第1話

文字数 2,073文字

 7月の中旬、梅雨のため連日の雨が降る団地住宅に18時の鐘が鳴り響く。雨の日だというのに窓が全て開けられ、雫とともに音が溢れるリビングで家族が夕食をとっていた。
「今日柏原のやつがさ、階段から転げ落ちてさ。病院に搬送されたんだぜ」
「そうか、その子は大丈夫だったのか」
「平気、平気。あいつ頑丈だし、お見舞い行ったら元気そうにしてたし」
「それならいいが…… 」
「お兄の話は中学二年生にもなって、サッカーと男友達のことばっかだよね。いい加減彼女でも作ったら」
「お前こそどうなんだよ、舞。あ、母さんおかわり」
「はいはい」
 父、母、兄、妹の4人家族。元気のいい兄としっかりとした妹、この二人を中心に家は回っている。部屋にかけられたカレンダーには明日 家族で水族館 11時半 駅前集合と書かれていた。
「じゃ、明日も朝練だからもう寝るわ」
「あ、私も明日の準備して早く寝よーっと」
「そうか、明日遅れないようにね。お休み」
「お休みなさい」
 青年は部屋に入りすぐに横になり目を瞑る。瞼に光が灯っていることに安堵し、一息つき眠りについた。

「ピンポーン! 」
「ん? ふぁーあ」 
 アラームの音で目を覚ますと灰色の世界が広がっている。青年は気にせず、あくびをしながら体を伸ばすと軽く身支度をし、ドアを開けた。
「はい」
「宅配便です。ここにサインをお願いします」
「わかりました。どうぞ」
「ありがとうございました」
 荷物を受け取り、自室のベッドの上に座り込み差出人を確認している。
「叔父さんからか」
 開封すると中身は、黒縁の男物の眼鏡に女物の黄色の手袋、熊のぬいぐるみだった。
「ああ、叔父さんが持っていたのか。ずっと探してたのに見つからないわけだ」
 青年は中身をベッドの周りに並べ始めた。ベッドには他にも明らかに青年の私物ではない服や本が乱雑に置かれている。並べ終えると青年は満足げに一息つく。
「これで、あらかた揃ったかな。安心して眠れそうだ」

「くそ! 段取りが悪いんだよ」
 青年は、朝練が長引いてしまい集合時間に遅れそうなため走って向かっている。信号待ちで焦っていると鼻頭に雫が当たり、それを皮切りに地面に叩きつけるように雨が降り注ぐ。本日の降水確率は20%、残念ながら傘を持ってはいなかった。
 遠目に待ち合わせた駅が見えてくると家族は駅前の通りで雨宿りしていた。間に合ったことに安堵していると分厚い雲に光が刺さり雨が止んで行く。すると、青年の横を法定速度を超過した速度で過ぎ去るグレーのプリウスが一台、運転席には頬が赤らんだ老年の男性が見えた。
 ピッポ、ピッポ、ピッポ。
 雨宿りを終えた家族が駅に向かい横断歩道を渡っている。
「戻れ! そこは危ない。くそ、降れ、降れ、降ってくれよ…… 」
 青年が神様に祈るように顔を伏せると、足元の水溜りに波紋が広がる。再び雨が降り出したことを確信した青年が前を向くと家族がいた場所には野次馬が群がり、クラクションの音が鳴り響いていた。
「嘘だろ。父さん、母さん、舞」
 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「うるせえ! 止まれ! 」

「ジィリ…… 」
 不快な痛みとともに目覚めるとひしゃげた100円均一の時計が悲鳴をあげていた。窓が締め切られているため湿度が高くむわっとした室内で青年が頭を抱えている。
「くそ、久々に見たな。うーん。シャワー浴びよ」
 悪夢を見たのか寝汗が多く分泌され、不快感を感じているようだ。シャワーを浴び終えると昨日の晩御飯の残りの野菜炒めと白米を食べる。
「あれから、もう1年も経っているのか」
 青年の家族はあの日、飲酒運転をした非常識な運転手により命を落とした。犯人はすぐに逮捕され現在は刑務所の中だ。警察の事情徴収で
「悪気はなかった。亡くなられた被害者の方々のご冥福をお祈りしている」
などとほざいたことを聞き殺意にかられた。しかし、何か行動に移すことなどできるわけわなくただただ時間だけが過ぎていった。家族のぬくもりを得るために家のものをひっくり返しベッドの周りに集めて寝たりもした。
 事故から2週間、塞ぎ込んだ青年の元に柏原を筆頭に部活仲間たちが家に押しかけてきた。彼らは青年がいなければ大会で勝てないこと、一緒に部活をやりたいことを拙い言葉で真剣に伝えた。いつもふざけてばかりいた彼らの意外な一面に感情を抑えきれなくなった青年は、
「ははは、しょうがないやってやるか」
というと、事故の後一度も流れることなかった涙とともに生きる活力が生まれたようだ。それから大会を戦い抜き三回戦敗退という結果ではあるものの彼らの顔には憂いはなく、すでに未来に思いを馳せていた。
 
 今日は地区大会の決勝、曇りのち雨、降水確率70%。雨に降られることは免れないだろうが青年たちなら戦い抜くことができるだろう。ジャージに着替え、戸締りを終えると仏壇の前で手を合わせる。
「父さん、母さん、舞。絶対勝つから応援してくれよ。いってきます! 」

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