逃避行

文字数 3,390文字

 車は舗装されていない山道をひたすら進む。動く際に揺れて、ドアの上に置いた肘が安定感をなくす。肘に伝った揺れは、頬杖をついているせいで私の頬まで伝染していった。
 窓を開けて、私はひたすら風を浴びていた。草木の湿った匂いを感じながら、あの人のことを思い出す。
 一体なんでこんなことを……。
「愛生(アキ)、酔ったの?」
 隣に座る母は、いつものように聞いてくる。
「ううん。まだ」
 犬が窓から顔を覗かせるように、私は窓から顔を出していた。酔った時は必ずそうするし、酔わなくても酔うことを防いで必ずそうしている。父の運転は荒いのだ。
 けれど、今日は酔うためにこんなことをしているわけじゃない。この田園と、山という何もない景色から思い浮かべるあの女のことを、私は考えるためにそうしていた。
「もう着くから」
 父は大きな声で私に聞こえるように言った。
 きっと風で耳を塞いでいるからだろう。私はそれに対して何も返事をしなかった。

「静香(シズカ)ちゃん、綺麗だったわねえ」
「あの子は結婚できないと思ったけど、まさかこんな突然とは……」
 式場の親族待合室にて母と祖母はあの人について話を膨らませていた。それに聞き耳を立てながら、私はその話に入るわけでもなくただスマホを弄っていた。
『あき! 今日ヒマ? あそぼーよ』
 クラスメイトの女からメールが来ていて、私は『ごめん、今日はとこの結婚式で茨城いる』と返す。そうしたら、すぐに返事がやってきて、『茨城って笑』。私は真顔で、『まーじでなんもないよ笑』と送った。女からは『なんかお土産とか買ってきてよ笑』ときていたが、私はそのメッセージを開くことなくスマホを閉じた。
 ちょうどこのタイミングで母が私に声をかける。
「あんた、スマホばっか弄ってないで、静香ちゃんに会ってきなさいよ」
「ええ、ああ……」
「もー。最近そんなはっきりしない態度ばっかりなんだから」
 母は祖母に嫌味ったらしく話した。祖母は、「静香、きっと緊張してるだろうから行ってやってくれないか?」と、言う。
「仲良かっただろう、あんたたち」
 祖母は微笑んだ。
 仲良かったって言われても……。
 私はそれに対し、何も言わずに新婦の控え室へと向かった。

