山荘『ラヴェンデル』

文字数 2,232文字

 次の日が小野塚さんの仕事休みということで、俺たちは一緒に車で山荘『ラヴェンデル』へ向かった。最初は気難しそうに見えたが、話してみると丁寧に応対してくれる人で、本に書かれているような深い心の傷を負っているような様子ではなかった。

「驚きました、小野塚さんと会えるなんて。本にはずっと人付き合いがないようなことが書かれてましたから」
「そう書くと話が面白くなると思ったんでしょうね。凄惨な殺人事件の現場にいましたから、精神がおかしくなったと伝えた方が、信憑性も増しますし」
「……酷い話ですね」
「いや、実は20代の半ばまでは実際にそんな感じだったんです。10代には人前でも喋れませんでした。お陰様で色々な人が私を支えてくれて、精神の患いを克服することが出来ました。今では幸せな家庭を築けましたし、妻には感謝していますよ」

 25年以上前の事件なので、例え誇張した表現があっても今さら弁明する気にもなれないのだろう。近頃の実録本はそういう内容が多い。ネットにはこうして真実ではないデマが広がるんだなと、俺は少しだけ腹が立った。

「着きました、あれがラヴェンデルです」
 車を運転する小野塚さんが前方を指差すと、廃墟と化したラヴェンデルが姿を現した。深刻な老朽化が進んでいるとはいえ外観は辛うじて保っているため、なるほど、これなら肝試しとして格好のロケーションになると納得した。それに、建物の大きさはホテルとペンションの中間といったところで、20人は余裕で泊まれそうな施設に見えた。
「思ったより大きな建物ですね。もっとこう……家庭的な雰囲気の一軒家を想像していました」
「スキーやスノーボードだけでなく、登山や料理を楽しみたい人など様々なお客様を泊めてましたから。一般的な山荘のイメージだと登山客が一つの部屋に雑魚寝する感じですが、部屋分けされて個人のプライバシーもしっかり守られ、西洋風な内装もウケました。白蛇村は穴場として固定客も多かったのですし、それに合わせて両親は増設を繰り返したみたいです」

 ……これは実際に来てみないと分からないことが多くありそうだ。やはり文章と少ないフォト画像だけでは、想像できる範囲も狭まってしまう。

「中に入っても大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。足元に気を付けてくださいね」
「……彩さんはここに残る?」
「行くよ、車の中にいても退屈だし」
 一緒に付いて来た彩さんも建物の中に入るらしい。スキーよりもこっちに興味が出たのか、昨日の夜からテンションが高めである。

 正面入り口にある西洋風の鉄門を開けると、建物まで続く小道が現れた。見ると道の端に小さな噴水が置かれていたり、手入れが行き届いていた頃は綺麗な花などが道に沿って咲いていただろうと想像ができる。今では雑草が生い茂っている状態だが。
 そして建物の入り口まで歩くと、右側の壁に大きくスプレーで落書きされているのが見えた。廃墟あるあるだが、小野塚さんにとっては心が痛む光景だろう。

「酷いことする人がいるね」
 彩さんが頬を膨らませて怒っている。
「軍艦島のような文化財ではないですから、もう諦めていますよ。手放した施設ですし、更地にするお金もないので、当然こうなることは予想していました」
 そう言うと、小野塚さんは自嘲気味に笑った。
 俺は入り口ドアを開けて建物の中に入ると、持っていた懐中電灯で周囲を照らした。目の前には二階へ続く階段と、5人ほどが座れるボロボロのソファーがある。入って右側には受付のカウンターがあり、おそらく台の上に呼び鈴やレジスターが置かれていたのだろう。
「立派なソファーが残ってますけど、これは盗まれたりとかしなかったんですね」
 俺は小野塚さんに質問した。
「あの上で1人亡くなっていますから。今は消えてますけど、当時はかなり血が染みついてしまったみたいで」
 ……うええ、あのソファーには座りたくないな。

 一階にはキッチンや食堂、宿泊客が交流できるラウンジがあり、至ってシンプルな構成になっている。浴場はないが、おそらく泊まる部屋にシャワーが完備されているのだろう。俺は歩きながらスマホで動画撮影し、気になるところはピンポイントで写真を撮った。
 また、宿泊客が死んでいたと思われている場所も小野塚さんに教えてもらった。山荘には地下施設もある。そこで小野塚さんのご両親が亡くなっていたそうだ。俺は地下へ向かうドアの前で手を合わせた。
「あの……この事件は真犯人が分かってないそうですね」
 俺は小野塚さんに尋ねた。
「ええ、まあ。目撃者のほとんどが死んでいますし、唯一生き残った私も子供でしたので、証言としては信頼性に欠けました。証拠を集めると、宿泊客同士で殺し合った形跡がありますし、あまりに不可解なので警察も匙を投げたとか」
「俺の知り合いに優秀な探偵がいます。その人にアドバイスしてもらってもいいですか? もしかしたら事件解決の糸口になるかもしれません」
「探偵……ですか。私は別に構わないですが」
「じゃあ覚えている範囲で大丈夫ですから、事件の様子を教えてください」

 俺と小野塚さんは二階も含めて建物の中を歩き回り、何処で殺人が起きたかなどを詳しく教えてもらった。大まかなことは本に書かれている内容と一致したが、細かい部分で間違っている箇所があり、やはり現場に来て良かったと思えた。
 ……そして帰り際に、小野塚さんから衝撃的な一言が飛び出す。

「私、人を殺してしまったかもしれないのです」
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