第26話 「さよなら、杏奈」~僕が妹になるってめちゃ悲しい?~

文字数 10,354文字

 そんな事が有った事なんて夢にも思わなかった僕。
 うっすらとした記憶の中で、
「兄貴…」
 どこからか僕を呼ぶ声。
「おい、兄貴!」
 声はどうやら杏奈らしい。何か田柄さんとの事で怒っているかもしれないが、僕は無視する事にしようとしたけど、
「兄貴!起きてるんだろ!」
 それでもしらばっくれて病院のベッドで寝た振りをする僕の枕元にティッシュの箱が飛んでくる。またポルターガイストが始まった。
「兄貴!何シカトしてんだよ!」
 ようやく僕は仕方なくベッドの上で上半身を起こす。と、向かいの予備のベッドに、片手に何かポッキーの様な御菓子の箱持って、そこからそれ取り出してポリポリぽりぼりかじりながら足をぶらぶらさせてる白いワンピース姿の杏奈の亡霊がいた。
「あ、これ?隣のお供え物かっぱらってきた。だーってさ、あたしのお墓なんてないもん…」
 ぼーっとした蒼い光に包まれた杏奈。やっぱり杏奈の亡霊はいたんだ。
「あのさ、この前さ、あたし田柄さんと寝たいって言ったんだけどさ、あれ半分冗談だったんだかんね」
 冗談だったなんて、今更そんなのねーだろよ!
「でもさ、兄貴頑張ってくれたんだ。田柄さんにまさかあんな一面有ったなんて思わなかったけど…」
 田柄さんに襲われた時、彼の後ろで怒りに震えながら手に持った卒塔婆を振り下ろしそうにしていた杏奈の幽霊の姿が脳裏に浮かんでくる。そっか、あの怒りは田柄さんに対してだったんだ。
「それでさー」
 僕ははっと気づいて横を見ると真琴さんは椅子に座って僕のベッドに手を置いて、柴崎さんは介抱者用のベッドで眠りこけている。幻覚じゃない、これやっぱり杏奈の亡霊なんだ。
「京極邸の近くにさ、下が丁度トンネルになってる墓地あるじゃん。あそこの墓地でさー、なんか何人か幽霊のお友達できちゃってさ。みんな彼氏に振られたり苛められて自殺したり、交通事故で死んじゃった子とかでさ、みんなこの世に未練有る子でさ。そんでね、兄貴が襲われた後もさ、そこでみんなでいろいろだべってたわけ…これ美味しい…」
 そう言ってもう一本ポッキー取り出して口に運びながらもずっと僕を見つめる彼女。
「夜の八時くらいにさ、ふと下見るとさっき兄貴襲った田柄さんがおばさんの車に乗ってさ、丁度下通りかかったの。あたしさ、もう田柄さんてあんな人だなんて思わなかったからさ、トンネルに入った時その車の後部座席に飛び乗ってさ、後ろからこーやって」
 ポッキーを口にくわえたままその箱を片手に持ち、まるで絵に描いたみたいな幽霊の格好する杏奈。
「田柄さーん。随分ひどい事してくれんじゃん。あんな人だなんて思わなかった…て言ったらさ、おばさんと二人すんごい悲鳴あげてさ、狭いトンネルの中であちこち車ぶつけて、トンネルの外の電信柱に車ぶつけてさ」
 幽霊の真似事を戻して再び御菓子を手に足をぶらんぶらんさせて彼女が続ける。
「二人揃って車から這い出してしゃがみ込んだから、その前に立って、おばさん、むりやりあたしと田柄さんくっつけたら、おばさんの持ってるマンションとかアパートに毎日遊びに行くからねって言ったら、二人ともまた悲鳴上げてさ、おばさんそこで気絶しちゃうし、田柄さん走ってどっか行っちゃうし」
 そう言って彼女は
「きゃはははっ」
 と変な笑い声上げた。べつに何の事は無い。彼女が生きてる時さんざん聞いた杏奈の笑い声。そうなんだ。おばさんがただ事でない様子だったのはこのせいだったのか。
「だからさー、兄貴、もう田柄さん怖がって兄貴に近寄らないと思うしさ、おばさんだって考え変えると思うからさー」
