舞い上がっては、許せないように

文字数 3,065文字

 ダイレクトボックスに繋いだベースがチョッパーで弦を弾く。
 三点セットのドラムとスラップベースがシンクロし、そこに僕のカッティングギターが重なる。
 コンデンサーマイクに向かって僕はがなる。
 がなる。われる。だれる。
 僕が叫ぶ歌にならない歌は世界の終末を紡ぐ。
 音響の〈返し〉から、ミックスされた音の粒が跳ね返ってくるのを受け止めながら、僕らは演奏する。

 観客席にいるひとたちは、他のバンド目当てのひとたちだ。
 僕らを白けた目で見ている。
 上等だ。最高のグルーヴを奏でてやろう。

 ドラムスティックが最後の曲に入るカウントをカチカチ打ち、間髪置かずにスネアに振り落とされる。
 キックとスラップのベース音が同時に衝撃となって、おなかに響き、曲が始まる。
 僕はリフをピックで弾く。左手はうねるように動く。
 観客席にざわめき。
 ラストの一曲でやっと客席が湧いた。
「……僕らの勝ちだ」
 ぼそっと呟く。舞台上の三人だけが共有した僕のその言葉で、このスリーピースバンドは勢いづく。
 嵐の夜の川の濁流のようなサウンド・オブ・ウォールが形成され、動いて、弾け飛ぶ。

 拍手。拍手。「いいぞ」という声。
 僕らは舞台のそでに消える。

 国分寺モルガナ。今日の対バンをプレイした箱の名だ。
 控室でトリのバンドに挨拶すると、僕はギターをしまって、シャツを脱いでタオルで身体を拭く。


 ドリンクチケットで換えたハイネケンをラッパ飲みして、僕はトリのバンドを聴く。
 客の多くは飛び跳ねている。
「こいつらを観に来たオーディエンスだしな」
 悔しさが入り乱れて、脳内が音で揺さぶられるようだ。
 でも、悪くない。


 捌けたパー券のお金をもらって、三人でわけて、僕らはしれっとした態度でバラバラに帰宅する。
 明日もバイトが終わったらスタジオだ。顔を突き合わすことが多い僕らは、特に一緒に行動なんてしない。
 今日が過ぎて、明日が来るだけだ。

 その日々は永遠のように僕には思えて。
 この時は確かに、世界はハードボイルドに満ちていた。



         **********



 次の日。ベースの亀井が女性をひとり、スタジオに連れてきた。
「亀井。練習にオンナを連れてくるなよ」
「いいじゃん。神栖に会いたいっていうから連れてきたんだ」
 亀井が僕にそう言った。
 僕に会いたいから連れてきた?
 ドラムの田川が、
「あはは。お持ち帰りとかすんなよー」
 と、笑う。
 僕もぎこちなく笑む。
「亀井。おまえ、どこで知り合ったの、この娘と」
「同じ大学で」
「ふーん」
 興味ないそぶりで、僕はピックを握った。
 そして、楽器のセッティングが黙々と始まる。

 マーシャルの真空管アンプがあたたまるまで、僕は手持ち無沙汰になったと自分に言い訳して、この女性と対話を試みる。
 彼女は俯いて、なにも言わない。僕が口を開くしかない。
「こんにちは」
「うふ。もう夜ですよ?」
 そう言って顔を上げる彼女は、自分の名を名乗る。
「井坂って言います」
「井坂さん、ねぇ。大学生なの」
「卒論を、地下バンドで書こうと思ってて」
「あー、なるほど」
「神栖さんのバンド、良いと思います! 昨日もライブ、観てたんですよ」
「そうなんだ」
「でも、声をかけづらくて」
「確かに、そうだよね。怖いイメージ、あるらしいからな、僕らは」
 田川と亀井が笑う。
「演奏、聴きに来たんだろ? しゃべるより、プレイ観たほうがいいんじゃない?」
 僕が精一杯格好つけてそう言うと、井坂さんは頷いた。
 よし。それじゃ、プレイ開始だ。
「次のライブの曲、通しで行こう。二十分ジャストで決めるぜ」
「三十分じゃないんですか」
「井坂さん。入りと捌けの時間合わせると、僕らは二十分くらいの演奏でちょうどいい。MCもあるし」

