夏の舞姫~ナツノマイヒメ~
文字数 6,508文字
それは突然少年を襲った。
ちょうど、妹である美夏の誕生会をした翌早朝未明の事である。
「うううう……」
初め少年は何が起きているのか理解ができていなかった。
いきなりの激痛で目を覚ましたら、ベッドも部屋も―――、それどころか家自体が崩壊して、その瓦礫の中に自分はいたのである。
「美夏……、お父さん……、お母さん……」
とりあえず家族の安否を想って、瓦礫の中をさまよい歩く少年。
腕から、頭から、全身いたるところから血を流しながらよろよろと彷徨い歩く。
――と、不意に柔らかいものを足で踏んだ。
「?」
少年はその足元にあるものが何か確認しようとする。
その時になって、いつも少年は思うのだ――。
(その下を見るな!!!!!)
でも少年の目は足元へと向かって動いていく。
(下を見るんじゃない!!!!!!)
少年の、心の中の声は、決して少年自身に届くことはない。
なぜなら――、
(その下を見たらお前は!!!!!!)
足で踏んだものを見た瞬間、少年は心の奥から発するような絶叫をあげた。
――それは、妹の美夏だった――、
妹の美夏――だった物体であった。
少年は悲鳴と共に腹の中の一切を吐き出す。そして、どこに行くともしれず走り出した。
しかし――、
「!!!」
少年は不意に何かに躓いた。少年はそれが何か、心の中ではすでに理解していたのかもしれない。
嗚咽をあげ、反吐を吐きながらその物体を見る。
その瞬間慟哭が来た。
「オドウザァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オガアサァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
西暦2074年6月――、
中東にある小国フラメス共和国にRONの部隊が侵攻を開始した。
フラメス国内の新中国派組織の保護を名目としたその侵攻は、明らかな侵略行為だと世界の国々から非難の対象となった。
しかし、経済的にも軍事的にも強大すぎるRONに、本当の意味で制裁を与えられる国は少なく、フラメス共和国は孤立無援の状態でRONを迎え撃つしかなかった。
その戦争は熾烈を極め、休戦で終結する2年後まで多くの一般市民が犠牲となった。
そして、その犠牲者の中に
◆◇◆
西暦2088年7月14日――。
夏の暑さも本格的になってきていたその日、藤原は家族の墓に墓参りをしていた。
かの戦時中のフラメス共和国から日本国防軍の救出部隊によって救出された藤原は、休戦後の復興時に家族の遺体を回収し、日本にあるもともとの家族の故郷である岐阜県森部市の墓地に収めていた。
今日はその墓前へ大切な報告があって、お盆前の早い時期に墓参りにきていたのである。
「父さん――、母さん――、美夏――、俺は今日もしっかり生きてるよ」
藤原はかつての家族の笑顔を思い出して手を合わせる。もっとも、それができるようになったのはここ最近の事である。
あの日、あの悲惨な状況を生き延びた藤原は、家族の顔を思い出そうとするたびに、あの日のあの瞬間の事を思い出して嘔吐するようになっていた。
それでも、家族の顔を思い出したい一心で心の治療に努めた彼は、20歳ごろには何とか嘔吐しないように精神を改善、さらにフラッシュバックも数年前には起きないように改善されていた。
「みんな……、俺が軍人になったなんて知ったらどう思うだろうな――、
あんな目にあって、まだ懲りてないのかと怒るかな?
