第三話 出会い(前編)

文字数 2,989文字

 赤い派手な服に身を包んだ柄の悪い男が、曲刀を蛍石の頭に目掛けて振りおろす。
蛍石は腰掛に座った体勢のまま、一歩を横にスライドするように避ける。
「闘神流戦闘術・『朧』」

 朧は神気を大地に通わし、自分を中心に三歩ほど距離を瞬時に移動する。相手の懐に飛び込むのに使われる技だ。だが、使いこなせれば、座った状態からでも敵の攻撃を回避できる便利な技でもあった。
 蛍石がいた場所に曲刀が打ちつけられる。蛍石は男の手首を取って捻り上げながら立ち上がる。男が痛みに耐えかねて、堪らず曲刀を落とした。男が蹴りを放ってきたので、手を離す。

 男が怖れの顔を浮かべたところで、冷たく言い放つ。
「残念だが、ここでは、それは通用しない」

 男が五歩下がって、蛍石から距離を取る。
 蛍石は神気を載せて、拳を座ったまま繰り出す。蛍石の拳から殺意が籠もった神気の塊が発せられる。
神気の塊は男の心臓に命中すると、男が白目を剥いて倒れた。
「闘神流戦闘術・『十歩破命拳』」

 破命拳は生きものの命を奪う神気を放つ攻撃である。十歩と名が付くのはその攻撃が十歩先まで届く状態を意味する。破命拳は習得するだけでも難しい技である。だが、使いこなせれば殺意の神気を飛ばして十歩先の敵の心臓まで停めることができた。

 目の前の男は絶命した。手加減する対応もできた。だが、いきなり蛍石の頭をかち割ろうとした男に情けを懸ける気は起きなかった。下手な情けは大きな災いを招く展開もある。
(人間を手に掛けるって、いつになっても嫌なものだな。だが、これからは人間が敵か)

 どこからか、キーキーの鳴き声が聞こえてきた。鳴き声の主は身長一・五mほどで、四頭からなる黒い眼鏡猿だった。
 黒い眼鏡猿はダンジョン内では屍(しかばね)猿(さる)と呼ばれていた。屍猿の仕事は死んでゴミになった探索者を捨てるのが仕事だった。

 屍猿は探索者の装備品を全て剥がし、財布を探り出す。屍猿は蛍石に財布を投げた。
 探索者を殺しても殺害者には探索者の装備品は譲渡されない。ただ、泥棒や強盗をしようと場合だけは別だった。財布だけは被害者が貰える。

 財布を外すと、屍猿は男の死体と装備を持ってダンジョンの闇に消えて行った。
 財布の中身を確認すると、金額して二万ゴルタはあった。
(二万ゴルダか。弁当にして、二十個分か。商品は盗まれなかったから、そこそこの儲けか)

 蛍石は財布を収納箱にしまって、次のお客を待つ。
 探索者が近づいてくる気配を感じた。ただ、相手の足取りは覚束なく、生命力も弱かった。
 相手が弱っていても気が抜けなかった。弱っている相手だからこそ店の品物を使って起死回生に賭ける探索者もいた。

 蛍石は商品を確認する。今日の商品は六つ、人形が二つ、木製の杖が一つ、謎の草が一つ、謎の箱が二つだった。
(謎の草と木製の杖が危ないな)

 草が同じ階層内をランダムに移動する転移草だった場合は最悪だった。品物を全て持っていかれたら、探し回らなければいけない。
 杖が相手に魔法を掛け移動させる転移の杖で、蛍石が移動させられればこちらも探索者を探し回らねばならない。

 トニーニから品物を買う時は正体がわからない謎の品物として買う。だが、トニーニの付けた値段からある程度は品物の正体が予測できた。今回は謎の草と木製の杖が共に八分の一の確率で転移草や転移の杖の可能性があった。
(リスクヘッジをしておくか)

