『幽霊と人間の糸』(短編小説/おきらく著)
文字数 959文字
小夜嵐も絶えたころ。ある民家の、古びた縁側に天涯孤独 はぽつねんと。
彼女の肌は、血をすべて吐瀉したかのよう、白く透けていた。その双眸にアスファルトに咲くたんぽぽらしい生命のちからはない。相も変わらず幽霊だな、と少女を訪ねた男は遠慮のない感想を遣った。「あら、幽霊って。失礼しちゃうわ」とさして憤慨していないさまで、少女は紫煙をくゆらせた。
「煙草なんぞ、子どもが吸うもんじゃないぞ。だいたいどうやって手に入れた」
「先輩に、ね。それにだれも見てないし、いいでしょ」
「俺が見ている」
「貴方はたいした存在じゃないでしょ?」
男は口角を下げた。被っていた帽をくいと指でさげて、目もとを見えなくする。動揺を、少女に見られたくなかった。さいごまで、少女の前では「飄々とした、かっこういい男」でありたかった。
「今日は私におわかれを言いにきたのね。たいしたことない幽霊さん」
「なんで」
問うので、精いっぱいだった。
「だって、ここの町の言い伝えじゃない。死者は毎年、じぶんの命日から一週間は、地上に舞いもどることができるって」
あたりを漂流する煙 の色は、なんとも渋かった。渋さは直に、夜寒 へとまぎれた。
「一年前、貴方がゆくえ不明って聞いて、直感したわ。あのひと死んだのね、と」
「……そうか」
感情がこぼれでそうになって、必死にこらえた結果の三文字だった。少女は煙草を灰皿に置いて、莞然 とした。
「また来年、会いにきてちょうだい。『お父さん』」
少女に、こう呼ばれたのはひさしぶりだった。父として認められたのは、ひさしぶりだった。目の奥に熱さを感じて、帽をますます深くかぶる。
「泣きそうなのをこらえちゃって。かっこうよく見られたい、意地っぱりさん」
「うるさい。俺はせかいで一番、飄々とした男だぞ」
「へぇ、そう」
ふたりをつなぐのは今、沈黙という心地よい糸だった。ちから強い、けれど見えはしない糸だった。すこし紫煙の匂いがついているかもしれない。
どこかで、ふくろうが、鳴く。
――じゃあ。
――えぇ、またね。
男は少女に背を向ける。少女は男を追いかけず、ただ生命のちからのない目で、背を見つめる。ふたりの夜は、ひとりとひとりの闇となった。
(了)
彼女の肌は、血をすべて吐瀉したかのよう、白く透けていた。その双眸にアスファルトに咲くたんぽぽらしい生命のちからはない。相も変わらず幽霊だな、と少女を訪ねた男は遠慮のない感想を遣った。「あら、幽霊って。失礼しちゃうわ」とさして憤慨していないさまで、少女は紫煙をくゆらせた。
「煙草なんぞ、子どもが吸うもんじゃないぞ。だいたいどうやって手に入れた」
「先輩に、ね。それにだれも見てないし、いいでしょ」
「俺が見ている」
「貴方はたいした存在じゃないでしょ?」
男は口角を下げた。被っていた帽をくいと指でさげて、目もとを見えなくする。動揺を、少女に見られたくなかった。さいごまで、少女の前では「飄々とした、かっこういい男」でありたかった。
「今日は私におわかれを言いにきたのね。たいしたことない幽霊さん」
「なんで」
問うので、精いっぱいだった。
「だって、ここの町の言い伝えじゃない。死者は毎年、じぶんの命日から一週間は、地上に舞いもどることができるって」
あたりを漂流する
「一年前、貴方がゆくえ不明って聞いて、直感したわ。あのひと死んだのね、と」
「……そうか」
感情がこぼれでそうになって、必死にこらえた結果の三文字だった。少女は煙草を灰皿に置いて、
「また来年、会いにきてちょうだい。『お父さん』」
少女に、こう呼ばれたのはひさしぶりだった。父として認められたのは、ひさしぶりだった。目の奥に熱さを感じて、帽をますます深くかぶる。
「泣きそうなのをこらえちゃって。かっこうよく見られたい、意地っぱりさん」
「うるさい。俺はせかいで一番、飄々とした男だぞ」
「へぇ、そう」
ふたりをつなぐのは今、沈黙という心地よい糸だった。ちから強い、けれど見えはしない糸だった。すこし紫煙の匂いがついているかもしれない。
どこかで、ふくろうが、鳴く。
――じゃあ。
――えぇ、またね。
男は少女に背を向ける。少女は男を追いかけず、ただ生命のちからのない目で、背を見つめる。ふたりの夜は、ひとりとひとりの闇となった。
(了)