第2話 トショイインチョウ呪われる

文字数 2,278文字

 無数の札さんお出迎え。お腹に意味不明な文字並べ、背中に真っ赤な血を背負い、プラプラと足揺らす。
「呪われるだけだから大丈夫だよ」
 久住は気休めにもならない言葉を口にした。無論トショイインチョウは聞いてない。
「いや、いやそんな1枚目でハズレを引くわけがない」
「そもそもハズレが何枚あるか分かんないんだから引く可能性あるよ」
 いちいち冷静な久住の発言がトショイインチョウを苦しめていた。
「おかしい。おかしい。見間違いだ。寝ぼけてたから見間違えたのさ」
 彼はさっきまで風に揺れていた札を引き剝がした。乱暴に引っ張ったせいで、札の上の部分は壁に張り付いたまま取り残された。
「赤いなあ。ああ」
 小さな札を大事そうに両手で持っていた。口は半開きで狂う一歩手前だ。
 私の隣で森本はガタガタと震えていた。何か口に出しているようだが、それが言葉なのか聞き取れない。
「ああっ。なんでだよ。こんなのおかしいだろ。こんなに真面目に生きて、人には親切にして、強いられた男らしさを文句も言わず順守して、事切れるまで殴れば済むことを分かりながら、その手段を選ばないで、そうやって生きてきたのに」
 トショイインチョウは錯乱状態にも関わらず、後半の発言が明らかに溜まっている人から出る言葉で、それが怖さを助長させていた。私は口を開けながらダンスをするタイプのダンサーが好きだが、口を開けながら発狂する人はどうにも苦手だった。
「落ち着いてよ。急にどうしたの。別に死ぬわけじゃないんだから」
 久住はトショイインチョウを落ち着かせるために声をかけたのだろうが、それは全くの逆効果だった。
「オンナノオマエニ、ナニガワカル?」
 なんて言った? 
 私は言葉を大事にしすぎた。
 だから、トショイインチョウが振り上げた腕が久住に振り落とされるという現実を直視していなかった。ただ、聞こえてきた音の不快感と左腕が少し軽くなったことしか感じられなかった。
 咄嗟に飛び出した森本に久住は突き飛ばされた。代わりにトショイインチョウの拳は森本の顎近くに直撃して、そのままバランスを崩した森本は転んだ。
 久住の目は闘争本能剥き出しの色をしていた。それが倒れた森本を映して、徐々に和らいでいくのが見えた。
「人殴るために、空手、やってたんじゃないでしょ」
 久住を庇った森本は鼻血を出していた。鼻血って言えばしりとりでは勝てるなどと考えていた私はおそらく不謹慎だろう。
 どうやら森本が見ていた景色を解説するならば、久住もトショイインチョウに対して攻撃をしかけようとしていたらしい。トショイインチョウが我を忘れて、自分を殴りかかろうとしたことを察知した久住は、攻撃は最大の防御と言わんばかりに手を出そうとした。それを森本は自らの体を張って阻止するべく動いた。ほぼ芸人である。
「泣いてる誰かを笑わせるために空手やってるんでしょ」
「ちょ、言わないでよ、恥ずかしい」
 あまりにも意味が分からなかったが、私は場面に合わせて感動しておいた。
 止まりそうにないトショイインチョウは、久住と森本の方へ接近していく。もうそれは人間の形をしていなかった。ただ私のことは視界に入っていないのが不幸中の幸いだった。私は壁に向かって走った。非常に足は遅いがそれでもよかった。1枚の札を壁から引き剥がすと、それをトショイインチョウの顔面に張り付けた。
 そうしたら、トショイインチョウに殴り飛ばされた。ゴムボールみたいに飛ばされる私。
 札に動きを止める効果はなかった。当たり前のことだった。少し考えればわかることだった。浅慮がすぎた。バカも休み休み言った方が良さそうだった。自分を責めすぎた。
 ふと松島を想った。松島なら私が殴られそうなとき森本のように助けてくれるのかな。そうだね、松島は多分身を挺して庇ったりはしない。その代わり私を殴った人がいなくなったら、その人のことを口汚く罵るだろう。この世のありとあらゆる罵詈雑言を並べて個展を開くだろう。そうやって勝手な妄想を広げるだけで、それも松島なら全部許してくれそうで幸せだった。
 私の脳内だけスローになってもトショイインチョウは平常運転で時を扱っていた。トショイインチョウの狙いが私に変わったのを理解した。
「トショイインチョウ、貴方の札の裏赤くないよ。赤に近いピンクだよ」
 久住が掲げた右手にはトショイインチョウが剥がした上部の欠けた札があった。久住の言う通り、よく見ると真っ赤ではなかった。森本の鼻血と比べるとその赤の薄さが一目瞭然だ。
「ピンク? コイピンク?」
 トショイインチョウは泡を吹いて倒れた。最後にほっとした顔が見れて良かった。人が倒れているのでそんな感傷に浸っている場合ではないのだが。
「この変貌が呪いだったってこと?」
「さあ」
「違うと思う」
 私は確信を持って断言した。私のことを根拠なき自信があるタイプの女のように見る二人にトショイインチョウを見るように促した。うつ伏せで倒れる大男をひっくり返して仰向けにした。彼の頬に貼った札の裏側は真っ赤っかだ。
 二人は少し警戒したようだった。でも、私は正常で意識もはっきりしている。
 トショイインチョウは裏が赤い札を引いたら呪われると強く意識しすぎていた。札による効果ではなく、その確固たる意識が、彼を呪いへと引きずり込んだのだと思う。
「さっきまでの彼はノーシーボが生み出した魔物といったところだね」
 二人は曖昧な返事で受け答えた。間違いなく知ったかぶりした二人の態度が伝わってしまい、こちらも気を遣った。
 一難去った。また一難とはいかせないぜ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み