第1話 指切り

文字数 5,193文字

 公園に入り、ベンチに腰を下ろしたときは他に誰もいなかったが、今ふと顔を起こすと子供達が遊びを始めるところだった。
「鬼ごっこする人、この指と~まれ!」
 小学校高学年ぐらいの女の子が言うと、同学年なのかどうなのか様々な体格の子が集まってくる。中には男子もいたが、遠慮気味で女子の指に触れられないでいる。一緒に遊びたいのは分かるだろという態度に見えた。
 私はベンチから立ち上がった。今のご時世、こうして静かに子供達を見てるだけでも通報されかねない。先に来ていたのに追い出される格好になるのは理不尽な気もするが、まあ仕方がないのだろう。
 それに、私にはまだやるべきことがある。もう少しだけ、駆除をしておきたかった。
「じゃあ、タッチされた人がタッチした人にすぐタッチし返すのはなし。グループを作って罠に掛けるのもなし。逃げていい範囲は公園の中だけ。ただし、木登りは公園内でもだめよ」
 皆を集めた女の子がそんな風にルールを周知するのを背中で聞きながら、私は公園から外へ踏み出した。

「今度は高校生か」
 刑事の吉田は大きく息をついた。身元を示す生徒手帳の顔写真は真面目な表情で、歯すら見せていないのにどことなく微笑んでいるようだった。
「中田志帆子、十七歳になったばかりですね」
 畠山が言った。誕生日を読み取ったようだ。特に感情を露わにするでなし、淡々とした口ぶりだが、額面通りに受け取れない場合が多々あることを吉田は知っている。
「で、今回やられた指は?」
「左手は親指のみ、右手は親指と人差し指を切り取られています」
「そうか」
 この“指切り”殺人鬼、一人目の犠牲者である大学生の男からは親指を二本切断。二人目の主婦からは右手の人差し指一本、三人目の男性会社員からは右手の親指と、左手の親指及び人差し指をそれぞれ切断し、いずれも遺体の近くに放置していた。
「規則性があるのかないのか」
 呟いて首を傾げみたが、これはという仮説は浮かばない。
「指はまだ見付かってない、と。この辺は小動物が出没するそうだから、持って行かれた恐れもあるな」
 遺体発見現場は北関東の雑木林の中。近くの山道を通って車で乗り付け、ガードレール越しに投げ捨てたと推測される。防犯カメラ映像は期待できそうにない。遺体を発見して通報したのは、家電か何かの不法投棄に来た匿名の男性だったというから皮肉なものだ。
「通報者が犯人てことはないんですかね」
 畠山の口から疑問が呈される。
「通報には被害者のスマホを使ったみたいだし、冷静に過ぎる気がします。第三者なら死人のスマホを使おうなんて考えないのでは」
「分からんよ。不法投棄は後ろめたいが遺体を見付けたら通報するだけの神経を持ち合わせているのなら、被害者のスマホを使うくらいの知恵は働くかもしれん。それに、正式な死亡推定時刻が出ない内は断定は避けるが、通報時刻とはかなりずれがありそうじゃないか」

