どうして人間になりたいの?

文字数 6,259文字

「どうして人間になりたいの?」

いつものように野良犬は人形に尋ねる。

ここは古い物置小屋。

散歩をしていた野良犬が、たまたま小屋の中に人形があるのを見つけた。野良犬は興味を引かれて小屋の中に入った。
人形は頭を大きく下げた状態で立っていて、顔は見えなかった。棚にハンガーのようなものがかかっていて、そこから紐が伸びて人形につながっていた。野良犬はじっと人形を見つめる。小屋の中はホコリだらけなのに、人形だけは何か別世界にでもいるかのように全くホコリを被っていなかった。派手な赤い服と青いズボンを着ていた。野良犬はなぜだかとても人形が気になった。人形が纏う奇妙な雰囲気に惹かれた。

じっと黙って人形を見つめること数分、そろそろ小屋を出ようとした次の瞬間。

人形が急に頭を起こした。

野良犬は驚愕し、飛び上がった。そして、その勢いのまますぐに小屋を飛び出した。野良犬は必死に走り続けた。次第に疲れて走れなくなった。でも小屋からはずいぶん遠くまで来た。
「あれは何だったんだろう?人形だと思ってたのに」
野良犬はあれこれと考えを巡らせる。
「そうだ。ロボットなんじゃないかな?何かの拍子に電源がついたんだ。それで動き出した。そうだ、そうに違いない」
納得のいく仮説ができて安心した。怖れる必要はないと思えた。でも、だからこそ確かめたくなった。野良犬は再び小屋へ向かってとぼとぼと歩き始めた。
しばらく歩いて小屋の近くまで辿り着いた。遠くから小屋の中の様子を眺める。人形は初めて見た時と同じく下を向いていた。
「よし、確かめてやるぞ」
野良犬は意を決して小屋の中へ入っていった。
まずは小屋の入り口付近で吠えてみた。でも反応がなかった。もう少しだけ近づいて、もう一度吠えてみた。また反応がなかった。
「気のせいだったのかな?」
「気のせいじゃないよ」
「え?」
人形に繋がれた糸がみるみる張力を得てピンと張られていく。そしてその力は人形に伝わり、人形の顔を起こした。野良犬はその様子を驚愕の眼差しで見つめていた。
顔をあげた人形はまるで生命を宿しているかのような活き活きとした眼で野良犬を見つめて言った。
「こんにちは、はじめまして、さっきは驚かせてごめんね」
野良犬はポカンとした表情で人形をただただ見つめていた。
「おーい、聞いてるかい?」
人形は右手を上げて振った。その様子を見て野良犬はハッと我に返った。
「どういうこと?君は何?ロボットなの?」
野良犬は人形に尋ねた。
「はは、僕はただの人形だよ。見ての通り糸で操られて動く人形さ」
「でも、君は糸無しで動いてるじゃないか?それに話しもしてる、どういうこと?」
人形は笑って言った。
「僕にもわからないんだ。ずっと糸無しで動けるようになりたいと願ってた。ずっと誰かと話したいと願ってた。そしたら、いつの間にか動けるようになったし話せるようになったんだ」
「そんなの信じられないよ」
「僕だってそうさ。でも本当のことなんだ。僕にもこれ以上のことは分からないよ」
野良犬はまじまじと人形を見つめる。
「やめてよ、そんなに見ないでよ、恥ずかしいからさ」
「ああ、ごめん。でも、すごく不思議でさ。見たことないよ、君みたいな人形」
「そりゃそうだろうね。ところで君は誰?どこで飼われてるの?」
「飼われてる?馬鹿にしないでよ。僕は人間なんかに飼われてない。自由なのさ」
「え?じゃあ、どうやって生きてるの?ご飯は?寝床は?」
野良犬は胸を張って答える。
「自分でなんとかするのさ。僕は強いからね。ご飯は人間や他の犬や猫から奪う。寝床もこういう人間が使ってない小屋に忍び込んで寝る。この街には僕の寝床がたくさんあるよ」
「じゃあ、君も今日からここで寝る?ここの主はめったに来ないよ」
「いや、いいよ。ここは君の場所だから。それにここは少し危ないよ。人間に見つかりやすいからね」
「そうなんだ」
人形は残念そうに視線を下げた。
「でもまた来るよ。君に会いに来る。君ともっと話したいからね」
「本当に?約束だよ」
「うん」


