えのある遊びだけど、女の子が唐突に言い出した聞いたこともない追加ルールでその子が勝ってしまった。
 たしかに「ズル」みたいだけど、非難するお母さんは楽しそう。
 また自分のお腹、邪坊の魂が宿っているだろう場所へ視線を戻した。
 この子だって、ああいう風に生きられたかもしれないんだ。

 子供を虐待して死なせるような親がいる。ニュースの情報を見るとあまりに身勝手で幼稚で、鬼畜のようにも見える。
 だけど育児環境や彼ら自身の生育歴について調査書や論文に目を通すたび、自分だったらどうなったんだろうと思う。
 施設の子たちにしてもそうだ。普通の家庭の子より躾がされてなくて、暴力的で嘘を吐くことが多い、「被害者」の無垢で従順なイメージとは真逆の子を見る度に、私に母がいてくれなかったら、母がいい親ではなかったら、どうなっていたかと。
 無条件で安心させてくれる、守ってくれる、愛してくれる人がいなかったら、自分を肯定して前向きに生きることは私にできただろうか。
 自分を愛さなきゃ人を愛せないとよく言うけど、自分を愛するにはまず人に愛してもらわなきゃいけないんじゃないか。
 愛されなかった子、愛される前に命を落とす子がいる。この子は赤ちゃんで、霊になって何百年経ったとしても、人間としては母胎の外さえ知らないのかも知れない。
 一方的に奪われて、親を憎んで殺し続けた果てに消滅させられるなんて、自分は坐したまま神様や染谷さんに全て任せて最悪の結末を待っているなんて、それでいいわけない。
 生まれてきてよかった、存在してよかった――そういう可能性がこの子にだってある。
 この子を消してしまうことなく、私も他の女性も殺されることのない選択肢はないか。

 相川さんはないと言うだろうけど、でも彼女自身、一つの可能性を口にしていた。『生前の恨みの対象を殺して満足する霊もいれば』――いるのだ。そういう霊は。
 恨みの相手を差し出して生贄にしようというんじゃない。いたらすでに殺されているか、そもそも相当昔の人物の可能性が高いと私も思う。
 ただ、他に何かしら満たされることがあれば、殺意が消えてくれることはあり得るんじゃないか。
 この子に何か未練はないのか、この子は何故こんなことをしているのか――そんなのわかりっこないと言われそうだけど、答えに繋がるかも知れない謎がある。
『何故中尾由香里は取り憑かれたのか』だ。
 由香里さんが取り憑かれたのが江戸時代『邪坊』と呼ばれた存在にせよ新たに発生した別な怪異にせよ、彼女である何かしらの理由はあるんじゃないか。そこから探っていって、この子の「意図」にたどり着ける可能性はある。というか、私が何かアプローチできるとしたらそれしかないだろう。
 途中で東京メトロに乗り換え、メモ帳に今後やることを書き出しているうちに北千住に到着した。また恐る恐る降車し、引っ張られると危ないエリア――例えば歩道や階段――から距離を取って歩く……つもりが、いつの間にか早足になっていた。

 帰宅するとまっすぐリビングのPCへ向かった。由香里さんが何をしたのか、何があったのか、詳しく知る必要がある。
 私に辿れる彼女の足跡の一つとして、真っ先に確認したのはSNSアカウントだった。インスタもやっているらしいけど、手初めにツイッター。

中尾由香里 妊活応援宣言 @yukari_happymam妊活/子育て/ママ友/ヨガ/漢方/
子宝祈願妊活に励む全国の女性&ご夫婦を応援&自身も妊活中です。がんばって元気な赤ちゃんを産みましょう。

