第2話 愛しい君は一輪の花

文字数 2,385文字

胸を突き抜ける衝撃に見ると、女の胸から銛の先が見えている。

「あら」

胸から出た銛の先と背中に突き出た柄がカラン、ガチャンと音を立てて落ちた。
彼女の身体を包んでいた黒い犬が、ヒュッと1つに固まり大型犬ほどの獣に変貌する。

「見つけたぞ」

フードをかぶったコート姿の女が、階段の上から見下ろしている。
階段を駆け下りながら、バッとコートを翻した。

「人を殺す魔物め!お前は私が取る!!」

腰から鎖がまを取って振り回し、女の首を狙って飛ばす。
犬はその場を動かず、女を庇って飛んできた鎖がまをその鋭い歯で受け止めた。

「無駄だ!魔犬め、貴様の存在は知っている!」

パンパンパン!

弾を犬が受け止めた瞬間、当たった場所がはじけ飛んだ。

「ハハッ!消えろ!」

腰のベルトから杭を取り、ポンと放ると黒い犬に向かって金槌で頭を叩いて飛ばす。
カーンという音が反響し、空気を揺らした。

ひゅうっ!「 ガッ!! 」

黒い犬は大きく口を開けると、瞳を赤く輝かせ、口から衝撃破を飛ばし杭を弾き飛ばした。

「なんの!」

コートの女は、ひるむこと無くナイフを取りだし、犬の首に突き立てる。
だがその瞬間、犬は形を崩し、コートの女の身体に巻き付いた。

「な、何故だ!何故、銀が効かない?!!貴様何者だ!」

「ク、ク、ク、何だ面白く無い。俺を吸血鬼とでも思ったのか?
銀の弾に銀の杭、そして祝福を受けた剣か。
いかにも古典的な武器だ」

コートの女の右の肩口で、ムクムクと犬の顔が盛り上がりカカカカと笑う。
女がその頭をつかむと、形を崩してその手を取られて犬の顔は左肩に出来る。

「クソッ!クソッ!何だお前は?!」

ギリギリと歯を食いしばり、バッグの元に駆け寄りバッと蹴り上げた。
空中でバッグの中身がまき散らされ、中からペットボトルが1本宙を舞う。
女はそれを自由になる手に取ると、キャップを指ではじいてまわし、頭からバシャバシャ自分にかけた。

「馬鹿な、死ぬ気か?人間」

「いいや、お前だけ死ね!祝福を受けた聖油だ!
この火は聖火から更に神の息吹を抽出した尊い火!人は燃やさないはずだ!」

首から提げたボトルを引きちぎり、歯でコルクを抜いて中の小さな火種をこぼす。
その瞬間、浴びた聖油に火が付き、燃え上がった。

「ぐううあああああ、くっそ、なんだ、熱い!熱い!!くそっ!
早く、早く、早くくたばれこの悪魔ーーー!!
ぎゃあああああ!!!」

ゴウゴウと音を立てて燃える身体に、耐えきれず女がその場に倒れてもんどり打つ。
身体に巻き付いた黒い犬は、苦しむ様子もなく目を閉じた。

「ガソリンのどこが聖油だ。人だけ燃やさない火などある物か、燃えてるじゃないか」

「あーーーーあーーー!!!

助けてええええ!!!」

恐怖に負けて叫び始めた女に、黒い犬はため息を付くと彼女の身体を火ごと包んでしまった。
つるりとラバーに覆われたような真っ黒な人型は、最初バタバタしていたがやがて動かなくなる。
空気を遮断して消火しているのか、女もヒュウヒュウ喉を鳴らして窒息していた。

やがて表面の黒いラバーが煙を上げて開き、またフードの女の横で一塊になって犬の姿に戻ると、トトッと自分の女の元へ行く。
女は指をくわえ、フードの女を指さした。

「食べていーい?」

「駄目だ、どんな毒を持っているかわからない。
お前になにかあったら、私はどうすればいいんだ?」

「じゃあ、またエサを探さなきゃね」

「明日はどこに行く?」

「わかんないよ。でも、ね、

また探して、私を探して、私を守って、私だけを見て、私だけを愛して」

「もちろんだ、私の大切な君。愛してるよ」

「私も、あなただけを愛してるわ。
あなただけを待ってる」

女が犬の首にギュッと抱きつき、鼻先にチュッとキスをする。
そして一歩離れて小さく身体を丸めると、やがてそれは何かの球根のような形になった。
それはまるで早送りのように、球根から芽が出て、ゆっくりと葉が出て開き、その中につぼみが顔を出す。
そのつぼみは次第に大きく膨らんでいくと、真っ白な花を咲かせ、女は一輪の花になって、あっという間に枯れ落ちた。

「まだか、まだ駄目か」

黒い犬が残念そうにつぶやく。
枯れた花は一陣の風に吹かれ、その場から消えていった。

「ううう……
くそ、痛い……うう、くそう、お前は、何なんだ!」

髪がチリチリになって、コートがすっかり焼けてしまった女が気がついたらしく、身を起こそうとしてガクリと地に伏せる。
黒い犬が、不満そうに吐きだした。

「お前の銛で、彼女に澱みが出来た。
あの汚い銛の澱みを消すのに、どのくらいかかるかお前にわかるか?
余計に3人は必要だ」

「く、く、くそーっ、うう、痛い、痛い、はあはあはあ、」

ひたひたひた

足音に女が気がつくと、犬が見下ろしている。
じっと見られるうちに、恐怖が沸き起こった。

「あんた、一体何者?」

「そうだな、吸血鬼と悪魔しか知らぬお前にはわからぬ存在よ」

「あたしを……殺すの?あの女、人を食う魔物じゃないの?」

「お前の言う魔物とはなんだ?
私は花を愛でている。
美しい花を……、溺愛せねば枯れてしまう花だ。
人を食らって育つ花だ。
私は自分さえ食わせた。
それほどに貴重で愛おしい花だ。
だが、熟したその実は……

まあ良い、お前に言っても意味は無い。
私はまた、この夜咲く花を探さねばならぬ。
私の愛する私の花よ。
私は探し続けよう、お前の愛が実るまで。

では、さらばだ」

犬は動かない。
女が目を見開いた時、身体の下の地面が裂けた。

「あっ」

女が地面に飲まれて消える。
地面は何ごとも無かったように、裂けたあともない。
黒い犬は星空を見上げ、ふうと獣の口から息を吐いた。

「さて、明日はどこに花を咲かせるものか。
花よ、かぐわしい香りを放て、私の為に」

夜の冷たい風が、あたりを吹き抜ける。

黒く覆われた毛が、風に任せて夜の麦畑のようになびく。
黒い犬は階段を駆け上り、街灯が星のように光る夜の街に溶けるように消えていった。
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