それから野良犬は度々、人形のいる小屋にやってきては話をするようになった。


ある日のこと。
野良犬は小屋に来て人形と話していた。
「せっかく自由に動けるのに、どうしてずっとこの小屋の中にいるの?外に出ようよ」
「無理だよ。僕はこの糸が届く範囲でしか動けないんだ」
「そうなんだ」
「あ〜あ、人間になりたいな」
「人間になりたいの?」
「そうさ。人間になれば糸なんかいらない。自由さ。どこへでも行けるし、なんでもできる。人間は自由だよ」
野良犬は下を向いて何も返事しなかった。
「どうしたの?」
「え?なんでもないよ」
「そう?」
「そうだよ。じゃあさ、犬になるのはどう?犬も自由だよ」
「駄目だよ。僕は人形だもの。人の形をしてるでしょ?犬にはなれないよ」
「そうかな、残念だ。犬の暮らしは最高だよ」
「そうなの?どんなところがいい?」
「う〜んとね、とにかく自由さ。一日中好きなことをしていられるよ。人間は働かないといけないけど、僕たちは違う。食べ物と寝床さえ確保できれば後は自由さ。ずっと日向ぼっこしていてもいいし、浜辺に行って海を見るのもいい。川に行って泳ぐのも楽しいよ。あと山の上に行って星を見たりね」
「うわ〜、すごく楽しそう」
人形はしみじみと答えた。
「ね?犬の方がいいよ、絶対に。犬になろうよ」
「ははは、そうだね。そんな気がしてきたな」
「ね?そうでしょ」
「でもやっぱり無理だよ。僕は人の形をした人形だもの。人間以外にはなれないよ」
「そうかな?」
「うん。残念だけどね」
「そうか〜」
野良犬は少しがっかりして下を向いた。


また別の日。
野良犬はまた小屋にやってきて、人形と話をしていた。
「この小屋の人間はどんな感じ?今まで一回も見たことないよ」
「う〜ん、昔はよく来てたんだけど、今は小屋にはほとんど来ないんだ」
「どうしてさ」
「もうおじいちゃんになっちゃって、仕事があまり出来なくなったからじゃないかな?この小屋には農具がたくさんあるけど、最近は全然使われてないんだ」
「そうなんだ。それは好都合だね」
「好都合?」
「そうさ。人間に見つかる危険が少ないからね」
「大丈夫だよ。ご主人は優しい人だから、君を見つけても何もしないよ」
「あり得ないね、人間なんだからさ」
「本当だよ、本当に優しい人なんだ」
「分かったよ、分かった。君のご主人は優しい人だ」
野良犬は明らかに不機嫌そうに言った。
「君は人間が嫌いなの?」
野良犬はそっぽを向いて何も答えなかった。
沈黙が続く。
そして野良犬は言った。
「今日は帰るよ」
人形は引き止めるように言った。
「どうして?怒ってるの?」
野良犬は何も答えず、小屋を出ていった。


また別の日。
その日は雨がしとしと降っていた。
「君が動けるようになった日のことは覚えてるの?」
「もちろん、覚えてるよ」
「どんな感じだったの?」
人形は少し困ったように言った。
「う〜ん、話したいんだけどさ。でも他人には言っちゃいけないって言われてるんだ」
「僕は犬さ、人間なんかじゃないよ」
「あ、それもそうだね。じゃあ、いいのかな?」
「教えてよ。何があったの?」
人形は少し考えてから話し始めた。
「魔女のおばあちゃんが来たんだ」
「魔女?」
「そう、魔女のおばあちゃんが来て、僕の願いを叶えてくれたんだ」
「どうして魔女だって思うの?」
「だって僕に魔法をかけてくれたんだ。そのおかげで今こうやって動けるんだ。魔法使いのおばあちゃんなんだよ」
「信じられないよ」
「僕だってそうさ。最初は人形に話しかける変な人だって思った。けど人形の僕が思ってることを理解できるんだ。僕が動けるようになりたいって思ってることを理解してくれたんだ。話せるようになりたいって思ってることを分かってくれた。普通の人には絶対に無理だよ」
野良犬は黙って話を聞いていた。
「おばあちゃんが指を振ったらね、糸に魔法の力が宿って僕は動けるようになったんだ。それで話せるようにもなった」
「その後はどうしたの?何か言われた?」
「他の人に見つからないようにって。あと、このことを誰にも話さないようにって言われたんだ」
「どうして君の願いが分かったのかな?」
「おばあちゃんにはモノの声が聞こえるんだって。それで僕の声が一番大きく聞こえたんだって。だからこの小屋に来てくれたそうだよ」
「へえ、すごいや」
「この魔法の糸の力の源は、僕の希望の力なんだって。僕が人間になりたいって思ってること、その願いの力なんだって言ってた」
「じゃあ、もっと強く願えばもっと強い魔法になるのかな?」
「そうだと思う。だから僕はずっとずっと本当の人間になれるように願い続けているんだ」
「そうなんだね」
野良犬は少し残念そうに答えた。
「願いが叶うといいね」
野良犬は人形に笑いかけた。
「ありがとう。絶対に叶えてみせるよ」