でも――」
あの悲惨な戦争から救出された藤原は、その後、当時の救出部隊の隊員の一人――、部隊長であった”
先ごろ、藤原は国防軍の本部より、二等陸佐への昇進と、第8特務施設大隊の大隊長への抜擢を言い渡されたばかりであり、そのことを墓前の家族へと報告するために、許しを得て森部市へとやってきていたのだ。
「小笠原さんには返しきれない恩がある。
――何より、あんな目にあったからこそ、俺は軍人になってでも同じ目に合う人たちを助けたいんだ。
わかってくれるかな? みんな――」
墓前に長い祈りを奉げた藤原は、名残惜し気にその場を去る。
そして、自家用車を運転して森部市の市街地へと向かった。
時間はちょうどお昼――、
藤原がどこで食事をとろうかと、アーケード街を眺めながら車を走らせていると……。
「……」
不意にアーケード街を、心細そうに歩く少女を見つけた。
その動きは明らかに不審で、周りをきょろきょろと伺いながら歩くさまは、明らかに迷子の子供に見える。
(でもな――)
この時代、子供が迷子になって彷徨っていても助ける者はいない。
保護したとして、逆に誘拐したなどと親に騒がれる可能性がある……、と面倒ごとを嫌うからである。
そのとおり――、街を歩く人々は、不審そうに少女を眺めていても、声をかけることなく通り過ぎ、だれも積極的に関わろうとはしていない。
世知辛い世の中にため息をつく藤原は、それでも一瞬逡巡したのち車を少女の側に停車させた。
「?」
いきなり側に車が停車したので、警戒心いっぱいの表情で後退る少女。
その光景を見ながら、苦笑いしつつ藤原は車の窓を開けた。
「君――、こんなところで一人でどうしたの?
お父さん、お母さんは一緒じゃないのかな?」
「……」
少女は黙って藤原をにらみつける。その顔を見て藤原は再び苦笑いした。
「ごめん、別に怪しい者じゃないよ。
君が迷子にでもなってるのかと思って――、
違ったらごめんね」
その答えに、少女はさらに眉根をゆがめて言葉を放った。
「とか言って!!
おじさん、あたしをナンパするつもりでしょう!!」
「え?」
その少女の言葉に、口を開けて呆然とする藤原。――そして、そのあとに笑いが来た。
「プ――、くく……」
「何がおかしいのよ!!!
変態!! ロリコン!!!」
そのあまりにあまりな罵倒に藤原はカチンときて心の中で叫んだ。
(ちょっと待て! 好き好んでこんなガキを相手にするかよ!!
マセガキが!!!)
藤原は頬をヒクつかせながら努めて優し気に言葉をかける。
「いや――、ごめん、迷子じゃなきゃいいんだ。
ごめんね、突然話しかけたりして……」
「……」
警戒した表情でなおも自分を見つめる少女に、さすがにいたたまれなくなって車を走らせようとする藤原だが――、
「おじさん! ちょっと待って!!」
「?」
不意に少女が藤原を止める。
「おじさん……。実は……。……」
そのあとの少女の言葉は、小さすぎて何を言っているのかわからなかった。
「え? 何?」
だから普通に藤原は少女に聞き返す。
「!!!! だから!!! 私の買い物を手伝って!!! って言ってるのよこの変態!!!」
「え~~~……」
いきなりな話に藤原はその場から逃げたくなった。
「いや? なんで俺が?
君、迷子じゃないんでしょ?」
「そうよ!!!
あたしが迷子になんてなるはずないじゃない!!!」
「だったら、近くにいるであろう親にでも頼んで……」
「いないわ……」
「へ?」
「生まれた時から親なんていないわよ」
その言葉を聞いて藤原は少し心を落ち着かせる。
目の前の少女は
だから、藤原は素直に謝罪に言葉を言った。
「ごめん……、悪いことを言ったみたいだね」
「?」
その言葉に、心底理解不能という顔をする少女。
「別に? 何か謝るようなことをあなたは言ったの?」
「え? それは……」
さすがに
「まあいいわ!!!
