(三)

文字数 2,098文字

 その答えは聞かなくても分かっていた。叶冬はその手をパンッと払いのける。

「やってやる。けどゆきは俺の店にくれ。それは譲れない」
「それはぜひそうして欲しいけどそれはともかく今僕の手叩く必要あったかい?」
「普段の行いが悪いんですよ、八重子さんは」
「んなぁぁにぃぃ!?」

 はいはい、と夏生はドンっと八重子を押しのけた。そのまま『立入禁止』の扉に手を掛ける。

「金魚屋は基本的に店長と副店長、アルバイトもしくは業務委託で構成される。叶冬君が店長なら副店長が必要だ」

 八重子はそっと『立入禁止』の扉を開いた。そこから誰かがちょこっとだけ顔を出している。

「……かな?」
「ゆき!」

 顔を出しているのは雪人だった。叶冬は夏生を突き飛ばし雪人を抱きしめた。
 よかった、生きてるな、とぼろぼろと涙を流している。いつも余裕を見せている叶冬と同一人物とは思えない。
 それでも雪人は安心したように微笑み、けれどどこかおっかなびっくりという風だ。

「……ごめんね。僕のせいで巻き込んじゃった」
「いやぁ、巻き込まれたのはゆきちゃんだよ。かなちゃんが金魚になんてならなけりゃこうはならなかったんだ」
「違います。そもそも八重子さんが叶冬君を追い出したりしなければこうはならなかったんです」
「うぐぅ」

 夏生はすっこんでて下さい、と八重子の首根っこを掴んで後ろにぽいと捨てる。深々と頭を下げ、ごめん、とはっきりとした口調で告げた。

「君たちは完全に八重子さんの被害者だ。こちらもできる限りのことはする」
「……ゆきを元に戻すことはできないのか」
「それはできない。雪人君が金魚屋に来たのはそもそもの寿命だったんだ」
「寿命?」
「病気だったろう? 雪人君は叶冬君に魂を食われたからじゃなくて普通に病死なんだ。金魚になったのも普通にだ。ただその時点で二人の魂が同化していたから生きながらえているだけ」
「じゃあ、今の雪人さんは……」
「かなちゃんの魂を餌にギリギリ生きてるんだあね。本来はとっくに弔われて終わっているのさ!」
「な、何ですかそれ。かなの魂を餌にってどういうことですか」
「言い方が悪いですよ、八重子さん。餌じゃないよ。二人で一つの魂を使ってるって意味。一度混ざった魂は分離しないからね」

 夏生はうちの店長がすみません、とまた頭を下げた。
 けれど普通ならば言いにくいことも八重子があっけらかんときっぱり言ってくれるのは分かりやすく、かつ良い意味で真剣みが無い。
 重々しく語れば陰鬱となったかもしれないけれど、そうはならずに夏生がうまく切り替え話を進めてくれているのは有難く感じた。

「つまり混乱したのは八重子さんのせいだけど、だから今生きているということでもあるんだよ」

 あの金魚鉢が無ければ叶冬はここまで来ることは無かっただろう。
 けれどあの金魚鉢があったからここまで来ることができた。それこそ魂のあるべき形を逸脱して。

「なら迷うことは無い。俺はゆきと金魚屋をやる」
「いいだろう。では入社の手続きをしておいてあげるよ。さてでは」

 八重子はちろんと秋葉を見た。
 にや~っと怪しげな笑みを浮かべ、すすすっとすり寄ってくる。

「アキちゃんはどうする~ぅ?」
「お、俺?」
「選択肢は二つ! 今度こそ金魚屋のことを忘れるか、君も金魚屋になるかだぁ!」
「補足すると、忘れるのは金魚屋のことだけ。でも叶冬君も金魚屋になるから叶冬君のことも忘れるよ。もし金魚屋になっても業務委託。叶冬君と同じ時を生きるかは君次第」
「……質問いいですか? 途中で業務委託を終了した場合はどうなるんですか?」
「本ッ当に賢いねアキちゃんは」
「契約終了した時点で記憶が消える。金魚屋のことを忘れるよ」
「契約期間は? 何年契約ですか?」
「本ッッ当に賢いね。可愛くない」
「一年契約で自動更新。破棄する時は金魚の通り道を棄てればいい。秋葉君の場合はスマホだね」

 八重子は秋葉のスマートフォンをひらひらと揺らして見せる。

「さあ、選択だ。金魚屋をやるかい? それとも忘れるかい?」

 八重子はにたりと笑っている。
 秋葉はその手からスマートフォンを引っ手繰った。それは金魚屋になるという意思表示――

「やりません」
「んえぇ!?」
「金魚屋の業務委託はやりません。ただし」

 スマートフォンは契約書であり、それを持つというのは金魚屋をやるという意思表示だ。
 けれど秋葉はスマートフォンを八重子には渡さず、自分の店長に手渡した。

「あなたのアルバイトとして雇って下さい。店長」
「アキちゃん」

 なにぃぃ、と八重子が地団駄を踏んで暴れている。夏生はケタケタと声を上げて笑っていた。
 けれどそれは無視して、秋葉は叶冬にスマートフォンを無理矢理握らせる。

「……駄目だよ。何があるか分からないんだ」
「でも店長は俺がいた方がいいと思いますよ。店長と雪人さんは魂を共有してるんですよね。なら店長が無茶したら雪人さんを死なせてしまう可能性があります」
「そ、それはそうだけど、でも」
「店長の代わりに動く手足がいたほうがいいですよ。ね」

 にっこりと微笑んで迫ると、叶冬はうう、と反論せずに唸っている。
 代わりに返事をしたのは八重子だ。
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