第79話

文字数 2,846文字


源三郎江戸日記79

源三郎が玄海屋によると、七衛門が東回りの航路を開くため、明日から函館に行ってきます、その為千石船1隻を増やしました、函館を基点にし商いをやります、この男は富蔵と言、
って函館を任せる番頭です、松前に家族がおりアイヌの長も知りあいだそうですと言うので、適任じあのうと言うと、富蔵と言います、宜しくお願いしますと挨拶すると、七衛門が、

アイヌとは米、味噌、醤油、酒、を鮭、筋子と交換し、地元の漁師からはカンの子、昆布、蟹、さんま、ホッケ等の海産物を買って江戸まで運びます、函館の出店でも米、味噌、醤油、
酒、お菓子、古着を売ります、そうすればアイヌからも銭で買い上げ店で銭を使う事が出来て、物々交換ではなく貨幣に寄る商いになり、便利になります、北の海はシケが多いので、
千石船の底に重しを固定すれば、

起き上がり小法師みたいに船が大きく傾いても元にもどります、今までは積荷が無いときに船倉に石をつんで均等をたもつようにしていたのてすが、重石を固定した方が復元力が増す、
ので、すこし積荷の量が減りますが、安全を優先して固定にする事にしました、又暴風雨に会ったときは転覆しないように帆柱を切り倒すのですが、今回は帆柱を3つに切り、鉄の、
ワッカで切った上下を挟み、

この鉄の棒がねじになっており回せば筒が閉まり固定されます、暴風雨の時はこれを緩めて3段目の上下を離し、滑車で吊り下げて下に降ろし、次は2段目1段目と3本にして甲板に固定、
します、こうすれば暴風雨がおさまった時に、又帆をはり通常に航行できますと言うので、なる程七衛門良い工夫じあなと言うと、源三郎様に褒めていただくと嬉しいですと喜んだの、
です、

富蔵蝦夷は何月から凍るのだと聞くと、4月に雪が溶けて11月に雪が降り始めます、5月から10月が夏で11月から4月が冬と言う事ですと言うので、紙に箱を書き一番上に氷をいれて、
したには3段の引き出しを作り、いずれも後ろの方は上から下まで吹き通しとする、箱は外側に空気の溝をつけて二重にする、これを作るのじあ、この中に塩漬けしない海産物を入れ、
れば氷が冷やしてくれるの腐る事はない、

又したの箱に氷を砕き海産物と一緒にいれれば容易には溶けず鮮度を保てる、この大きな箱を船に積み江戸まで運ぶわけだと言うと、なるほどこれなら蝦夷と同じ物が江戸で食べられ、
ますが、5月から10月には氷は蝦夷でもありませんと言うので、函館に大きな建てやを作り、周りは同じく溝を作り二重にする、そしてそこには冬に切り出した氷を保管しておくのだよ、
氷だけなので夏でも中は冬と同じ温度になり氷は溶けないだろう、

ミソは周りに空気の層をつくり囲むこの溝じあ、このお陰で外の熱が中には伝わらないし、中の冷たい空気は外に出ずに低温が保たれる、夏に氷があれば江戸にもってくれば高値で売、
れるぞ、氷をのこぎりで切るとみぞれが出来るだろう、それに蜂蜜をかけて夏に食すれば涼しくて美味いし、その箱の中でスイカを冷やせば井戸で冷やしより冷えるので美味く感じる、
だろう、

元はタダだぞというと、富蔵がすご~いと驚いたのです、七衛門がこれで大儲けです、源三郎様の知恵には驚きますと言うので、考えればいくらでもあるだろうと笑ったのです、後は、
冬の為に南蛮では暖炉と言うものが、寒いところに住んでいる家にはあるそうだ、粘土を四角くして瓦みたいに焼いて作るのじあ、これを粘土を接着剤として積み上げて作るのだそう、
だ、

屋根の外まで積み上げて煙が外に出るようにして、そこが空気の取り入れ口にもなるわけだ、部屋の中におきなかまどがあるのじあよ、そうすれば冬もすごし易くなるだろう、瓦屋と、
相談するがよいと言ったのです、秋になり老中格筆頭になった、柳沢は下屋敷に造営していた庭園が完成して六義園となずけ、将軍綱吉にお披露目したのです、広大な広さで秋には、
池の周りの紅葉が色づき、

素晴らしい景観の庭園だったのです、綱吉は紅葉をみながら酒肴にふけり喜んでいたのです、綱吉が柳沢に巷の噂によれば余はすこぶる評判が悪いそうじあなあと言うと、民は勝手な、
者なのです、安穏して暮らせるのも上様の治世のお陰なのですというと、さつこん武士の品位が落ち、盗賊如きのふるまいをする旗本も増えておるのは明白じあ、又江戸は急激に人が、
増え、

捨て子なども多く見かけ、野犬も増えて子供や老人が襲われる事も度々あるそうじあなと言うので、町方で監視しているのですが、いまや町は隅田川の向こう岸にも広がり、奉行所、
では手におえくなって来ておりますというので、世の乱れを正す為に世が直々に触れを出そう、まずは捨て子禁止の触れじあ、それと野犬は収容する施設を作りそこに入れるのじあ、
と言うので、

上様じきじきのお触れではあまりにも恐れ多く、役人共が意味を勘違いして無用の罰を与えたりする恐れがあります、まずは若年寄に案を練らせ、老中共が詮議して上様が裁可なさ、
れる方法でないと無用の混乱を招きますると言うと、それでは手ぬるい、この乱れた世を正すには余が先頭を切らねば、今回みたいな片手落ちの裁可をする事になるであろうと言う、
ので、

柳沢はそれ以上諌める事は出来なくなってしまったのです、翌日綱吉は直接祐筆役に子を捨てるべからず、又見つけたものは町名主に即座に届けこれを保護すべし、野犬は保護し、
保護施設にて養うべしと言う触書を書かせて柳沢に手渡したのです、将軍直々のお達しである無視するわけにもいかず、老中に回覧して意見を求めたところ、土屋正信が上様直々、
の触書となれば、

武家諸法度のごとく、破れば厳罰に処せれねばならず、多くの罪人を作る事になりかえって世のみだれとなる、上様に町奉行所のお達しとするようにお願いすべきであると言うと、
稲葉がその様な事を受け入れられるわけはないでしょう、このまま高札を掲げて触書を出すべきである、中身はいずれも世の為になる事ではないですかと言ったのです、

色々の意見を聞いたのですが、綱吉の怒りを恐れてそのまま出したほうが良いと言う意見が多数となり、稲葉が老中格筆頭の柳沢殿に一任しょうではないかと言ったのです、柳沢、
はこれを聞いて、稲葉の奴、総ての責任をわしに押し付ける気だなと言って、綱吉に何と言う触れにしたら良いでしょうかと聞くと、そうだな生きている者を大事にしろと言う事、
であるから、

生類哀れみの令とでもすれば良いだろうと言うので、生類憐みの令として、そのまま奉行に渡して高札を掲げるように言うと、上様直々の触れなれば、守らない場合はどうします、
かと聞くので、それは奉行所の判断で決めればよかろうと言ったのです、しかし、奉行所では前例のない将軍直々の触れである、筆頭与力は上様直々の命ならば、背くものは厳罰、
にしなければならん言ったのです、
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