 アイコンは智也さんとのツーショット。 今は二人とも故人なのを思うと並んだ笑顔が怖く見えてくるけど、ひょっとしたらもっと恐ろしいかも知れないものを、私はここから見つけ出そうとしているのだ。
 ログを保存してあるページを開き、真っ先にチェックしたのは昨年五月半ばから六月中旬のツイートだった。
 染谷さんによればその時期、第一子を亡くしたショックで塞ぎ込んでいた由香里さんは一ヶ月ほど休職し、実家で過ごしていたらしい。由香里さんの第二子妊娠――つまり取り憑かれたこと――がわかったのは七月八日だとかで、何かが起きたとするならこの滞在中が一番怪しいと思う。
 けど、その時期はツイート自体が全くされていないようだった。「生存報告」という投稿があったのは六月二十三日、東京に帰ってから。そんな心境じゃなかったんだろう。やはり家族に伺うしないか。
 今はとりあえず亡くなる直前から妊娠までを遡っていこう……とホーム画面に戻り、気づいたことがあった。
 最新ツイートは亡くなった日の深夜、智也さんの名前で彼女の死を告知するもの。その前、彼女自身による最期のツイートは子育てエッセイ漫画のリツイート、少子化担当大臣の失言についての記事を拡散……その一つ前に、知っている場所の画像を見つけた。

中尾由香里 妊活応援宣言 @yukari_happymam 4月24日
赤ちゃんを授かった感謝と、安産をお願いしに、お寺に行ってきました。

 死の二時間くらい前、あのお寺の境内を撮った写真が添付されている。それがきっかけでなんとなく、メディア欄を遡っていった。
 大きく膨らんだお腹、智也さんが大量に買い込んだというベビー用品、子宝祈願にまつわる他の寺社の写真もあった。雑司が谷の鬼子母神堂、懐かしい水天宮……ただそれらも別に、投稿内容はごく普通に安産を祈るものだった。 ゲン担ぎでお参りする普通の妊婦さん。
 他はレストランやカフェでのご飯の写真、友人の赤ちゃん、動物…………お寺に続いてまた既視感を覚える画像に出会う。

中尾由香里 妊活応援宣言 @yukari_happymam 2018年9月18日
旦那と実家♪ 両親に妊娠を報告&元気な赤ちゃんを産むと約束してきました!

 妊娠後改めて帰省した時のもの、らしい。
 画像は現地の風景なのだろう。黄緑色の田畑の中にポツポツと見える家屋、その奥に広がる濃い緑の野山。いかにも里山という景色だった。
 母の田舎もこんな感じだったなと思うけどそういうことじゃなくて……、野山のずっと向こうに、ぼんやりと霞んで見える山影。これが妙に気になった。 
 でもなんで……ああ、そうか。

「えっちゃん…………恵那ちゃん…………恵那っ!!」

 耳元の大声に心臓が止まるんじゃないかというくらいびっくりした。
 振り向くと母。腰に手を当て、頬を膨らませている。

「ご飯の準備もやんないままパソコン見て……今日当番でしょ」
「ご、ごめん」
「買い物はしてきた?」
「それも、忘れた……」
「んもぉーー」

 途中からは完全にこっちに夢中だったのだ。今だって母の帰宅にも背後の気配にも気づかなかったくらい。
 今から買い物に出ていると遅くなるので、近くのほっともっとで買ってくることになった。
 出かける間際、母に宣言した。

「お母さん……私、…………がんばるね」

 途中で正直に言えないことに気づいてすごく漠然とした宣言になった。
 母は「何をよ」と笑うけど。

「やっぱり今日は外で食べようか。お祝いに」
「え?」

 お祝いって何。私の誕生日がもうすぐだけど、すぐと言ってもまだ二週間ある。

「今のえっちゃん、なんかいい顔してるもの。ここ何日か、なんかげっそりしてる感じに見えたから」

 生命の危機を知らされた直後にいい顔というのも我ながら変な話だ。でも母が言うならそうなんだろう。
 今私が気づいた「手がかり」から果たして謎が解けるのか、解けたとしてそれはこの子を救うことに繋がるのか。根拠のない、都合のいい当て推量だ。  
 けど手術だって成功する保証はなかった。成功しても、その後長期間生き延びられる確率は決して高くなかった。でも手術を受けて今生きている。
 生きていれば何だってできる。そういうつもりでやれば何かできる――母から教わったことで、だからあがこうと思う。