おじさん!! 今からあなたを私の副官に任命します!!!!」
「は……はあ」
「コラ!!! 返事はイエスサー!!!」
「いえすさー」
藤原は苦笑いしながらそう答えるしかなかった。
◆◇◆
それから藤原はその少女を連れて近くのデパートへと向かった。
彷徨い歩いておなかがすいていたらしき少女をレストランへと連れてくる。
「べ――、別にお腹はすいていないんだけど。
おじさんがどうしてもって言うなら、奢られてあげるわ――」
そんなことを呟きつつ、藤原の後を急ぎ足でついてくる少女。
藤原は苦笑いしながら、そんな尊大なお姫様を店員の案内した席へと連れて行く。
もちろん、席の椅子を引いて少女が楽に座れるようにするのも忘れない。
「お――、おじさん結構気が利くのね……」
少し照れた表情で頬を赤らめながら藤原にそう言う少女。
このような場は不慣れなのか、きょろきょろ周りを見回してメニューを手に取る気配がないので、藤原は近くにあるメニューを手にして少女に渡した。
「あ、ありがとう……」
そう小さくつぶやく少女。
藤原はその言葉を聞いて少しホッとする。
「!!! これは、どれが――」
少女は目を輝かせてメニューを眺める。
いろいろ小さくつぶやきつつ、ひたすら10分近く悩んでいたろうか?
少女はそこそこ高めの金額のオムライスを頼んだ。
少女はその後も、周囲をきょろきょろと見まわしつつ、料理が来るのを待っていた。
それは、どう見てもこのような場を初めて経験する者のしぐさに見えた。
「もしかして――、レストランに来たの初めて?」
「――え、そ、そんな事、ないわよ?」
少女は、そう少ししどろもどろになりながら答える。明らかにその答えは嘘だと感じられた。
それ以上追及すると、少女の怒りが爆発しそうに感じたので、その話題はそこでやめる藤原。
そうするうちに、料理が目の前に運ばれてきた。
「おいしい!!!」
オムライスを口に運びつつそう嬉しそうにほほ笑む少女。
その表情は、まさしく年頃の幼い少女そのものである。
「それは良かった――」
藤原はコーヒーを飲みつつそう呟く。――その少女の扱い方は大体把握してきていた。
結局、彼女は少し尊大なところがあるだけの、世間知らずで純粋な性格の少女なのだ。
間違いを謝ることもできるし、受けた恩には感謝の言葉を忘れない。
――どこの誰に育てられたのか知らないが、彼女はどこかの高貴なお嬢様やお姫様を感じさせる。
藤原は、少女とレストランで食事をしつつしばらく談笑したのち、彼女を連れて紳士服店へと向かった。
その”お姫様”が
「はい……これなどがよろしいかと」
「……」
その藤原の言動にジト目を向ける少女。
「何よ……その言い方」
「いいえ? 何も姫に失礼のないよう努めておるだけですが?」
「何が姫よ……馬鹿じゃないの?」
「はいはい……」
藤原は恭しく頭を下げる。――少し楽しくなってきた。
「これ……葛城に似合うかな……」
不意に固有の名前を口に出した少女。男物のネクタイをあげるくらいだから男だろうけど――、
「カツラギ?」
「!!! ……いいのよおじさん、その名前は忘れて!!!」
「はい……」
その少女の物言いに、藤原は黙って頷いた。
そうして、ネクタイを購入した少女は、それを嬉しそうに胸に抱いた。
「……」
藤原はその表情を黙って見つめる。
それをプレゼントする葛城という人は、よっぽど少女にとって大切な人なのだろう。
おそらくは、育ての親か――、
その段になってやっと藤原は少女をまじまじと見つめた。
小学生くらいの長い黒髪の少女は、年相応の純真無垢な笑顔を浮かべて藤原を見つめ返した。
「ありがとう、おじさん!
