天ぷら鍋の中できつね色になったコロッケをひっくり返しながら、アルさんが神妙な面持ちで言い出した。
何だ、藪から棒に。俺はビニール手袋についたパン粉を払いながら、
うーん、ちょっと真面目? な話なのでねー、後での方が都合いいんですよー。
時間ありますか?
それじゃあ、また後で話しましょう。
……よーし、第一陣が揚がりましたよ。いい感じのきつね色!
ロカ、盛り付けをお願いします。そしてフレディ、みんなを呼んできてくれますか?
まず、リビングでゲームをしている二人、狼人間ルドルフとキョンシーのジェンに声をかける。
ルドルフのモフッとした頭に手を乗せると、彼は心底面倒くさそうな顔をして言った。
等一下! ちょっと待って! もう一回!
なあ~んか、何度やってもルドルフに勝てないんだヨ~……!
ジェンは細い眼を更に細めてしょんぼりしていた。
俺はジェンの肩にポンと手を乗せて、
ハイハイ、いつものやつね。
どーせ誰もルドルフには勝てねえから諦めろって……
やれやれ……まあ、ジェンはルドルフに任せればいいかな。
第二陣、第三陣のコロッケが揚がるまでに他の二人を呼んで来なくちゃ。
二人を置いてリビングを突っ切り玄関を通りがかると、浴衣姿の女の子、みずはの姿があった。
何やら虫かごの中の土をいじっている。
呆気にとられる俺を無視して、みずははかぶとむしの幼虫に語りかける。
イワレヒコよ……おまえは王になるのだ……王になるのだぞ……甲虫王じゃ、むしむしきんぐになるのじゃぞ……
今、彼女はいまだかつて見たことがないほど真剣な目をしていた。
……みずはー、
……みーちゃーん。
もうすぐお昼だからねー、ちゃんとお手々洗ってくるんだよー。……
返事はない。相変わらずイワレヒコに何やら語りかけている。
まあ、しっかり者のみずはのことだから大丈夫だろう、多分。
長い廊下を抜け、階段を上る。
ここに暮らすようになってからだいぶ経つし、いい加減慣れたけど、……やっぱりバカでかい屋敷だな、と思う。
七人で暮らしていて、まだ空き部屋がいくつもあると来た。もともと宿だっただけのことはある。
一階は基本的に住人全員の共用スペース。そして二階が一人一人の部屋になっている。
紅葉ちゃんの部屋は階段のすぐそばだ。
コンコンとドアを叩くが、返事はない。
おかしいな……と思いつつ、そっとドアノブを回してみる。
紅葉ちゃん、そろそろ昼飯だけどー……
って、何このにおい! 墨汁!?
そう、ドアを開けた途端に墨のにおいが鼻をついたのだ。
頬やら鼻っ面やらを黒くして、紅葉ちゃんはヘラヘラ笑って言った。
うん。墨のにおい。
通信講座で水墨画のテキスト取り寄せてさ~、いろいろ描こうと思ってたんだけど、
なぁ~んかすごい勢いで墨ぶちまけちゃって~
と、ヒラヒラと振って見せた手も墨にまみれて真っ黒である。
着ている作務衣もだいたい墨にやられてしまっていた。
あーもう、先に風呂入ったほうがいいぐらいじゃん……すっごい真っ黒
うん、そうしな。
その服はざっと下洗いしてから洗濯カゴに入れておいて。あとで洗っとくから
紅葉ちゃんはまたしても墨の手をヒラヒラ振りながら、ペタペタと足音を鳴らして階段を駆け下りていった。
廊下から階段に向かって、ペタペタペタと墨の足跡。叫んだところで時すでに遅し。紅葉ちゃんは既に階段を駆け下りて行ってしまった。それも、足の裏にべっとりと墨をつけたまま。
ため息と苦笑いが同時に出る。まあ、過ぎたことは仕方ない。あとでまた掃除すれば済む話だ。
さて、と。そろそろコロッケが揚がる頃かな。今朝からゼリーしか食べてないから流石に腹が減った。
紅葉ちゃんの足跡を踏まないように気をつけながら、階段を下りた。