じゅう

文字数 2,041文字

 放課後、帰宅をしようと靴箱の前に向かうと、善行が春海に話しかけようとしている。この2人が話しているのを見たことがなく、珍しい光景だ。あまりにも気になったため、靴を取り反対側に回って様子を伺った。
「春海、ちょっと話があるんだけどー」
 少し遠くから見ていたのでよく分からなかったが、春海は眉を上に寄せていた。驚いていたのだろう。さらにチラッと周囲を見回すと、小さく何度か頷いた。何かを承諾したのだろうか。もう少しで聞こえるかどうか耳を凝らしていたところで、私はポンと肩を叩かれた。
「なーにしてるのっ?」
 聞き慣れた声だった。藍美の手を引っ張り、「あれ、善行と春海」とこっそりと教えた。
「本当だ!なんだか珍しい組み合わせだね」
 藍美も不思議がっているようだ。私たちが靴箱の影から様子を伺っていたが、善行は周囲を警戒したのか、春海を連れて2階に上ってしまった。
「なんか、怪しいね」
 藍美の方を向くと、藍美が「つけてみる?」と悪戯に笑っていたが。もしかすると愛の告白の可能性もあると思い、後を追うことは止めてそのまま校舎を出ることにした。
 
 そしてまた迎えた金曜日のホームルーム。私は恒例の無機質なボタンを手にしている。大澤先生の合図でみんな出席番号を入力した。クラスの1人を消してしまうこれはもはや作業であり、私たちの日常に自然と組み込まれている。夏実と春海は早く帰りたいがためなのか、すぐにボタンを押して教室を後にしていた。
 
 週末は特に何もすることがなく、ずっと家に篭っていた。部活をしていない私は、家で本を読むか、布団の上でゴロゴロしていることが多い。誰にも邪魔されることのない時の流れに、ゆったりと身を任せることも悪くはないと思っている。
 
 月曜日の朝。休日の安心感から一転、時の流れは急流のように早くなる。学校へ向かう足取りは、不思議と自分の意思によって動いているようには思えない。学校といえども、外を一歩出るとそこは戦場なのだ。大澤先生をはじめ大人たちもきっと、同じ思いの人が多いのかもしれない。
 
 教室に着くと、善行が「おはよう」と挨拶をしてきた。朝から少しテンションが高いというか、そわそわしているというか、善行らしくない様子だった。
 チャイムと同時に大澤先生が勢い良く教室に入ってきた。両手を開いて教卓につき5.6秒静止している。その間一言も無かったが、先生の身体中から怒気が溢れている。その「気」が教室中に蔓延しきったところで、漸く口を開いた。
「おまえら・・・」
 瞳孔を少し大きく開かせて左右に見渡した。その後、自分が作ったシーンとする教室の雰囲気に飲まれそうになり、少し平静さを取り戻したようだ。
「今週からもこのメンバーでしっかり生活をするように。以上」
 後ろを見渡すと、クラス成績トップの席が空いていた。この結果には大澤先生も納得がいっていないような感じだ。自分のクラスから成績優秀な生徒が結果を残せば、職員室での顔が立つ。しかし、自分にとって誇れる生徒がいなくなったのであれば、憤る気持ちも分からなくはない。あの間は、クラスで投票した結果なのだから仕方ないと自分に言い聞かせていたのかもしれない。今回クラス投票の餌食となったのは、初めて「人間性」とか「発言内容」とかではなく純粋な「能力の高さ」によるものだった。前者による投票を避けるには集団の中で協調性を持つことが必要となるが、後者では単に何事にも目立たなく、羨まれないことが必要になる。何かに秀でるものは、誰かに羨まれたり妬まれたりするものだ。しかしそれだけで投票されてしまうのであれば、防ぎようがない。
 このゲームで生き残る人というのは、みんなで仲良くひっそりと生活する人なのか。もしくは絶対的な権力者なのか。頭の中がグルグルとして正解が全く分からない。仮に目立とうとせずにひっそりと暮らしていても、『必要でない』と判断されれば左遷されてしまうのである。このゲームの真髄は恐らくこれからなのであろう。
「博、可哀想だな」
 善行の肩は少し震えていた。
「もう、何が何だか分かんないよ。その人がクラスに必要かどうかっていう基準を満たすものが何なのか」
 咄嗟に言葉が出るほど私は少し頭に血が上っていたが、一息ついて落ち着きを取り戻した。
「これからどうすればいいのか分からないよ。クラスの和を乱したらダメ、運動ができなかったらダメ、勉強が出来過ぎたらダメ」
 善行は机の上の鉛筆を親指と人差し指と中指で転がしながら嘆いている。
「善行は委員長だしきっと大丈夫だよ!みんなが嫌がることも率先してやるし、必要とされてない訳ないよ」
 私は気付けば善行のために熱くなっていた。不安に駆られる思いはみんな一緒だが、クラスの『民意』という見えない敵と戦うためには気落ちしている場合ではないと思ったからだ。特に委員長の善行は博に続く成績のため、「次は自分なのではないか」という恐怖もあるのだろう。
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