 そう言ってポッキーの残りを指で口に押し込みながら彼女が続ける。
「兄貴さー、もう無理してあたしになろうなんて思わなくていいよー。兄貴は兄貴で自分の好きな生き方していいからさー」
 そう言った後、又御菓子をほおばりながらしばし黙り込む彼女。時折部屋の天井をちらちらと観た後、再び話し出した。
「それでさー、幽霊友達とも話したんたげとさ、天国に行かないで下界彷徨ってるあたし達だけどさ、言ってみれば学校サボってサ店でだべってるみたいなもんなのよ。そろそろ行こうかって話が出てさ。天国のレストランでお友達グループ結成会やろうって事になったんだけどさ」
 天国にそんな所あるのか?結構俗っぽいなと思う僕。
「でさ、そこって天国の門の内側にあってさ。そこくぐるともう今みたいに下界には戻れないっつーわけ」
 そして彼女は少し鼻をぐずらせて天井を見上げる。
「それでさ、それが今日の夜明け時なわけ…」
 とうとう彼女は鼻をぐずらせて目頭を押さえて続ける。
「だから…だからさ、兄貴と会えるのはこれで最後なわけ…なのよ」
 その言葉を聞いた僕は驚いて言葉が出なかった。やっと杏奈の亡霊をまともに観る事が出来たのに。あの食べてたポッキーは彼女なりの涙と寂しさ隠しだったのかも。
「兄貴、女の子になったんだよね。よかったじゃん。自縛霊(柴崎)さんにもありがとうって伝えておいて。あ、これあたしが大事にしてたピアスだけど、ここに置いとくから、大事にしてね」
 そう言って杏奈は耳からそれを外す仕草をして、予備のベッドの傍らの机に置くと少しふわっと浮く。
「じゃあね。元気でね。天国から見守ってるね。お姉ちゃん!」
 お姉ちゃんと言われた時、改めて僕は今までに何か杏奈の為にたいした事してやれなかったと悔やむ。
「元気でね!お姉ちゃん!あたしの分まで生きてね!頑張ってね!好きだったよ!お姉ちゃん!」
 向かいの予備のベッドに座っていた杏奈はすっと飛ぶように上に上がり、鼻をぐずらせて目頭を手で覆いながらそういい残してすっと消える。
「杏奈!待って!」
 その瞬間僕は自分のベッドの上で目を覚ましてがばっと上半身を起こした。
「あ、起きたの?」
 介助者用のベッドで寝ていた柴崎さんが目を覚まし、僕のベッドに手をかけて寝ていた真琴さんも目を覚ましたみたい。
「あんた昨日手術の後の事覚えてないでしょ?もう大変だったんだから…」
 そう言って柴崎さんが大きなあくびする。
「杏奈が、さよなら言いに来たの」
「へ?何もうまだそんな事信じてるの?」
「柴崎さんに、ありがとうって言ってたよ」
「まさかあ…」
 もう本当に頑固な人!と、
「あれ?これ何だっけ?」
 柴崎さんがつかつかと向かいのベッドの横の机の上の横に行って、小さな一対のハートのピアスを取上げる 。
「それ、杏奈の形見。今朝僕に最後の挨拶した時置いていったの!」
 それでも柴崎さんは信じてくれず、それを僕のベッド脇の机に置いただけ。 
「真琴さん、信じてくれるよね?」
 やはり大きなあくびして椅子に座りなおす彼女。
「さあ、あたしはまだ見た事ないけどさ、でも杏奈ちゃんがいるって言うならいるんじゃない?嘘言ってる顔じゃないし」
「真琴さんありがとう!」
 そう言って僕は彼女に軽くハグ。真琴さんも僕をしっかり抱いてくれて僕に言う。
「おめでと。杏奈ちゃん、これでもう女の子だよね?」
「あ、そうなんだ…忘れてた」
 真琴さんと僕の会話に呆れた顔の柴崎。
「なによもう!昨日あんた無意識に何言ってたか言ったげようか?抱いてだのエッチしたいだの、あげくの果てに入れて!ときたもんだ」
