第37話 安倍弥琴という男2

文字数 1,560文字

 ハルは走りながら考えました。そして向かった先は、英彦山です。
英彦山の長くて凸凹した階段を数段越しに飛び越えて、烏天狗の寺へと足を早めました。辺りは日暮れ前ということもあって薄暗く、足元がよく見えません。それでもハルは勢いを止めず、力いっぱい登りました。
 階段を登り終わると、烏天狗の寺の門前にたどり着きました。

「うわぁ!」
「どうした松千代!」
「お、大きな犬が!」
「え?うわぁ!」
「どうした竹千代!」
「し、尻尾が沢山!」
「え?うわぁ!」
「松千代、梅千代、竹千代!どうしたのだ!」
「ば、化け犬が!」
「なに!……ん?もしやハル殿?」

門前で遊んでいた小天狗達は、突然現れたハルに驚いて思わず持っている木の枝を構えました。『怪しい奴め!』と言わんばかりの構えでした。そこへ、与彦が小天狗の声を聞いて駆けつけました。
息を切らしたハルは小さく頭を垂れて挨拶をしました。

「皆様のお力を借りたいのです」
「いったいどうしたのだ?」
「それは……、豊前坊様にお会いしとうございます」
「何か大変な事があったのだな?さぁこちらへ」

ハルは与彦に案内されました。中に入る際、ハルはふわりと宙返りしていつもの人の姿になり、また小天狗を驚かせました。

「本当だ、ハル様だ」
「松千代、犬と狐の区別もつかぬのか?まだまだだな」
「お前もな、竹千代」
「そういうお前もだ、梅千代」
「くっ、松千代に言われるとは……」

小天狗はまた木の枝を持って遊び始めました。

 本堂へ案内されたハル。豊前坊が一番奥に座って、その隣には夜彦が立っていました。

「豊前坊様、白狐のハル殿がお見えになりました」
「む?ハルとな?」

ハルは豊前坊の前に置いてある座布団の横に正座をしました。

「このようなお時間に押しかけてしまい、申し訳ございません。急な事態ゆえ、お許しください」
「遠いところをよく来たのぉ。どうしたのじゃ?」

ハルは少し深呼吸をして言いました。

「ご主人が、屋敷からいなくなりました」
「なんと!何があったのじゃ?」
「わかりません。ですがおそらくは、連れ去られたと思われます。履き物は屋敷にありましたので」

豊前坊は驚いて、持っていた団扇を落としました。豊前坊の隣にいた夜彦がその団扇を拾って豊前坊に手渡しました。ハルはゆっくりと瞬きをし、床に両手をついて頭を伏せました。

「豊前坊様、お力をお貸しくださいませ」

豊前坊は与彦、夜彦と顔を見合わせました。そして、ハルに言いました。

「ハルや、顔を上げるのじゃ」

ゆっくりと顔を上げたハルの顔は、青ざめていました。

「いつも世話になっておるのじゃ。力ならいくらでも貸す。心配なさるな」
「豊前坊様、ありがとうございます」
「与彦」
「はっ!」
「夜彦」
「はっ!」
「若衆を連れてアキを無事に連れてくるのじゃ。烏天狗の力、存分に発揮するのじゃ?よいな?」
「はっ!」
「はっ!」
「ハルや、お主は屋敷に戻るのじゃ」
「それは出来ません!」
「しかし顔色が悪い。この世の不浄の毒に犯されておるのであろう」
「まだ動けます!」
「じゃが……」
「動けます!」
「……」

豊前坊は何かを察したのか、「あいわかった」と言って与彦と夜彦に目配せをしました。与彦と夜彦が手を二回叩くと、与彦達より一回り小さい若衆の烏天狗たちが二十人ほど外からやってきました。

「若衆よ、我らはこれよりアキ殿の捜索に向かう!」
「皆の者、我について参れ!」

若衆は返事をして、与彦達に続いて本堂を出て行きました。

「豊前坊様、ありがとうございます。このお礼は……」
「なぁに、いつもうまい油揚げをもらっておるのでな、これくらいはお安いものじゃ。小天狗どもも、うまいうまいといつも喜んでおる。最近では、油揚げを武器に、戦術を練っておるほどじゃぞ」
「豊前坊様、かたじけのうございます」

ハルは豊前坊に一礼をして本堂を出て行きました。
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