第2話
文字数 1,285文字
玄関先で「いま少し時間ありますか?」と周りを気にするように由佳さんは声をひそめる。つられて周りを見渡すが、誰もいない。家の前に私が乗ってきた訪問車が停まっているだけだ。
木々に積もった雪が風に吹かれ、花びらのように舞っていた。
「私の両親は離婚していて、父が私を連れて祖父母の家に身を寄せました。私が七歳のときです」
由佳さんは、こみ上げる気持ちをおさえるように、一度小さく深呼吸をしてから続ける。
「父はふらっと家を出たまま帰りませんでした。仕事も辞めていてその後ずっと行方知れずです。祖母は一年後に亡くなったので、八歳のときからじいじひとりで私を育ててくれたんです。私にとっては父なんです」
由佳さんの顔が、みるみるうちにゆがむ。舞う粉雪が、髪に頬にふりかかって冷たい。もらい泣きしそうだった。
「じいじが入院を嫌がって、もう楽にさせてくれっていうのも理解しているつもりでした。じいじの気持ちも尊重したい。だから受け入れてきたつもりだったけど、いざとなるとやっぱり無理。まだ生きていてほしいんです」
政好さんの部屋には、六年前に二人でお遍路に行ったときの写真が飾られている。「それ、由佳いい顔してるから」だから選んだのだと話していた。孫娘の「いい顔」が、政好さんの活力だとしたら。
今の状況を、迷惑をかけている、負担をかけている、とは思ってはいないだろうか。その想いが「もう点滴しなくていい」につながってはいないだろうか。
帰りの訪問車の中で思い巡らせる。
「そう思ってそのまま帰ってきたのね」
うーん、と玉木さんは静かなまなざしでこちらを向いた。やけに澄んだ目をしている。それ反則でしょ、っていつも思う。まっすぐの視線に、思わずたじろぐ私を、気にも留めず玉木さんは続ける。
「自分でいえないから相談したわけだよね。由佳さんは。そしてお互いに思いやりがありすぎて、ぶつけられずにいる」
訪問から戻ったステーション。同じ担当看護師として同じ方向を向くために、情報共有は必須だ。訪問看護経験が浅い私は、迷ってばかり。主任であり訪問経験が長い玉木さんとの意見交換は貴重でもある。
政好さんは今、食べようとする意欲が感じられないし、点滴をしてもなかなか体調は戻ってきていない。本当に体もつらくて「もういい」と思っているのかもしれない。まぶたがくぼみ、政好さんらしい心意気や前向きな言葉が聞かれないここ数日。点滴挿入時に「痛いの本当は嫌なんだ」と眉間にシワをよせ、漏らしたのはきっと本音だろう。と、私は政好さんの気持ちを想像してみる。
訪問看護とは、単に病院の看護をそのまま在宅で行うわけではない。ホストとゲストが入れ替わることは大きい。病院は治療の現場として迎え入れる側であり、訪問はその人の生活療養の場へ入っていく側である。
病院では、苦痛が伴う処置なんて山ほどあって、そのつど必要性を説明し納得してもらう。きちんと処置をして早くよくなって退院しましょう、と励ますところかもしれない。そう、病院ならば退院できる状態へともっていくこと。
では、在宅では。
木々に積もった雪が風に吹かれ、花びらのように舞っていた。
「私の両親は離婚していて、父が私を連れて祖父母の家に身を寄せました。私が七歳のときです」
由佳さんは、こみ上げる気持ちをおさえるように、一度小さく深呼吸をしてから続ける。
「父はふらっと家を出たまま帰りませんでした。仕事も辞めていてその後ずっと行方知れずです。祖母は一年後に亡くなったので、八歳のときからじいじひとりで私を育ててくれたんです。私にとっては父なんです」
由佳さんの顔が、みるみるうちにゆがむ。舞う粉雪が、髪に頬にふりかかって冷たい。もらい泣きしそうだった。
「じいじが入院を嫌がって、もう楽にさせてくれっていうのも理解しているつもりでした。じいじの気持ちも尊重したい。だから受け入れてきたつもりだったけど、いざとなるとやっぱり無理。まだ生きていてほしいんです」
政好さんの部屋には、六年前に二人でお遍路に行ったときの写真が飾られている。「それ、由佳いい顔してるから」だから選んだのだと話していた。孫娘の「いい顔」が、政好さんの活力だとしたら。
今の状況を、迷惑をかけている、負担をかけている、とは思ってはいないだろうか。その想いが「もう点滴しなくていい」につながってはいないだろうか。
帰りの訪問車の中で思い巡らせる。
「そう思ってそのまま帰ってきたのね」
うーん、と玉木さんは静かなまなざしでこちらを向いた。やけに澄んだ目をしている。それ反則でしょ、っていつも思う。まっすぐの視線に、思わずたじろぐ私を、気にも留めず玉木さんは続ける。
「自分でいえないから相談したわけだよね。由佳さんは。そしてお互いに思いやりがありすぎて、ぶつけられずにいる」
訪問から戻ったステーション。同じ担当看護師として同じ方向を向くために、情報共有は必須だ。訪問看護経験が浅い私は、迷ってばかり。主任であり訪問経験が長い玉木さんとの意見交換は貴重でもある。
政好さんは今、食べようとする意欲が感じられないし、点滴をしてもなかなか体調は戻ってきていない。本当に体もつらくて「もういい」と思っているのかもしれない。まぶたがくぼみ、政好さんらしい心意気や前向きな言葉が聞かれないここ数日。点滴挿入時に「痛いの本当は嫌なんだ」と眉間にシワをよせ、漏らしたのはきっと本音だろう。と、私は政好さんの気持ちを想像してみる。
訪問看護とは、単に病院の看護をそのまま在宅で行うわけではない。ホストとゲストが入れ替わることは大きい。病院は治療の現場として迎え入れる側であり、訪問はその人の生活療養の場へ入っていく側である。
病院では、苦痛が伴う処置なんて山ほどあって、そのつど必要性を説明し納得してもらう。きちんと処置をして早くよくなって退院しましょう、と励ますところかもしれない。そう、病院ならば退院できる状態へともっていくこと。
では、在宅では。