……そして――」
そのまま少女は藤原に向かって頭を下げる。
「変態とか言ってごめんなさい!!!」
「……」
その言葉を聞いて、藤原は
目の前の愛らしい少女を助けることができて、藤原の表情に自然と笑顔が浮かんだ。
「いいんですよお姫さま……」
「もう――それはもうやめて」
そう言って少女は小さな頬を膨らませるのだった。
◆◇◆
「……」
藤原と少女がデパートの玄関へと歩いていた時、不意に藤原は何かを感じてその場に止まった。
少女はネクタイを大事に抱えて嬉しそうに歩いており、止まった藤原に気付いていなかった。
「!!!」
デパートの玄関の柱の陰から不意に黒服が飛び出してくる。それが狙うのは――、
「伏せろ!!!」
藤原は少女に向かってそう叫んだ。
それを聞いた少女は、何の疑問も口にすることなくその場に伏せた。
その黒服の腕が、少女の身体を掠める。
「この!!!!」
藤原は黒服に向かって一気に駆ける。それを見て黒服は迎撃態勢に入った。
「おじさん!!!!!」
それは一瞬の事であった。
少女の声とほぼ同時に、デパートの玄関に人が倒れる音が響く。
「動くな!!!!」
藤原は黒服をきれいに投げ飛ばして、その腕に関節技をかけていた。
身動きのとれない黒服は苦しげに呻く。
「お前!!! どこの人間だ!!!!」
その藤原の叫びに、苦し気に黒服は答える。
「く……貴様こそ……どこの人間だ……。
RONの手先か……」
その言葉に何かを感じた藤原は、一瞬逡巡してから答えを返した。
「藤原 俊夫二等陸佐――、
第8特務施設大隊、大隊長だ――。
貴様の所属は?!」
「う??」
藤原のその答えに一瞬言葉を詰まらせた黒服は、その場に力なく項垂れた。
「国松 勇希……、二等陸尉――。
所属は……、言うことができない」
「それは、腕を折ってほしいという答えかな?」
「まて!!! 本当に言えないんだ!!!!」
藤原の容赦のない言葉に慌てて言い訳をする黒服。これからどうしようかと藤原が思っていると――、
「おじさん!!! やめて!!!
その人は――」
少女がそう言って必死な様子で藤原に訴えかけてくる。
それを聞いて、藤原は少し事情を理解した。
「……」
藤原は黙って黒服から腕を外す。黒服は服を整えながら立ち上がった。
「く……」
その黒服はよく見ると、20歳になったばかりの様に若い男だった。
自分を軽く制圧した藤原を、思い切り睨んでくる。
「ごめん、おじさん!!!」
黒服の代わりに少女が頭を下げた。それを見て、慌てたように黒服は言った。
「モモ!!! なぜこんな奴に頭を下げる?!」
「あんたが、妙な勘違いをして乱暴な事をしたからでしょ?!
頭を下げるのは当たり前!!」
「ク……しかし」
「しかし、じゃないでしょ馬鹿!!」
少女に罵倒されて項垂れるその男。
「その人は、君の護衛なんだね?」
そう藤原が言うと少女は頷いた。
「そう……、詳しくは言えないけど、私は――」
「国防軍の関係者だったのか」
少女の言葉を遮って藤原は言った。
「――それも、俺に言えないクラスの機密」
その言葉に黒服は藤原を見下すような表情をする。
「その通りだ――、上官だからとていい気になるな。
こちらは貴様などどうとでもできる――」
そこまで言って黒服は黙り込む。無論、少女に睨まれたからである。
「――今回の事は忘れろってことだね?」
そう藤原が言うと、少女は少し苦しげな表情をした。
「その通りだ――、このことを公言した場合、貴様はもはや表を歩いていられなくなるぞ!!」
あくまで高圧的に言ってくる黒服に少しカチンときた藤原であったが、少女のさびしげな眼を見て嫌味を言うのをやめた。
そして――、
「今日は楽しかったよ――、モモだっけ?」
そう言って藤原は少女の頭を撫でた。
「うんん、おじさん。私は桃華――、
桃華だよ」
そう言って少し悲しげな笑顔を藤原に向けた。
「本当に今日はありがとう。おじさん――そして、ごめんなさい」
少女はそう言って深々と頭を下げたのであった。
「……」
黒服に連れられて去っていく少女を藤原は黙って見送る。
彼女はおそらく、国防軍の――、或いは日本政府の、最高機密に関わっている最重要人物なのだろう。
だとしたら、もう彼女と再会することは、これから二度とあるまいと藤原は思った。
(……、でもあの娘――)
少女の嬉しそうな顔、悲しそうな顔、そのすべてを思い出すと何やら言いようのない悲しみを感じた。
その少女の奥に潜む、悲しみと苦しみを藤原は敏感に感じ取っていたのである。
藤原は、しばらく考えた後頭を掻いてため息をついた。