 後に確定した死亡推定時刻(午後四時から午後六時)から、午前一時過ぎに通報してきた男が犯人である可能性は低いとされたが、念のため身元特定の捜査が行われた。いや、正確を期すなら、殺人捜査の過程で通報者の身元が判明したと言わねばならない。
 被害者の制服の袖口に真新しい指紋が残っており、窃盗の前科があった安井省吾のそれと一致した。安井には中田志帆子の件を含む指切り殺人二つにおいて死亡推定時刻にアリバイがあり、正式に殺人犯ではないとの判断が下る。
「興味深いのは安井が中田志帆子の手首を掴んだ理由です」
 捜査会議では証拠や証言を元にした検討が行われていた。吉田の発言が続く。
「安井は被害者のスマホを使おうとして、当然、指紋認証でロックされていると思った。死んだ人間の指をそのまま押し当ててもロックが解除されることはないそうですが、そんな技術的な話なんて知らん安井は、遺体の右手首を取って持ち上げて驚いた。人差し指がないのだから無理もない。慌てふためいた奴はスマホを取り落とし、その拍子に電源が入ったという」
「つまり、元からロックなんてされてなかったと」
「ああ。事実、回収された被害者のスマホは、何のロックも設定されていなかった。だが一方で違う話も出てきています」
 吉田が目配せすると、畠山が立った。代わって話し始める。
「中田志帆子と友達に聞いて見たところ、何人かが答えてくれまして、その子らが言うには被害者はスマホの指紋認証機能を使っていたと」
「ていうことは何か」
 捜査を指揮する大下が吉田と畠山を順に指差した。
「被害者は亡くなる前に、認証機能の設定そのものを変更していたと。ああいうのは他人が簡単にはいじれないようになっていると思うが」
「恐らく、犯人が解除させたんではないでしょうか」
「単純に考えればそうなるが、理由は何が考えられる?」
「あの、言葉足らずでしたか。犯人は恐らく中田志帆子に対して、スマホのロックを解除しろと脅した。命じられた被害者は恐怖のあまり言葉の意味を取り違えて、ロックを解除したばかりか、認証機能の設定も無効にした」
「ああ、そういう意味ね。設定が無効になっていたことはそれで説明が付くとして、では何故、犯人はスマホのロックを解除させたかったのかという話になる」
「犯行に及ぼうとする姿を写真か動画で撮られた犯人が、殺害前にデータを消させたのではないか。そう思い付いたので、調べてもらいましたが空振りでした。画像や動画のデータを削除した形跡はなかったとのことです」
「何だ。行き止まりじゃないの」
「いえ、続きがあります。スマホの操作履歴を調べたところ、死亡推定時刻に被る午後四時半頃に、インターネットのとあるニュースサイトを見ていたことが分かりました」
「それは本人の意思なんだろうか?」
「設定が無効になったあとにそのサイトを閲覧しているので、恐らくは犯人自身が見たか、あるいは強制的に見せられたか……」
「内容は? どんなニュースを見ていたのか分かるのかね」
 つま先や指先に苛立ちを表しつつ、大下は身を乗り出すようにして聞いてきた。
「一ヶ月近く前の芸能ニュースでした。若い歌手に対する口パク疑惑という、ニュースと呼ぶのもどうかと思えるゴシップ記事で」
「何だそれは。殺し殺されようっていう間際に、そんなくだらない記事を読む? 意味が分からない」
 とりあえず現物を見てくださいと言って、吉田は職員に合図を送り、プロジェクターでスクリーンに投影してもらった。
「アーティスト名は入賀留一と言いまして、イリーガルの語呂合わせだそうです。もちろん本名じゃありません。本名は軽部啓太。二十歳になった現在、芸能活動は休養中」
「ん? 休養しているのはあれか、口パク疑惑で何だかんだと誹謗中傷されたからか」
「所属事務所の発表では、十九歳からは学業に集中するため前々から決まっていたことだとなっています。これが表向きの建前なのか否かは、まだ事務所に直に問い合わせていないので分かりませんが」
「アイドルやタレントならまだしも、歌手が学業ってのは妙なタイミングだが、まあいい。中田志帆子との接点はあったのか。熱狂的なファンとか」
「むしろ逆です。口パク疑惑の尻馬に乗って、みんなで叩いていた口のようです。同級生の証言も得ました。――よな?」
 畠山に確認を求める。彼は一度無言で首肯したあと、改めて「はい」と答えた。
「学校でも広言していたようです。というか、友達連中も一緒になって叩いていたみたいです。こちらが入賀の話を持ち出したら、関係ないことまでやいやいうるさくて」
「ふむ。だったら、入賀の熱狂的なファンに恨みを買っていた可能性はあるな。他の被害者とのつながりはともかくとして、調べてみることとしよう。これまでの三人の被害者も、入賀留一を悪く言っていたのかもしれん。各自当たってみてくれ」