また別の日。
人形が野良犬に尋ねた。
「ねえ、君は生まれたときから野良犬だったの?お母さんは?」
野良犬はすぐには答えなかった。
そんな野良犬を見て、人形は慌てて言った。
「ごめん、話したくないこともあるよね。今のは忘れて、ごめんね」
「お母さんのことは覚えてないよ。小さい頃に離れ離れにされたからさ」
野良犬が話し始めた。
「でも本当にうっすらとだけは覚えてる。泣いていたことだけは覚えてる。行かないで、行かないでって何度もお母さんに叫んだことだけは覚えてる」
野良犬はそれっきり黙ってしまった。
人形もそれ以上何も尋ねることができなかった。
しばらくして、野良犬が言った。
「しばらく人間に飼われてた。でも鎖に繋がれた生活が嫌でさ、逃げ出してやったってわけさ」
そう言って人形に笑いかけた。
「そうだったんだ」
人形は振り絞るように言った。
「ごめんね、こんなことを聞いて」
「ははは、僕の方こそごめんね。つまらなかったよね?別の話をしようよ」
「うん」






また別の日。
野良犬が人形に話しかけた。
「ねえ、一緒に山の上へ星を見に行こう」
「無理だよ。前にも言ったでしょ?僕は糸に繋がれてるから、この小屋から外には出られないよ」
「大丈夫だよ。そんな糸、僕が噛み切ってあげるよ」
「駄目だよ。この糸がないと僕は動けないんだ。僕は人形だもの。人間みたいに自由に動けないよ」
「じゃあ、僕がながいなが〜い糸を探してきてあげる。そしたらここを出られるよ」
「無理だよ。そんなに長い糸なんてないよ」
「あるよ、きっとある。待ってて。すぐに持ってくるから」
そう言うと野良犬は勢いよく小屋を出ていった。
人形は心配そうに野良犬の後ろ姿を見つめていた。

