第9話 敗戦投手

文字数 4,487文字

 幸運にも助けられた初勝利の後も、雅美の快投は続いた。
 中継ぎでの起用は変わらないが、イニング数も2回、3回と伸びて行く。
 そして雅美にはもうひとつ強みがあった、肩や肘を酷使しないフォームでナックルを主体に投げるので連投が効くのだ。
 先発ピッチャーは5~6回まで投げれば良い、その後は雅美が引き継ぎ、最後は林が締めると言うパターンが確立した。
 最初から5~6回を抑えれば良いと分かっていれば先発は最初から飛ばして行ける、よしんば早めに先発が捕まっても中継ぎ陣は休養充分だ。
 シーガルズは勢いに乗り、9月下旬に入って首位を奪うとそのままぐんと引き離してリーグ優勝を決めた。
 クライマックスシリーズの第一ラウンドが行われている間、適度な休養を取れたシーガルズは第二ラウンドも危なげなく勝ち抜き日本シリーズへ。
 プロ野球は日本における最高レベルの舞台、そして雅美はその中でも最高の舞台である日本シリーズに立てることになった。
 対戦相手はシーガルズと同じ年に新設された金沢ミリオンズ、シーズン2位からクライマックスシリーズを制して勝ち上がって来た、強力なクリーンアップトリオを擁する攻撃型のチームだ。

 日本シリーズは一進一退の攻防となった。
 シーガルズのホームで迎えた第1戦、第2戦は先発~雅美~林とシーガルズお得意の継投が決まってシーガルズが連勝を収めた。
 相手打線はオープン戦や交流戦でも雅美の投球を見ていない、映像では見ているものの実際にバッターボックスに入ってナックルを経験してはいないのだ。
 雅美はその2試合で3イニングづつ投げ、1勝1ホールドを挙げる活躍を見せた。

 だが、移動日を挟んだ第3戦、その雅美が捕まった。
 いくら連投が効くと言っても限度はある、シーズン終盤、クライマックスシリーズ、そして日本シリーズと毎試合のように2~3イニングを投げて来たのだ、ストレートのスピードが落ちて来ていてナックルに頼らざるを得ない。
 そもそもナックルは投げた本人にさえどう変化するかわからないボールだ、ただ落ちるだけの時もあるしタイミングさえピタリと合わせられれば当てられることもある、そして多少芯を外れてもプロのバッターなら外野まで持って行ける、そしてバットの下っ面に当たったとしても高いバウンドのゴロを打つことは可能だ。
 快打を浴びたわけではなかったが、内野安打と内野の頭を超える詰まったハーフライナーのヒット、それにフォアボールでノーアウト満塁のピンチを招くと、次のバッターは三遊間への高いバウンドのゴロ、ホームは微妙なタイミングだったがボールを掴んだショートは果敢にバックホームした。
 送球は完璧だった、ホームベース僅かに三塁寄り、地面すれすれ。 捕球すればそのままタッチできる。
 タイミングはアウトと見た三塁ランナーはヘッドスライディングでタッチを躱すのではなく、ストップスライドでミットを狙った。
 キャッチャーの松田もミットを狙われていることには気づいていたが、ボールの軌道からミットを外すわけにも行かない。
 バシッ!
 ボールがミットに収まるか収まらないかのタイミングでスパイクに弾かれ、松田はボールをミットに収めることが出来なかった。
 キャッチャーのバックアップに走った雅美だが、キャッチャーミットに弾かれたボールは緩く三塁側に転がった、満塁だったのでサードはベースから離れられない、雅美がようやく追いついてボールを拾い上げた時、二塁ランナーはもうホームの寸前、間に合わない。
「サード!」
 松田がそう叫ぶ、一塁ランナーもサードを狙っていたのだ。
 ボールを拾い上げた時にすぐに気づいていれば刺せたタイミング、だが、ホームが間に合わないと見た雅美はボールを持った右腕を下げてしまっていた、慌てて送球動作に入ろうとしたが、その時にはランナーは既にヘッドスライディングの態勢に入っていた。

「ごめんなさい」
 自分の油断から一塁ランナーまで三塁に進まれてしまったと言う動揺から、雅美は思わず松田に謝った。
「インプレーの間は常にランナーには気を付けてろよ……だけどこの失点は仕方がない、一本もいい当たりはされていないんだ、だが3点目は防がないと同点にされる、三振を狙いに行こう、ストレートはアウトコースへの捨て球と読まれてるみたいだ、俺のリードが単調だった、すまん……」
 そう言って松田は雅美をマウンドに送り返した。
 
 雅美のメンタルは強い、松田はそう思っている。
 過ぎたこと、結果にあまりくよくよしないのだ、男女差もあるのかもしれないが、基本的におおらかで
ポジティブな性格から来ているのだろうと思っている。
 一塁ランナーをサードで刺せなかったのは雅美のボーンヘッドだ、2点取られてもノーアウトランナー二、三塁とワンアウトランナー二塁では大きな差があるがそう引きずることもないだろうと考えてもいた。
 だが、それは『タピオカミルクティ』の呪文に支えられていたことを松田は知らない、しかし、この時雅美はその呪文を唱えることすら忘れていた。