「一人目の犠牲者と目される大学生の浦崎東馬ですが、入賀留一との接点はまったく見付かっておりません」
 浦崎を担当する刑事二人組の内、年かさの方が報告した。
 それによると、浦崎は大学に入る少し前辺りから歌手や歌謡曲には興味をなくしており、入賀のことも名前を知っているかどうかという程度らしかった。ただ、歌に興味をなくすきっかけとなった出来事があったという。
「あまたあるグループアイドルの一つに、『アステロイドっす』というのがありまして」
「何だその『っす』は?」
「そこも含めてグループ名なんですよ。句読点と一緒の扱いだとか。十何名からなる若い女ばかりのグループで、浦崎は中学から入れあげていた。が、高校二年の頃にグループ内での揉め事が分裂騒動に発展。嫌気が差してファンをやめたというような経緯があったと、友人達から証言を得ました。以来、芸能人のファンになることはなかったみたいです」
「念のための確認になるが、死の直前に浦崎がそのアンドロイド、じゃない、アステロイドっすの記事を見せられていたなんてことは……?」
「ありません。スマホの直近の履歴は家族との通話や友人とのメッセージのやり取りぐらいでした」
 続いて二人目の犠牲者となった主婦・剣持美奈江を受け持つ刑事らによる報告が始まる。
「すでにこれまでの身元調査で判明していました通り、剣持美奈江はいわゆるイケメンの芸能人を好む傾向があり、少し歳を食った元アイドルなら手当たり次第にファンと称していたところがありました。まず、その対象の中に、入賀留一は入っていないことを確認。まあ、入賀は若すぎて剣持のストライクゾーンを外れており、当然です」
「またも関連なしか」
「ええ。でも全くの収穫なしって訳でもありません。応援している元アイドルが映画やドラマなんかに出演した場合、その相手役の女優を必要以上にけなしていたようです。スマホの履歴を改めて調べた結果、ネットの掲示板やらニュースサイトのコメント欄に相手女優の悪口を山ほど書き込んでました」
「ネットに有名人の悪口を書くのなんて今どき珍しくないが……それは殺される直前のことなのかね」
「直前と言えるのかどうか分かりませんが、一時間あまり前まで書き込んでいたようです。被害者の行動に照らし合わせると、デパートに行った帰り、電車の中でせっせと打ち込んでいたことになりますね」
 入賀留一とは無関係だが、事件そのものと無関係と断定していいのかどうか微妙な線上と言えそうだ。
「三人目の被害者、会社員の光元和孟は入賀留一のファンではありませんし、アンチというのでもなさそうです。強いて言うなら無関心。ただし、関心がないのは入賀に限らず、芸能全般にほとんど興味がなかったようでした。周りの人間の証言によると光元はスポーツ大好き人間で、それもにわかファンになることがしょっちゅうだったと」
「どういう意味だね」
「規模の大きな国際大会で日本代表がちょっとでも活躍すれば、すぐにその競技のファンになるタイプと言えばいいでしょうか。野球、サッカー、体操、陸上、フィギュアスケート、カーリング、フェンシング、アーチェリー、ボクシング、ラグビーといったジャンルを網羅していました。影では節操がないと囁かれることもあったみたいですが、にわかっぷりが原因で他人とトラブルになったという話は出てきませんでしたね。にわかと言っても一度覚えたらなかなか忘れない質だったから、との見方もありました」
「一応、死ぬ前のスマホの履歴について聞こうか」
「ご承知の通り、同僚三名と居酒屋に寄ってましたが、その段階から時折ネットに書き込んでいた形跡がありました。何でも、ゴルフとサッカーとプロ野球と柔道とレスリングそれぞれの女性選手を見た目で比べたら平均値で一番劣るのはどのジャンルかという話題なったとかで」
「くだらないことを酒の肴にしてるんだな」
「で、女子プロ野球の選手についての情報が乏しかったから、光元を含めた四人は各自が検索して、きれいどころを探したと。その最中に、光元はスポーツ新聞系のサイトのコメント欄に、選手を小馬鹿にする書き込みを残していました。酔った勢いもあったのかもしれませんが、丸顔の選手の写真に対して『絶対に柔道か相撲向き!』と声高に叫びながら打ち込んだみたいですよ」
「……」
 大下が静かになった。顎に片手を当て、考え込んでいる。吉田が聞いた。
「何か思い付いたので?」
「あ、いや。こうして見てくると、現代の日本人は暇を見付けては、ネットに有名人の悪口を書き込んでいるのかなと感じたもんでね。共通のターゲットとなった有名人が見当たらないのだから、殺害動機とは関係がないんだろうが、それにしても」

 続く
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