2日経って、野良犬が小屋に戻ってきた。野良犬は口にタコ糸を咥えていた。
人形が尋ねた。
「どうしたの、それ?どうやって手に入れたの?」
「公園で人間の子供が凧揚げをして遊んでたんだ。そいつらから奪ってやった」
野良犬は人形の前にタコ糸を置いて、人形に笑いかけた。
「さあ、これを使おう。これを使えばもっと遠くまで行けるよ」
「子供から奪ったって?子供を襲ったの?」
「別に大したことしてないよ。軽く脅かしてやっただけさ。なかなかタコ糸を離さなかったから、噛みついてやったけどね」
野良犬は誇らしげに語りかける。
「どうして?どうしてそんなことしたの?」
人形は動揺して野良犬に言った。
「子供を襲うなんて、そんなのひどいよ。やっちゃ駄目なことだよ。分かるでしょ?」
野良犬は人形の様子に驚いてすぐに答える。
「大丈夫だよ。軽く噛んだだけさ。大したことないよ」
「そういう問題じゃないよ」
「気にしすぎだよ。僕は野良犬だよ。野良犬が危ないのは人間も分かってることさ。そんなことより、さあ、これで一緒に星を見に行こう、山の上へ。一緒に見に行こう。キレイなんだ。本当にキレイなんだ」
野良犬はキラキラとした眼で人形に語りかける。でも人形は困惑した表情を浮かべたまま、何も答えない。そんな人形を見て野良犬が言いった。
「人間のことなんか気にしなくてもいいよ。あいつらだって同じくらい、いや、もっとひどいことをするんだよ」
「それでも駄目なものは駄目だよ」
「分かったよ、悪かった。僕が悪かった。今度はもうしないよ。ね?だから早く一緒に星を見に行こう」
「どうしてそんなに星が好きなの?」
野良犬は少し考えてから話し始めた。
「子供の頃の話さ。山の中を歩いてたんだ。どこかもさっぱりわからないところ。人間の車で連れてこられた。それで車から降ろされてさ。人間たちは僕を置いてそのまま帰って行った。真っ暗な山の中を独りで歩いてた。月も出てないし灯りもない本当に真っ暗さ。初めてだったんだよ。山の中なんて。怖くて怖くて仕方なかった。でも空を見上げたらさ。いっぱいいっぱい星が輝いてた。キレイでさ。怖いことなんか忘れられた。それからいつも怖かったり、寂しいときは星を見に行くんだ」
野良犬は人形の顔をしっかりと見つめて言った。
「君にも見せたいんだ。友達だから」
「でも人間の物を取るなんて良くないよ」
「いいんだよ。僕は野良犬だ。これまでも奪って生きてきたんだ。これからも奪って生きるんだ」
「そんなこと・・・」
人形が言葉に詰まった次の瞬間、複数の人間が小屋の入口に現れた。野良犬と人形はびっくりして、入口の方を凝視した。人間の男たちが、手に棒や農具を持って怒りの形相で立っていた。野良犬は人間達に唸り声を上げて威嚇した。でも人間たちはそんなものを意に介さなかった。一人の男が野良犬を棒で思い切り殴った。野良犬は悲鳴をあげた。それを皮切りに次から次へと男たちは野良犬を殴った。様々な道具で野良犬を殴った。何度も何度も殴った。人形は目の前で起こっていることを理解できず、ただ呆然と眺めていた。
しばらくして男たちは手を止めた。男の一人が野良犬の奪ったタコ糸を拾った。そして男たちは小屋から出ていった。
後に残ったのは横たわる血まみれの野良犬だけ。
人形はよたよたと力なく野良犬に歩み寄った。
そして野良犬の横に座り込んだ。
人形は血まみれになった野良犬の身体を優しく撫でた。
”ねえ、どうして人間なんかになりたいの?”
野良犬はもはや動いていなかった。でも人形には確かに野良犬の声が聞こえた。
人形は野良犬に言った。
「お医者さんを連れてくるよ、すぐにお医者さんを連れてくる。だから大丈夫。大丈夫だから」
”ねえ、どうして人間なんかになりたいの?”
また野良犬の声が聞こえた。
”ねえ、教えてよ、最後にさ”
人形は答えた。
「暖かくなりたいんだ」
人形は動かなくなった野良犬に語りかけた。
「君を暖めてあげたいんだ」
人形は動かなくなった野良犬に語りかけた。
「君が雨に濡れて、寒さに震えている時にさ、僕の手で暖めてあげたいんだ」
人形は動かなくなった野良犬に語りかけた。
「僕の手じゃ駄目なんだ。人形の手じゃ駄目なんだ。ちっとも暖かくない。人形の手じゃ駄目なんだ。人間の手じゃないと駄目なんだ」
人形は動かなくなった野良犬に語りかけた。
”そうかな?”
確かに聞こえた。
”君の手はとっても暖かいよ”
確かに聞こえた。
「ねえ?他に方法を考えるよ。糸なんてなくても動けるようになってみせるから。外に出られるようになるから。そうしたら一緒に星を見に行こう。ねえ?」






「ねえ?」
















ねぇ?














ねぇ
























ああ、そうだ
そうだった
僕は人形だった
人間なんかじゃない
人形だった
そうだった
ああ
そうだった
そうだよ
いけない
元の場所に戻らないと












人形は立ち上がり、よたよたと歩き始める。
そして壁の前で立ち止まった。

次の瞬間、糸がその張力を失い人形は床に崩れ落ちた。







終わり
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