第35話 遺伝子と高いフェンス
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それが一見男女の関係とかけ離れた鉄道模型でもやっておるところに、どこかフシギな気がするのだ。
そしてワタクシがそういうのが辛いのも、ワタクシの遺伝子の弱さがあるのかも知れぬ。
それを評価する人は稀なのだ。
そして弱い遺伝子を淘汰するのが自然界の習い、とするものも多い。
弱者への配慮をいうものはいるが少数派。
ほとんどは弱いものなど自己責任、淘汰されて当然、配慮など施しレベルなのだ。
その程度の世の中で、まともな道理が通るなどとは到底思えぬ。あるのは自然界の掟のみ。弱いものは邪魔だから同じ種でもいびって殺せ、という世界なり。
なぜなら、あれ、長いマンガだったが、やったことは単に殺人犯を蹴飛ばして溜飲を下げるものなのだ。
あとは襲われた側の描写ばかり。殺人犯は後腐れなく蹴飛ばせる「敵」でしかない。
そしてあの漫画はその脆弱性よりも、被害者の視点から一方的に描き、犯人を蹴飛ばすことで溜飲を下げているのだ。
あんなやつは蹴飛ばされて当然、と。
となればフェンスの外に追い出された側も憎悪を募らせてますます無敵な人になるのだ。
そういう分断では解決どころかさらに残忍な事件を生んでしまうのだ。
そもそも、彼は創作の本義とはかけ離れたことをしておった。ワタクシは創作をするものとして、その段階から彼を考えてしまうのだ。
そもそも、パクられたらなんだというのだ。
しかし、なんでもすぐパクリだ、と安易に問題だと指摘するのもどうかと思う。
ああいうことをすることは、作品への愛であろうか。
んなわけがないのだ。彼は自分の生活の逆転生活の道具として作品を書き、それができぬからと憤って反抗に及んだのであろう。
作品そのものなど愛してはおらぬのだ。