「知らないもん!そんな事言った覚えないし!」
「まあ、そうかもね。あ、もうすぐドクター達回診に来るから。下半身の拘束具はその時外れるからさ。但し今暫く入院ね」
 柴崎さんと僕の会話聞きながら真琴さんが笑いながらそう言った。
 
 退院したのは杏奈の通ってた高校の始業式の二日前の八月三十日の朝。病院からの帰り、真琴さんに秋の服とかジーンズとか下着買ってもらっちゃった。京極邸に戻ると屋敷の前には何台ものトラックが停まっている。
(あ、そっか。京極不動産のビルの建て替えで、ここ一時事務所になるんだ)
 半そでのワイシャツの男の人、スエット姿の女の人が何人も屋敷の入り口からトラックからの机とか椅子とかダンボール、パソコンとかを持って入っていく。執事の大澤さんも水村さんも暑い中汗だくになって荷物を運び入れていた。
 重そうな荷物運びながら、
「あ、お嬢さんお久しぶりです」
「お嬢さん、元気になられましたね」
「杏奈ちゃん!暫くお世話になりますねー!」
 僕と杏奈の事を何も知らないおじさんの会社の男女の社員の人が僕に挨拶してくれる。僕も知らない人ばかりなんだけど
「こんにちわー!」
「おひさしぶりでーす!」
 そう適当に返事して笑顔振りまく僕だった。と柴崎さんがすっと玄関に顔見せる。
「杏奈ちゃん!何してるのよ!こっち来て引っ越し手伝って!」
 そっか、柴崎さん明日でここ出るんだ。えー、でもさー、僕仮にも病み上がりなんだよって思ってたけど、
「大丈夫よ。走ったりしなけりゃ平気だから」
「はーい、あの、お世話になりました」
「ううん、明日もう一度来るからさ」
 僕を送ってくれた真琴さんがそう言って軽く手を振って屋敷の駐車場の方へ歩いていく。
 
 翌朝、始業式前日。今日はおじさんであり、京極グループ会長の京極孝明さんと久しぶりに面会する日。
 真琴さんに買ってもらった真新しいショーツとブラを付けて鏡の前に立つ僕。そこには生前の妹の杏奈とそっくりな女の子が写っていた。いや、杏奈をちょっと元気にした女の子かなって感じ。
 僕の股間は大分変わっていた。中身を取り除かれてぺちゃんこになった精巣は縦にぺらぺらになって色が薄く肉色に変色。鮮やかなピンク色の豆粒程になった男性自身の名残はそれに隠れ、もう少しで女の子のクリトリスに変化するんだと思う。
 精巣の真ん中に入れられた切れ込みは、次第に奥が広くなってやはり鮮やかなピンク色になり、粘膜が一面に張り付いていた。その上からショーツを履くと、今までに経験した事の無いフィット感。
 もう突起物は無い。すっきりした感覚。大事な部分をガードされてるって気持ち。そして、女の子になったんだっていうじーんとした感覚。
 そしてブラはもうBカップ。やっと杏奈に追いついたんだけど、その上から杏奈の通ってた高校の制服のブラウスを着ると、胸がふっくらと盛り上がる。杏奈の履いていたスカートは僕にぴったり。ウェストのくびれと大きく丸くなったヒップをカバーしてくれる可愛いボックスプリーツのスカート。
 胸元にリボン付けてソックス履いて、ブレザー着て、鏡の前でくるっと一回転。ふわっとしたスカートの感覚がすごく新鮮だった。
「杏奈ちゃん、そろそろ行くよ」
「あ、はーい」

 屋敷の和室の応接間の襖を開ける時は正直怖かったけど、そこはあまえんぼうの演技。おしとやかにすり足で入ると中には僕にとってのおじさん、そして養父にあたる京極孝明さんが大きな机の上座に座っていた。
 僕と柴崎さんが向かいに座って
「おじさま、ご無沙汰しております」
