7 なぜ今、持続可能性?

文字数 1,835文字

これまで文明の持続可能性について書いてきましたが、
ここであらためて〝なぜ今、持続可能性が政策課題なのか?〟を
再確認したいと思います。

政策ができる条件は〝必要性〟と〝許容性〟すなわち、
その実現が必要かつ実現可能で、
より大きな他の利益を損なわないことです。

ゆえに、持続可能性が政策課題になったのは、
人類が文明発展により、今日を生きるので精一杯の時代から、
明日に希望が持てるようになった時代を経て、
今ではさらに将来の文明持続の心配が必要となり、
かつできる時代になったからといえましょう。

昔学んだ生物の定義に、①特定の構造を保ち(自己保存)、
②物質代謝と③自己増殖を行う組織体というのがありました。
②と③は①の手段だとすれば、
そもそも生命の本質は持続であると言えます。

しかし、文明以前の時代には良くも悪くも、
自然環境や経済成長の持続を考えるほどの、
必要や余裕のある生活は行っていませんでした。

文明を得てからも、災害や疫病、戦争、貧困などの問題は、
①個別的・地域的・一過的な、
②文明の外部環境に起因する、
③個別的な技術や政策、地域により対処すべき課題として、
考えられていたのではないかと思います。

それに対して現在では、文明活動がさらに発達して、
地球環境の限界や、人間自身の生物・社会学的制約に直面する一方、
生活水準の向上や世界の一体化と、民主化・自由化等の分権化が進んで、
その対策を皆で一緒に考えることができるようになりました。

具体的には様々な資源の枯渇や環境破壊、
気候変動や世界流行(パンデミック)といった主に自然科学的な問題、
世界不況や格差拡大といった経済的問題、
人口爆発あるいは少子高齢化による紛争・犯罪や
社会保障の危機といった社会的問題が生じ、
それらをいかに解決するかが、政策課題となっています。

それらはもはや、
①文明活動全体の持続に対する脅威であり(課題の相互作用)、
②文明活動自体に起因するものであり(活動の不備も含む)、
③文明活動総体として対処すべきものである(対策の相乗効果)、
と認識されるようになってきました。

生命活動とは生物と環境の相互作用であり、
そのことは人間の文明活動においても言えると思います。
技術の進歩が経済・社会活動ひいては自然・社会環境を変える一方、
そうした環境変化に適応するための自己制御として、
人々の認識や価値観が変わり、政策を変えていきます。

そしてその政策は、必要性と許容性によって成り立ちます。
皆で文明の明日を考えるべきだし、考えられるとなったからこそ、
〝持続可能性〟が発展度を問わず国際社会から国家、地域にまで及ぶ、
普遍的(ユニバーサル)な政策課題となったのではないかと思います。

地球という環境的な限界への到達は、
空間的な拡大によらない時間的持続を求めます。
そして、それを達成するための技術の高度化は、
さらなる技術的(ハード的)政策を求めます。

経済・社会活動の拡大や複雑・加速化も、
従来の政策による資源の分配、
あるいは再投資と再分配の両立を困難にしつつあり、
そのことも新たな経済・社会政策を求めます。

技術や政策を作り、用いる我々自身の健康や教育もまた、
高齢化など健康水準の経年・経代的な低下や、
社会の変化に対する教育の対応困難という問題に直面し、
新たな人的資源政策を求めています。

かつてのような災害・疫病や戦争による淘汰という、
出たとこ勝負で行き当たりばったり、考えなしの
〝解決〟を待つことは許されず、
むしろ人材の向上と活用こそが文明の盛衰を分けるかもしれません。

また他方では、AIを中心として、
以上のような問題を解決し、物的資源、経済・社会活動、
人的資源の持続可能性を実現できる技術も現れてきました。

以上の理由をまとめると、①地球的な環境限界への到達、
②経済・社会活動の高度化、③人的能力の限界の認識、
④その解決を可能とする次世代技術の出現となります。

そこで今、様々な政策上の問題やその対策を、
包括的、分析的、総合的な〝(文明の)持続可能性〟という言葉で、
皆で考えることが可能、かつ必要になってきたのではないでしょうか。

またその中でも特に、私達人間自身の健康や教育を、
より人間的な手段で向上させ、活用することが
重要になりつつあるのではないかと思います。
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