本能寺
文字数 463文字
四五六たちは、信長軍ではなく、秀吉の配下にいた。そのため、秀吉とともに中国攻めに出兵。秀吉軍の快進撃を支えていた。
信長も京にいくことが多くなり、その日もいつも通り本能寺に泊っていた。6月2日の変が備中の秀吉に伝わったのが4日未明。本体はいまだ交戦中のため、甲冑をつけない身軽な四五六、二三、十一たち精鋭だけがただちに京へ向かった。梅雨でぬかるんでいたため馬ではなく、山中を走った。9日には京に戻り、信長配下の寺院で食料や火薬の調達を行い、12日には本体より先に戻った鉄包隊と合流。秀吉軍と戦闘に入っていた。
四五六たちは、取って返し山崎の戦いに参戦。津田隊の奇襲に加わった。
「獣が来た!」
十一の鉄包と二三の刀を見た雑兵たちはいち早く逃げ出した。残った連中も四五六の前ではその気迫におされなす術がなかった。
農民にとって手と足は何より大事だった。目や耳は片方失っても、不便ではあったが農作業にさほど不自由はない。しかし、手足がなくなれば、隠居か居候しかない。
その後、秀吉とともに京に入るが、直後姿を消した。
信長も京にいくことが多くなり、その日もいつも通り本能寺に泊っていた。6月2日の変が備中の秀吉に伝わったのが4日未明。本体はいまだ交戦中のため、甲冑をつけない身軽な四五六、二三、十一たち精鋭だけがただちに京へ向かった。梅雨でぬかるんでいたため馬ではなく、山中を走った。9日には京に戻り、信長配下の寺院で食料や火薬の調達を行い、12日には本体より先に戻った鉄包隊と合流。秀吉軍と戦闘に入っていた。
四五六たちは、取って返し山崎の戦いに参戦。津田隊の奇襲に加わった。
「獣が来た!」
十一の鉄包と二三の刀を見た雑兵たちはいち早く逃げ出した。残った連中も四五六の前ではその気迫におされなす術がなかった。
農民にとって手と足は何より大事だった。目や耳は片方失っても、不便ではあったが農作業にさほど不自由はない。しかし、手足がなくなれば、隠居か居候しかない。
その後、秀吉とともに京に入るが、直後姿を消した。