 とお辞儀して言うとおじさんはちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐに目を細める。
「右京君、じゃなかった、杏奈ちゃん。本当にあの子が生き返ったみたいだよ」
「ありがとうございます」
「あ、あの奥様は?」
「ああ、昌子な」
 昌子さんがここにいない理由を知らない柴崎さんの言葉に、おじさんは少し顔を曇らせる。
「あいつ、まだ入院中なんだ。体調がすぐれないと言ってな。そんなたいした事故でもないしかすり傷程度のはずなのに、なんでなんだろうね」
 おばさんが僕に会いたく理由がなんとなしにわかり、僕は一瞬吹き出したけど、それをうまく咳でごまかした。
「どうしたんだ?夏風邪か?」
「いえ、なんとも無いです」
 そう取り繕う僕におじさんが続ける。そこへ水村さんがお茶を持って応接室に入ってきた。
「あのな、申し訳ないが田柄君との話は、白紙に戻してくれんか?」
 その言葉に僕と柴崎さんが心の中で同時ににんまりする。
「えー、どうしたんですかあ?急に?」
 事情を知ってるはずの水村さんがわざとおじさんに聞く。また笑いがこみ上げてくる僕。
「どーも奴は…軽い。それにあまり評判が良く無い。悪い噂も聞いている。それに、昌子の所に見舞いに行った時に思ったんだが、突然杏奈ちゃんと彼をくっつける事に慎重になってなあ」
 杏奈、本当にありがとうって思う僕。幽霊の仕草をした彼女を思い出し、笑いが更にこみ上げたけど何とか我慢できた。
「なあ、杏奈ちゃん。これからは別にわしに気兼ねせず、自分の思う様に生きて構わないからさ。只、そうだなあ。もし出来る事なら、彼氏にするなら元気でガッツの有る奴をな」
 流石一代で会社作ってこんな邸宅建てた人。話がわかるみたい。
「仕事なんて、経験積めば覚えるもんだからな。まあ、出来ればの話だ。わしの後を継げるガッツの有る奴がいいんだけどなあ」
「ありがとうございます」
 僕はそう言っておじさんの前で深くお辞儀。結局おじさんも女を道具扱いしている節もあるけど、そんなに嫌じゃない言葉だった。
「ああそうだ。謝礼をわたさにゃな」
 そう言っておじさんは傍らに置いたなにやら分厚い封筒を机の上に取り出して柴崎さんに渡そうとする。
「あ、ありがとうございます。あの、現金…ですか」
「そうだ、現金だよ」
「あ、あの、私てっきり振込みか、小切手か何かで…」
「はっはっは!どんな世の中になっても一番信用できるのはこいつだよ。こいつが一番!」
「あ、はい、改めさせて頂きます」
 そう言ってその袋を手に取り中を確認する柴崎さん。
「札束できっちりだから数えやすいだろ。銀行の封付きだ」
「はい、あの、確かに」
「じゃあ領収書と経費のカード貰えるか?」
「あ、はい」
 まず経費名目で自由に使えたカードと使ったレシートの束とかをおじさんに手渡し、そしてバッグから領収書を取り出して金額を書き込む彼女。ちらっと覗き込む僕には金額は見えなかったけど、七ケタの数字が書いてあった。それを孝明おじさんが受け取り、そして柴崎さんに深くお辞儀する。
「本当にありがとう。恩に着る。右京君には申し訳なかったが、これからは杏奈として自由奔放に生きてくれ。出来るだけの事はする」
「あ、いえこちらこそ、今後とも宜しくお願い致します」
 僕も深く頭を下げた。こうして京極家の跡取り問題は無事解決。すごく非道な方法ではあったけど。
「さて、悪いがわしはもう出なきゃならん」
「えー、今日はゆっくりされるんじゃないんですかー?今朝外国から帰ってきたばかりなんですよー」
 お茶を持ってきてそのままそこに居ついた水村さんが言う。