 扉をノックし、「愛生だけど」と自分でもびっくりするくらいのぶっきらぼうな声を出した。
「え、あ、は、入って」
 静香の声は少し慌てていて、変わっていないなと思った。
 部屋へ入ると、ドレッサーの前に純白のドレスを纏った静香がいた。編みおろしのヘアセットは艶のある黒髪によく似合っていて、白いドレスも色白の静香が着ると透明感があった。まるで、神様みたいに宙に浮いていきそうなくらいには。床につく長いドレスが重たそうなことで、ギリギリこの世にいることを保っている気がする。
「来てくれたんだね」
 静香は口角をほんの少しあげて、嬉しそうに言った。
「来たくなかったけどね」
 私はドレッサーの側にあった椅子に腰を下ろし、足を組んだ。せめてもの虚勢だった。
 その私の態度に静香は圧倒されたのか、黙る。暫くして、また口を開いた。
「な、何年振りかな。愛生ちゃんと会えるのは」
「私が高校生の時だから……」と、静香は指を折り、数えている。
「五年ぶりだよ」
 数える静香へ割って入るように、私は言った。
「あ、そうか。そうだね」
 静香は両親の離婚を機に、私の祖母の家へ居候していた。私の祖母と静香の祖母は兄弟で、静香の祖父母はなくなっていることから、私の祖母が受け入れたのである。
 毎年夏に、祖母の家に行かされていた私はそこで静香と出会った。それが私が小学生になったばかりの頃で、静香は中学生になったばかりだった。毎年の夏彼女に会えるのが楽しみだったし、仲良くなったことで冬休みも春休みも彼女の元へ行くようになった。それくらい、私と彼女は仲がよかった。
 その関係が切れたのは、私が小学六年生の時。静香は高校二年生だった。
「ずっと知らない顔するつもり?」
 私は膝の上に置いた右拳を握りつぶす。
 静香は気まずい表情で、俯いた。
「……意味わかんないんだけど。結婚とか」
「私も意味わかんない」
「はぁ? 自分でしたことなのに?」
 静香の肩は震えていた。そうして、レースの手袋にしたしたと水滴が落ちていく。
「何泣いてんの……」
 私は思わず立ち上がり、ドレッサーに置いてあったティッシュを数枚取ると静香に差し出した。静香はそれを受け取り、丁寧にゆっくりと拭き取る。それでも瞳からは涙は溢れていて、そのペースでは到底追いつかないと思った。だから、私はまたティッシュを数枚とる。静香に渡そうとすると、静香は私の手を掴んですがるように言った。
「やっぱ好きだよ、愛生ちゃんのことが」
 私は何も言えなくなり、黙り込んだ。
 意味わかんない!
 じゃあなんでこんなことするの。結婚なんてしなくたって……。
「会いたかったよ、ずっと。でもあの日から愛生ちゃん来てくれないから、私……」
「行ったよ。冬休みに。でも静香の方がいなかったんだよ」
「それは、大学のオープンスクールに行ってて」
「知ってる。わざとでしょ? 私に会わないためにさ」
「違う。ちょうど被ってたの」
 終わりのない論争に、無駄な尽力を費やしていることに気づき、私は言った。
「もういい。どうでもいい。もう静香は結婚するし、私は高校で楽しくやってる。何もどうすることもできないんだよ。いいや。ついでに言うけど、私今いい感じの人いるの。先輩でね、学校で凄く注目を集めてる人なの。私、意外とモテるんだよ。色んな人から告白されてるの」
 だーっと息継ぎをせず、私は静香に言ってやった。言い終わった後、思い出したかのように息をして、少し息を切らしていた。
「……そう。愛生ちゃん、かわいいもんね」
 静香はふいっとそっぽを向くと、またティッシュで目元を拭き始めた。
「被害者ぶってるけど、先に相手作ったの静香だかんね」
「……別に作りたくて作ったわけじゃない。愛生ちゃんがもう来ないから、私、フラれたと思って……」
「はぁ? あれに対して私返事してないし。勝手にフラれた気でいないでよ」
 小学六年生。夏休みの最終日。父の迎えがやってきて、車に乗り込む前に静香は私の手をひいて、近くの神社へ連れて行った。
 前の日に雨が降ったからか、その時も草木が湿った匂いがして。蝉が鳴く声に紛れて、静香は言った。
「私、愛生ちゃんのことが好き」
 それに動揺しているうちに、父が後を追ってやってきて、私は父に導かれるまま車に乗り込んだ。静香はずっと悲しげな顔を浮かべていた。
「告白の返事しようと思って冬休みきたら、静香がいなくて。それでもう終わりってことなんだなって思ったんだよ」
 私は溜息を吐いた。
 私たちはお互いが終わったと思っていて、結局終わっていなかった。それを五年後に知ったところで、もうどうしようもできない。静香の纏う服から、もう後戻りが出来ないことを幾度となく伝えてきていて、見るだけで腹が立つ。視界に入れたくない。
 私は立ち上がり、口角をあげて言った。
「じゃあ、もう私行くね。おめでとう。静香はいいお嫁さんになれるよ、旦那さんと楽しくね」
 静香は私を見上げながら、悔しそうに口にした。
「なに、その言葉。思ってないくせに」
 正論であったから、何か言い返したくなった。けれど、もう相手するだけ無駄だと思い、部屋を出ようとする。その際に静香に手を握られた。
「ねえ、連れ出してよ」
「はぁ?」
「ドラマでよくあるやつ、やって」
 静香の瞳はきらきらと輝いていて、私は静香にときめいていた気持ちを思い出した。というか、いつだって静香のことを忘れたことはなかった。誰に告白されたって、神社で告白をしてきた静香に勝るものはいなかった。
 次は私の番か。あの日神社へ連れ出した静香のように、私が連れ出す番だ。
 私は静香の腕を手に取ると、そのまま部屋を出た。式場の人たちが私たちを見て、何か声をかけようとする間に走り去った。
 走る間に、静香はぼそりと言った。
「私ね、結婚式だったら愛生ちゃん来てくれるかと思って、結婚したの」
「作戦成功だね」
 静香の腕は細く、軽い。けれど、私の腕を掴む、静香の力は強く、その愛の重さを示していた。
                                           完
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