 ただ、時間はそれほどあるわけじゃない。
 染谷さん曰く代わり雛は二メートルも離れれば効果がなくなるということで、ジップロックに入れてお風呂場にも持ち込んだし、寝る時も枕元に置いた。
 朝目覚めると生きていることに安堵して、袋の紐を緩め中身を取り出す。お守りは開けるとご利益がなくなるとか聞くけど、関係ないからむしろ小まめに開けて確認するようにとも言われていた。
 私の髪が複雑な形で絡みついた紙人形、昨日と特に変わらない……最初そう思ったけど、すぐ変化に気づいた。肩にごく小さな裂け目があったのだ。
 一ミリもなさそうな、普通なら勝手に裂けたと思って済ませるようなもの。けど昨晩撮った写真ではたしかにそこに裂け目なんか全くない。
 二日目の晩、立たせた代わり雛に数センチの距離でスマホをセットし長時間撮影を試みた。
 動画を再生すると、一日目にできた裂け目が早回ししてようやくわかるスピードで広がっていた。
 自然な力ではあり得ない。由香里さんを切り裂いた見えない刃を想像する。
 疑って申し訳なかった。効力は本物で、そして有限だ。
 ごくわずかずつ裂けていき、十日目には全体の三分の一くらいまで達していた。
 真っ二つになった時、代わり雛は無力になり私は無防備に攻撃を受けるという。
 その十日目、私に二つの情報がもたらされる。
 一つは、川越レディースクリニックに頼んでいたDNA鑑定の結果。結果は予想通り『親子関係の否定』――私は自分の実子ではない胎児を身ごもったと証明されたけど、加えてわかったことがあった。
 染谷さんにコピーを貰ってきた、由香里さんと胎児のDNA鑑定書を見比べる。それぞれの「子供」の側で、抽出された三つの遺伝子は完全に一致していた。
 九十九パーセント同一人物と言える結果で、つまり「邪坊」そのものかはともかく、由香里さんに宿っていた胎児が私に取り憑いたのは確実ということだ。

「正直……信じられない事態ね」

 鑑定結果を私に見せて、川越先生は言った。初老と言える年齢の人できっと経験豊かなのだろうけど、それでも彼女自身、怯えを隠して私に接しているのがわかった。

「より専門的に調べられる病院で検査を受ければ、何かわかるかも知れないけど……」

 川越先生はその先、私が最終的にどうすべきかという提案はしてくれなかった。
 今の私は妊娠十週前後……代わり雛の限界まで粘っても十二、三週、到底母胎の外では生きられない、帝王切開なんかで取り出せば未熟過ぎる胎児はすぐに死んでしまう。
 中絶でも帝王切開でも、私が生き残ってこの子だけ死んだらどうなるんだろう。
 また私に取り憑くか、それとも周囲の他の女性に――もしかしたら私は難を逃れるのかも知れないけど、少なくとも川越先生はこの病院での処置を頼んでも受けてくれないだろう。
 霊能者でなく邪坊の伝承なんて知る由もなくても、由香里さんと私に尋常じゃない事態が起きていること、私のお腹の子が死んだ時、そばの女性が同様の事態に陥る可能性があることは認めざるを得ないはずだ。
 誰だって死にたくないし、守るものがある……診察デスクの隅には、川越先生の家族らしき写真も飾られていた。私に残った選択肢は殺されるか、この子を消滅させるか、あるいは――。 
 クリニックに来る前、私は連絡を受けていた。私が得た「手がかり」が大きな進展を見せたと知らせるものだった。



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登場人物紹介

丸屋恵那(まるや えな)


大学で幼児教育を専攻する女子大生。

子供を持つことに強い憧れがあるが、過去の白血病治療で自然妊娠は難しい体。

しかし、処女のまま突如として妊娠するところから物語は始まる。

相川愛(あいかわ まな)


恵那のバイト先の児童養護施設へボランティアに訪れる女性。

生まれつきの霊感のために親から虐待を受けた過去があり、基本的に親を嫌っている一方で里親の二人には愛情を抱いており、施設の子供たちにも優しい。

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