「いや、今日の本社ビルの解体の前にもう一度最後に見たくてな。おんぼろのビルだが、あそこで三十年、死に物狂いで働いてやっとここまで来たんだ。壁の傷もシミも、みな思い出がある。愛着あるあのビルが壊される前に別れを告げたくてな」
「あ、それじゃ送ります」
「すまんな、水村さん」
 水村さんとそんなやり取りしたおじさんがそう言って席を立つ。
「杏奈ちゃんとはいつか改めてゆっくり話ししたい。今日はこれで勘弁してくれ」
 そう言って部屋から出て行くおじさんに軽く会釈する僕。
「改めて見たけど、いい人じゃん。昌子おばさんとは大違い」
「そうね…」
 柴崎さんの言葉に女の子らしく答える僕だった。
「さてと、まだこっちが残ってんのよ」
 そう言って柴崎さんが立ち上がった。
 
「…えっと早乙女に支払う分が…これとこれと…これもあるのか…げ…追加あるんだ。ああもう請求書一枚で書いてくれりゃいいのにさー。しかも昨日渡してくれてさ!あと、秋葉原のAKIさんに支払うのがこれでー、それに萌のバカヤロー、三桁近く請求してきやがって…それに旦那様もさ、振込みとかにしてくれりゃいいのにわざわざ札束でさー…」
 柴崎さんにくっついて彼女の部屋というか、大広間の控え室に彼女が勝手に作った部屋だけど、そこに入っていった僕。柴崎さんは既にラフないつものキティ柄のキャミパンに着替えて、電卓片手にチャブ台の上のたくさんの書類とにらめっこしてる。
 荷物はすっかりダンボールに詰められて置かれていて、最後に残ったポテチの袋勝手に空けて、ぶつぶつ言いながら電卓片手にちゃぶ台の前でいろいろ計算しているのを見ながら彼女の横に制服姿でペタン座りして、袋の中身をぼりぼり食べる僕。
 だって、本当手術されてすっかり女の体になってからというもの、すっごくお腹空くんだもん。と突然、
「何よこれー!あたしの取り分殆ど残んないじゃん!萌の分が余計だった…」
 更に何かを思い出した様に髪をかきむしって叫ぶ彼女。
「あー!そうだった!あのバカ(井上萌)に支払った前金の事忘れてたぁ!何よこれ!タダ飯食っただけじゃん!」
 そう言ってちゃぶ台の上に突っ伏す彼女。なんかどんぶり勘定してたみたい。そこに、
「柴崎さーん、渡辺(真琴)さんがお見えになりましたー」
 水村さんの声に、
「うわあーーー!来た!借金取りが!」
 一声叫んで顔を上げる彼女。ところが水村さんの横には既に真琴さんが佇んでいた。
「だーれーがー借金取りですって?」
「え、もう来てたの!あ、うそうそ!冗談!冗談よ!あはははは!」
 慌てて取り繕う柴崎さんでした。
 
「えーっと、今回の杏奈ちゃんの件でお支払頂く額は合計でこれだけになります」
 再び髪ボサボサにして机の上に突っ伏している柴崎さんの前で、正座して涼しい顔で電卓を彼女に見せる真琴さん。
「…あってるわよ…それで…」
 一瞬顔を上げ、電卓をちら見してそう言って再びちゃぶ台に突っ伏す彼女。
「それでー」
 そう言った真琴さんの顔がちょっと意地悪になった様な気がする。
「それで?」
 相変わらず机の上に顔を置いて力なく答える柴崎さん。
「そーれーでぇー」
「なんなのよ一体…」
 真琴さんの意地悪そうな声に、もううざいって感じで顔を上げる柴崎さん。その顔をじっと見ながら真琴さんが続けた。
「今回の杏奈ちゃんの件は希少なケースで、かつ当早乙女美咲研究所にとっても非常に有益なデータを頂きました。本来ならば、最初に水村さんからうちに連絡有って、妹さんの生殖器を移植した時から早乙女主導でやってもいい様なケースでしたけどー、外部は受け入れないっていう規則で出来なかったですけどー、貴重な人材見つけてくれましたしー、被験者のケアもちゃんとしてくれてましたしー、女性化のトレーニングもやって頂きましたしー、殆ど人体実験同様だった杏奈ちゃんの手術も無事成功した様ですしー」