 蛍石がダンジョンに持ち込める道具には制限があった。まず、商店をやるために必要な地面に敷く布、腰掛け、護身用の杖、魔法のベルト・ポーチは持ち込める。
 それらの道具を別にすると、ダンジョンに持ち込める品は商品が六つ、その他の品が二つまでだった。
商店に並べて商品として探索者に見せた場合は所持品との交換は不可能。ただ、例外は何にでも存在する。

 蛍石の場合はその他の品として水筒と弁当を持ち込んでいた。また、先ほど商品を見た探索者は死んでいる。この場合は閲覧記録が消えるので、全てがまだ見てない品と看做される。
 蛍石は自分の収納箱の中から弁当と水筒を取り出す。木製の杖と弁当を水筒と謎の草を交換して店先に並べた。

 店にある部屋に入ってきた探索者は女性だった。年齢は二十歳くらい。身長は百七十㎝と高い。厚手の茶の服の上から簡単な金属製の胸当てを着け、茶のズボンを穿いている。武器は長剣を腰から下げて、丸い小型の金属製の盾を手に持っていた。

 髪は肩より少し長い黒髪を後ろで縛っていた。顔は面長だが形はよく、細い眉と小さな口をしていた。肌のいろは薄いオレンジをしていたが、瞳は金色をしていた。
 女性には見覚えがあった。女性の名前は鏡花(きょうか)雅代(まさよ)。蛍石と同じ探索者学校を出た探索者だった。鏡花を見た蛍石だが、鏡花を最後に見た時より大人びて見えた。

 一目で、ふらふらだとわかった。鏡花で間違いないと思ったので、名前を訊こうとした。だが、口が動かず、声が出なかった。
(これは魔術的な制約が俺を縛っているのか)

 試しに「いらっしやい」と発音しようとすると、普通にできた。
 蛍石に軽く頭を下げると、鏡花は品物を目を細めて見る。鏡花の顔が輝いて弁当と水を手に取る。
 鏡花は猛然と弁当を食い始め、水を飲み干した。
(食糧切れで死にそうだったのか)

 蛍石のいる『嘆きの石室』は探索者が持ち込める品が制限されていた。衣類、空のバックパック、魔法のベルト・ポーチ、財布、それに一斤のパンと水筒のみが持って入れるダンジョンだった。

 長い時間に亘(わた)って探索するなら、食べる物をダンジョン内で調達するしかなかった。
 ただ、運が悪いとなかなか、食事にありつけない。そのため、空腹により弱ったところをモンスターに襲われて命を落とす探索者もいた。

 蛍石は店の入口に移動して通路と部屋を塞ぐ。
 別に鏡花の手癖が悪いからではない。金を払わずに商品を手にした場合は逃がさないために商店主がとれる普通の行動だった。

 だが、今回は蛍石には別の思惑(おもわく)があった。
 部屋の出入口は一箇所しかない。なら、出入口を塞いでしまえばモンスターに襲撃されない。鏡花に束の間の休息を与えられる。

 蛍石はフードを外して顔を見せようとした。だが、フードが外れなかった。
「探索者の蛍石を覚えていますか?」と訊こうとしたが、やはり声は出なかった。
「お客さん。お腹が空いていたんですか?」

 日常会話は口から出た。
 ダンジョンの持つ謎の魔力が、蛍石の素性を明かす会話を禁止していた。

 鏡花は一息つくと、明るい顔を向けて尋ねる。
「助かったわ。まさか、ここで弁当と水を売っているとは思わなかったわ。いくら?」
「千五百ゴルタです」

 鏡花は盗もうとせず、きちんと千五百ゴルタを払った。
 引き止めてもう少し会話をしたかった。だが、金を受け取った蛍石の体は自然と道を空けた。

 話がしたい。外ではどれだけ時間が流れているのか。自分はどんな扱いになっているか。家族の安否、友人の近況。鏡花なら知っている。だが、訊けなかった。
 鏡花はそのまま機嫌のよさそうな顔で店から出て行った。
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