 カウントが入る。
 僕と亀井はジャンプし、田川のシンバルと同時に着地し、ギターとベースの弦に、それぞれ振動を与える。
 演奏が始まる。


〈通し〉が終わると、僕らは井坂さんに感想を聴く。
「良かったですよぉ。月並みな意見かもしれませんが」
「月並み、ね」
 それでも嬉しいんだ。特に僕は。僕には、バンドしかないから。
 このバンドがもしも解散してしまったら、僕は「絶対に許さない」と、思うのだろうか。
 それとも、「ありがとう」と、言えるのだろうか。
 その後の人生を、胸を張って生きることができるのだろうか。


 スタジオの帰りは、早朝だった。始発の時間に合わせて帰路につくことになる。
 深夜パックで、スタジオを借りていたのだ。
 スタジオのある吉祥寺から、井の頭線で浜田山へと向かう。
 田川と亀井は吉祥寺に部屋があるので、さっさと帰った。
 井坂さんは、僕についてきて、井の頭線に乗った。



          **********



 空席でガラガラの電車に揺られながら、井坂さんは僕に尋ねる。
「わたし、ウェブ小説を書いているんですよ」
「へぇ。どんなの書くの」
「ボーイズら……」
「はいはい」
「わたしも女の子ですからね。そういうの、書いたりします」
「なるほどね。男はあんまりその手の物語は書かないよね」
「そうですね」
 二人でくすくすと笑う。
「今度、ウェブ小説で、『あなただけは絶対に許せない』っていうお題で書け、っていう企画があるんですよ」
「ふーん」
「神栖さんはなにか、絶対に許せないひとって、いますか」
「そりゃいるよ。たくさん」
「たくさん、ですか?」
「うん」
「その中でも一番許せないひとって、いますか」
「特に、一番の奴ってのは、いないなぁ。人生において、等しく最悪だった奴らがいて、そいつらのせいで、僕は不満を音楽にぶつけているのかも」
「ねぇ、神栖さん」
 横の席に座っていた井坂さんが、グイっと僕の方に顔を近づけてきた。
「等しく最悪なんじゃなく、最低最悪のナンバーワンにしてくれませんか、わたしを、神栖さんの」
「意味がわからな……んんっ」
 井坂さんのくちびるで、僕のくちびるがふさがれる。
 井坂さんの舌が、僕のくちびるをこじ開ける。
 中で絡まりあう舌と舌。井坂さんは感覚に集中するように瞳を閉じて舌を僕の口腔内で転がしている。
 僕も目を閉じた。

 三駅ほど過ぎたあたりで、井坂さんはくちびるを離し、キスを終える。
 井坂さんは、舌なめずりしてから、くちびるに自分の右手の人差し指をあて、僕にもう一度、念を押すように言った。
「最低最悪のナンバーワンにしてくれませんか、わたしを、神栖さんの」
 今度は僕が尋ねる番だった。
「どういうこと? どういう意味?」
「ファンの獲得とか、バンドとか、どうでもいいと思いませんか。サークルクラッシャーになりますよ、わたし」
「バンドを、壊すってこと?」
「はい。わたし、あなたを絶対に許さない。だから、神栖さんも、わたしを絶対に許さないって思うようになってください。そうなるまで、くっついていきます」
 僕はため息を吐く。
「こういうこと、何回もしてるわけ?」
「さぁ? どうでしょうね」
「僕は井坂さん、きみを絶対に許さない」
「わたしも、神栖さんを、絶対に、一生、許しません」

 電車は揺れる。
 ガラガラの電車の揺れ方で、人生の意味がすこしだけ、わかったような気が、僕はした。



〈了〉
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