 意地悪く語尾を延ばして話す真琴さん。
「何?ボーナスでもくれるの?十万位?」
 柴崎さんの声に対して意地悪さを増した真琴さんの声が続く。
「非常に当研究所にとっても今後の為になるケースでしたのでぇー」
「だーかーらー、もう何よ!」
「全額お返し致しまーす」
 真琴さんのさの言葉にがばっと顔を上げる柴崎さん。
「なんつったの…今…」
「ですからー、御代は頂きませーん。さーらーにー」
 呆然として微動だにしない柴崎さんに再度電卓を見せる真琴さん。
「今回の事をー、当研究所の記載フォーマットに準じてレポート書いて頂ければー、ご提出後にこれだけお支払い致しまーす」
 真琴さんが手に持った電卓をじっと覗き込む柴崎さん。
「まじ?…」
「うん、まじ」
 真琴さんの返答に暫く電卓を見ていた彼女は顔を上げて真琴さんの顔を見つめる。と突然、
「もーう!真琴さん大好き!愛してる!」
 そう言ってちゃぶ台の前に座ってる真琴さんに抱きついて顔中にキス。
「あたしの意向じゃありませーん!早乙女美咲研究所の、もう!くすぐったいからやめてください!」
「真琴さん!大好き!もうほんとに大好き!」
 僕の横でとっくみ合う様にする二人。真琴さんのスーツのスカートは完全にまくりあがって白のパンツが露になって、柴崎さの履いてるキティちゃん柄のキャミからも、白のパンツが見え隠れしていた。本来ならこんな光景お金払ってでも見たい所なんだけど、なんか全然平気になっちゃった僕。
「そーれーとー、うちの堀所長から、無事に女の子になった杏奈ちゃんへの…ちょっとやめなさいって!…お祝い金として、三十万円後で…て、手渡し…くすぐったいからやめなさいって言ってるのに!」
「嘘…まじ?」
 ずっと横でポテチぼりぼり食べてた僕の手が口元で止まった。
「やめなさいって!やめ…こら自爆霊!(柴崎麗)やめろっつってんだろ!」
 とうとう元男の子だった真琴さんの本性が出たらしい。可愛い声だったけど。
 みだらな格好でもつれ合う二人を眺めつつ、もう男だった時のなんていうか、エッチな感情が沸いて来ない僕。
だって、僕もう女の子だし…。
(みっともなーい)
 とか、
(僕のヒップもいつかあんなに大きくなるのかな)
 てな事を思いつつ、まだ取っ組み合ってる二人の横で彼女らを眺めつつ、ポテチをずっと食べ続ける僕だった。
 
 その後二人で真琴さんを屋敷の門まで送った後、予定の時刻で柴崎さんの荷物を運ぶ業者が到着。そして荷物積み終えたトラックを見送った後、二人でしばし無言でお屋敷の門の前に立つ僕達。
 お屋敷の中では京極不動産の仮事務所作っているのか、遠くから金槌の音とか物を運ぶ人達の声と音が聞こえてくる。
 沈黙の中最初に口火切ったのは柴崎さん。
「そうそう、さっき連絡しといたけど、真帆ちゃん明日迎えに来てくれるってさ」
「あ、そう、僕もさっき電話で。しかとされるかと思ったけど」
「愛利ちゃんも校門で待っててくれるってさ」
「あ、そうなんだ。ありがと」
「新しい高校の事、覚えたよね?」
「うん、なんとか…。でもまだ自信無い…」
「大丈夫よ。真帆ちゃんがしっかりサポートしてくれるってさ」
 関係者以外で唯一僕が実は杏奈の兄貴の右京だって事知ってる真帆ちゃん。先日の事があって新しい高校に行っても気まずくなるんじゃないかって思ってたけど、これですっきりした!
