第1話

文字数 2,930文字

 キツネの母さんはお腹が空いていました。その年の春は来るのを忘れてしまったようで、冬のすぐ後に夏が来てしまいました。
 突然やってきた夏のせいで、花は咲くのを忘れ、森の動物たちはみんな暑さにぐったりしています。ネズミもウサギもみんないなくなってしまったので、キツネの母さんの食べ物が何もありません。
 キツネの母さんは困ってしまいました。巣にはお腹を空かせた子どもたちが待っています。子どもたちはもう一週間何も食べていません。
 何か食べるものはないかと森をうろうろ探しまわっていると、キツネの母さんの目の前にウサギが飛び出してきました。
 怪我をしているらしく、ウサギは右の後ろ足を引きずっています。ウサギはキツネの母さんを見ても逃げようとしません。
 丸々と太ったウサギに、キツネの母さんのお腹がぐうとなりました。
 ウサギを襲おうとするキツネの母さんでしたが、お腹が空きすぎて力がはいりません。ぐずぐずしているとウサギに逃げられてしまいます。しかし、何も食べていないので、目の前にいるウサギに爪をたてることすらできないのです。
 せっかくのごちそうなのにと悔しい気持ちでいると、
「キツネの母さん、僕を食べてくれないか」とウサギが言いました。
「見ての通り、僕は怪我をしてしまった。思うように歩けなくてエサの草を探すのも大変だから、もうすぐ死んでしまうだろう。それならいっそキツネの母さんに食べてもらいたいんだ」
 ウサギはびっこを引きずりながらキツネの母さんのすぐ目の前にまでやってきました。
「でも一つだけお願いがある。痛くしないでくれないか」
 ウサギの願いを聞き入れ、キツネの母さんは一息にのどぶえにかみつき、ウサギの息の根をとめてあげました。
 ひさしぶりのごちそうに子キツネたちは大喜びです。キツネの母さんも、子キツネたちもウサギに感謝し、骨まで残さずきれいに食べてあげました。

 クマの母さんはお腹が空いていました。その年の夏は夏であることを忘れたように涼しくて、木々たちは実をつけるのを忘れてしまったのです。森の動物たちはみな飢えていました。もうすぐ寒い冬がやってきます。その前にたくさん食べて栄養をつけておかないとならないのに、森には食べ物がありません。リスもトリもバタバタと死んでいきました。このままではクマの母さんも死んでしまいます。
 クマの母さんのお腹には赤ちゃんがいました。赤ちゃんの分も食べないといけません。でも森には食べるものは何も残っていないのです。
 力なく地面に横たわったクマの母さんの目の前にキツネが飛び出してきました。何日も何も食べていないのでしょう、やせて毛の抜けた年寄りのキツネです。キツネはクマの母さんをみても逃げようとしません。それどころか、クマの母さんのすぐそばまで近よってきて、こう言いました。
「クマの母さん、私を食べてください」
 クマの母さんは悲しそうに首を横に振りました。
「私はキツネを食べないのよ」
 キツネはよろよろと、クマの母さんの大きな手の下に自分の体を入れました。
「クマの母さん、私は知っているの。あなた、お腹に赤ちゃんがいるのよね。何か食べないとあなただけでなく、赤ちゃんも死んでしまうわ。森にはもう食べ物がありません。だから、私を食べてこの冬を乗り切って元気な赤ちゃんを産んでちょうだい」
 それは年老いたキツネの母さんでした。子どもたちも大きく育った今、年をとったキツネの母さんは死に場所を探していたのです。
 赤ちゃんのためにと聞いて、クマの母さんの体に力がみなぎってきました。キツネでも食べて命をつながないといけない。
「でも一つだけお願いがあるの。どうか、残さずきれいに食べてください」
 キツネの母さんの他のみを聞き入れ、クマの母さんは骨まで残さずたいらげました。キツネからもらった命で冬を乗り越え、クマの母さんは次の春にかわいい子グマを二匹産み落としました。

 人間の父さんはお腹が空いていました。その年の冬は秋を追い越してやってきたので、木の実はかちかちに凍りついて食べることができません。森にはもう何も食べるものがありません。おまけに人間の父さんの母さんは重い病気にかかって今にも死んでしまいそうなのです。お腹が空いて悲しくて、人間の父さんは涙をこぼしながら森を歩いていました。
 すると突然、目の前にクマが飛び出してきました。逃げようとする父さんでしたが、お腹が空きすぎて体に力が入りません。へなへなと地面に座り込んでしまった人間の父さんにむかってクマは言いました。
「人間の父さん、私を食べてください。私の肝は人間の病気に効くといわれています。どうか私の肝で、人間の父さんの母さんを助けてあげてください」
 クマはごろんと地面に横になりました。それは年老いたクマの母さんでした。
「でも一つだけお願いがあります。どうか、肝だけでなく、全部きれいに食べてください」
 クマの母さんの願い通り、その肝は人間の父さんの母さんに、あとの肉は父さんと母さん、子どもとで感謝して食べました。食べきれなかった分はたっぷり塩をふって取っておき、人間の父さん一家はその冬をクマの肉を食べて過ごしました。毛皮のおかげで寒い思いもせずにすみました。肝を食べた人間の父さんの母さんはたちまち元気になりました。

 もうすぐであたたかい春がやってくるというある日、人間の父さんの母さんはこっそり家を抜け出しました。むかったのは森の奥でした。
 人間の父さんの母さんは、一本の大きな木の下によっこらしょと体を横たえました。地面はほんのり湿っています。死臭をかぎつけてたちまちウジたちが集まってきました。
 人間の父さんの母さんは死にかけていました。クマの肝のおかげで病気は治りましたが、寿命が尽きようとしています。人間の父さんの母さんは集まってきたウジたちにこう言いました。
「私が死んだら、残らずきれいに食べておくれ。そしていい土に返しておくれ」
 ウジたちは頼まれた通り、人間の父さんの母さんの体を食べ尽くし、土に返しました。
 やがて春になり、人間の父さんの母さんだった土を栄養にして大きな木は青々とした葉を茂らせました。木の根元にも立派な草が生えています。青々としげる草を食べることができてウサギは大喜びです。あたたかい日の光をうけて木にはたくさんの花が咲きました。花の蜜を吸うチョウやハチは蜜を集めるのに忙しく働いています。
 秋になると木は実をつけはじめました。夏の間にたくさんの太陽の光を浴びた実はおいしそうです。森には食べ物があふれていました。これからやってくる冬にむけて、リスはせっせと木の実を集めています。
 人間の父さんも、人間の母さんと子どもとみんなで協力して木の実を集めていました。その木は、人間の父さんの母さんが土に返った場所の木でした。人間の父さんの母さんだった栄養たっぷりの土で育った木の実のおかげで、人間の父さん一家はこの冬を無地に乗り越え、春には新しい家族を迎え入れることができるでしょう。人間の母さんのお腹には新しい命が宿っているのでした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み