 マウンドに戻った雅美は少し浮足立っていた。。
 8回の裏、5-4、ノーアウトランナー二、三塁で相手のクリーンアップを迎えると言う状況は厳しい現実だ。
 だがここを抑えられれば9回は林が控えている、三塁ランナーを返させるわけにはいかないし、まして二塁ランナーにホームを踏ませるわけには行かない。
 幸いにして相手クリーンアップには、シリーズを通してまだヒットを一本も打たれていない、強振して来るバッターにはナックルは特に有効なのだ。
 サインを覗き込むと、一球目はナックル。
 雅美は頷くとセットポジションに入った。
(絶対に抑える)
 その意気込みが力みにつながった。
 渾身の力を込めて投げたナックルは真ん中高めに入った。
(お願い! 曲がって!)
 ボールが緩い軌道を描いて落ち始める、ここで変化してくれなければ真ん中に入ってしまう……だが、ボールは雅美の願いを聞き入れてはくれなかった。
 ガキッ!
 決して真っ芯で捉えた当たりではなかった、バットのやや先、やや上っ面で捉えられたフライ、だが犠牲フライになるには充分な飛距離でセンターに上がった。
 センターはバックホームを諦めてサードにボールを送るが、ランナーは駿足の二番、進塁を許してしまった、5-5の同点となり、なおもワンアウトランナー三塁、逆転のピンチだ。
 普段は過ぎたことにくよくよしない雅美だが、さすがに日本シリーズと言う大舞台でこの状況は別だ、さっきサードでランナーを刺していればツーアウトランナー二塁、ヒットでなければ失点しないが、この状況では外野フライで逆転されてしまう。
 そして……このイニングだけで既に20球近く投げている、連日の登板で腕に疲労も溜まっていた。
 低目へ、低目へと意識して投げたが、やや勢いが落ちたボールはストライクゾーンをわずかに外れる、バッターの目から遠い低めへのナックルは空振りを取りやすいボールだが、この場面、相手4番は外野フライを打ち上げやすい高めしか待っていなかったので手を出してはくれない。
 結局4番を歩かせてしまい、迎える5番の初球、ナックルが真ん中に入ってしまった、少しこすったような当たりではあったが、ライトはバックしてフェンスに張り付き……そして思い切りジャンプしたが、ボールは差し出したグラブのわずか先を通過してスタンドに吸い込まれて行った。
 3ランホームラン。
 監督がベンチから飛び出し、審判にピッチャー交代を告げた。
 シーガルズは5-8と3点のリードを許してしまい、雅美はワンアウトしか取れずに6失点でノックアウトされてしまったのだ。

 結局シーガルズはそのまま敗れたが、対戦成績はシーガルズの2勝1敗、まだリードしている。
 試合後のロッカールームに暗い雰囲気はなかったが、雅美一人は別だ。
 しかも唯一の女性選手とあって、ロッカールームも別室、一人でうなだれて座っている他ない。
 すると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
 松田か小山が来てくれたのだと思った、しかし、ドアを開けたのは高橋ピッチングコーチだった。
「石川、お前、湘南に帰れ」
「そんな……」
 てっきりこのシリーズにもうお前は要らないと言うことかと思った……が。
「ああ、勘違いするな、どうやら大分疲労がたまっているようだ、腕が少し下がっていたぞ、一足先に湘南に帰って第6戦に備えてくれと言ってるんだ」
「あ……」
「すまん、お前を使い過ぎたようだ、一番安定してるもんで大事な試合だと思うとついお前をマウンドに送っちまう、お前を欠くのは痛いが他の中継ぎ陣は休養充分だから大丈夫だ、明日、明後日は他で賄う、今日のうちに帰ってしっかり体を休めろ、二軍ピッチングコーチには話してあるから調整メニューは奴に任せろ」
「はい」
「まあ、明日、明後日と勝っちまえば第6戦はないわけだがな、そんなに甘くはないだろう、第6戦、第7戦までもつれ込む気がするよ、そうしたらまたお前の力が必要だ、頼んだぞ」
「わかりました」
 高橋が出て行くと、廊下で何やら話し声がし、入れ替わるように松田が顔を出した。
「先に帰るんだって?」
「うん、向うで調整するように言われた」
「それが良いかもな、出づっぱりだったからな」
「腕が下がってるって言われた」
「ああ、俺も気づいてたけど、フォームを気にして制球が乱れてもいけないと思ってさ、ほんの少しだったし」
「自分じゃ全然気づかなかった、向うで二軍ピッチングコーチが見てくれるらしいからちゃんと調整しとく」
「ああ、それが良い」
「あたしがいないと寂しい?」
「そりゃ投手陣は手薄になるしな」
「そうじゃなくて個人的に寂しくない?」
「は? 何を言ってるんだか、たった2日だろ?」
「冗談よ」
「まあ、そういう冗談が言えるくらいだから切り替えは出来てそうだな」
「うん、女はね、過ぎたことはすぐ忘れて前を向けるの、良く言うじゃない、別れた恋人をいつまでも引きずるのは男で、女はすぐに忘れて次を探せるって」
「そんなもんかも知れないな……」
「あ、経験あるんだ」
「中学の時の初恋の娘だけな、俺が野球ばっかりだったんでふられちまった……忘れたわけでもないけど別に引きずってはいないけどな」
「そうなんだ」
「雅美は?」
「ヒ・ミ・ツ」
「あ、ズルいなぁ」
「女はちょっとくらい謎めいてた方が良いでしょ?」
「ピッチャーとして謎めかれると困るけどな……じゃあな、ホームで会おう」
「うん、再会を楽しみにしてる……冗談よ、着替えるからドア閉めてくれる?」
「はいはい」
 松田は笑いながらドアを閉めた
 メンタル面では問題はなさそうだ、疲労さえ取れれば大丈夫だろう。
 雅美が言った『ヒ・ミ・ツ』はちょっとだけ気になっていたが……。


 
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