「真帆ちゃんとうまく付き合ってあげなよ。大丈夫、百合とかレズなんてさ、彼氏が出来るまでの女の子の遊びに過ぎないんだからさ」
「うん…」
「そう言えば萌にお金振り込んだ後、少し話ししたよ。あんなに話したのは何年ぶりかな」
「え、萌さんと?」
 ミュールでしばし地面に円を描き続けて柴崎さんが続ける。
「あのバカに言われたよ。もっと賢く生きろってさ。あたしは女は強く生きろって言い続けたけど、奴は女は賢く生きろって言い張ってた。あ・ま・え・ん・ぼ・うだってさ。くだらない」
「え、でもあの呪文、僕すごく心に響いてるもん」
「あ・ま・え・ん・ぼ・う…ね」
 呟く様に柴崎さんが言った後、再び暫く二人して沈黙。と柴崎さんが僕にぼそっと話しかけた。
「今日でお別れだね…」
「うん…」
 僕が軽くうなずく。
「短い間ありがとうございました」
「いや、すっげー長かったけど楽しかったわ。お金も一杯手元に残ったし…」
 僕は柴崎さんの胸にぎゅっと顔を埋めて、彼女の背中をぎゅっと抱きしめる。
「僕、柴崎さんの事ずっと忘れない。柴崎さんのお世話になった人がさ、終わってからも集まってくる訳がよくわかる」
「まあね、出来の悪い子程可愛いって言うから…」
 相変わらず口悪いって僕が思った瞬間、僕の頬に何か熱い水滴が落ちた。
「柴崎…さん?」
 突然彼女はひっくひっくし始めると、僕よりきつく僕の体を抱きしめる。僕も彼女の体をしっかり抱きしめ直した。お別れの言葉なんかいらなかった。二人して口から嗚咽の声、目からのたくさんの涙が、その言葉を代弁してくれた。そのままかなりの時間僕達は二人で抱き合っていたと思う。柴崎さん、本当にありがとう!
「さあ、お別れは淡白に。もうめそめそしない。明日から女子高校生でしょ。勇気と自身持って」
 目頭を拭きながら柴崎さんが僕を軽く突き放すそぶりをする。
「柴崎さんは?これから?」
「あたし?明日から都内の引きこもりの女の子の所よ。まあ久しぶりに体力勝負になりそうだわ」
「頑張ってください」
「杏奈ちゃんもね。じゃね。何かあったり話したい時はいつでも連絡しておいでよ。あたしのアフターサービスは万全だからね」
 そしてキティちゃん柄のピンクのVWに乗って柴崎さんが屋敷の門の前に。この車も今日で見納めなんだ。 
「じゃあ。元気でね」
「あ、はい、柴崎さんもお元気で」
 そして動き出す車に向かって大声で叫ぶ僕。
「自爆霊先生!お元気で!」
 少し長めのクラクションがそれに答えてくれた。
 屋敷に戻って、しばしの間柴崎さんが使っていた大広間横の畳敷きの控え室に行ってみる僕。元通り何も無くなって柴崎さんの付けていた香水の香りがまだ残っていた。
 僕は大の字にそこに寝転がって懐かしい日々を思い出す。幽霊の話して柴崎さんに枕でぼこぼこにされながら追い掛け回された日の事とか、萌さんの話して彼女が怒りながら部屋から出て行った時の事とか。昨日真琴さんとここでふざけあってた事とか。
(柴崎さん、どんな思いでこの天井眺めてたんだろう)
 相変わらず、部屋の奥では京極不動産の仮の事務所作っている人達の物音がしていた。 
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