立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は殺人事件

文字数 2,517文字

「おかしいな……」

 首を傾げた男の低い声が、狭い廊下の暗がりの奥に転がっていった。窓ガラスを叩く大粒の雨は一向に止む気配すら見せず、突風に煽られる木々の向こうで、稲光が二度、闇に染まった夜空を切り裂いていった。壁際に等間隔で備え付けられた蝋燭の、まるで蛇の舌のようにチラチラとか細い炎が男の影を揺らす。男はその場にかがみ込んで、深紅の絨毯に横たわるまだ温もりの残る死体をじっと眺めていた。

「おかしいって?」
「何か分かったのか? 探偵さん……」

 狭い廊下に屯ろしていた数名の宿泊客達が、男の背中から恐々と死体を覗き込み小声で尋ねた。探偵と呼ばれた男の名は、平等院鳳凰堂。明らかに偽名である。人を信用してなさそうな腫れぼったい目つき。パーマ頭に、無精髭。ヨレヨレのTシャツに破けたジーンズという、見た目も明らかに安っぽくて怪しさ満点だ。

「どうも、辻褄が合わないって話ですよ……」
「おお……”辻褄が合わない”……」

 まるで推理小説みたいな台詞だ、と宿泊客の一人が感嘆のため息を漏らした。

「見てください、この死体」

 そう言って平等院と名乗る探偵は、死体を指差しながら徐ろに破けたポケットから”スマートフォン”を取り出した。

「いいね!」
「おい、やめろ。死体の写真を撮って”いいね!”するんじゃない」
「失礼。探偵として謎を解くには、余りに”いい”死体だったものですから……つまり、この死体は何かがおかしい。”謎”をふんだんに含んでいる、と言うことです」
「何かって?」

 平等院は全世界に”いいね写真”を拡散しながら、床に転がった死体を覗き込んだ。

「普通死体ってのは、”死後硬直”というのがあります。大体二、三時間程度で、内臓や顎、首が硬直し十二時間もすれば全身が硬く冷たくなってしまうはずなんです」
「おお……”死後硬直”……」
「ところがこの死体はまだ暖かい。殺された田中さんは昨日の晩、確かに私達と共に夕食の席についていました。ということは、犯行時刻は夕食が終わった二十二時ごろから発見された二時過ぎまで……大体四時間の中で、ということです」
「うむ……」

 探偵が探偵らしいことをするので、宿泊客達は思わず固唾を飲んで怪しげな男の独演会を見守った。平等院は芝居掛かった演技で大げさに両手を広げ、暗がりの天井を仰ぎ見た。

「先ほどの死後硬直を考慮するとですね……犯行時刻はさらに限られた間になって来ます。そこで、皆さんにアリバイをお聞きしたい」
「おお……”アリバイ”……!」
「アリバイったって、夕食が終わった後は消灯してるし、それぞれ寝室に帰っただけなんじゃないか? 聞いて何の意味がある?」

 稲光がもう一度、窓の外を切り裂いた。突然自分達に懐疑の目が向けられ、騒つく宿泊客達に平等院は不敵に笑って見せた。

「実はですね……皆さんには隠していたんですが、私はある重要な情報を握っています」
「重要な情報?」
「実は私、夕食後田中さんを誘って私の部屋でチェスを楽しんでいたんですよ」
「何だって!?」
「そ、それは何時までだ?」

 途端に騒ぎが大きくなった。外では風がさらに勢いを増し、窓ガラスをガタガタと揺らす。平等院と田中がチェスを楽しんだのは、彼の記憶だと零時を一寸回ったところまでだった。二人は麦酒を酌み交わしながら、日付が変わるまで盤面で競い合ったのだと言う。


「……さらにその後私達は、実は夜風に当たるため二人でラウンジに行ったんです」
「何だって!?」
「そ、それは何時まで?」
「そうですねえ……大体一時くらいでしょうか? まだ雨は小雨で、火照った体に時折吹く風がとても気持ち良かったなあ……」
「なんてこった。どんどん犯行時刻が限られてくるじゃないか!」
「それから私達は部屋に戻ろうと……その時、確かこの廊下を通ったんです。それが大体二時過ぎかな……」
「そんなバカな!? それじゃあ犯行時刻が、余りにも限られすぎじゃないか!?」
「じゃあ、犯人は……!?」
「ううん……」


 その時だった。
 床に横たわっていた死体が、突然呻き声を上げて起き上がった。その場にいた誰もが息を飲み、生き返った死体に釘付けになった。そして次の瞬間、窓を叩く雨音すらかき消す大絶叫が、狭い廊下に響き渡った。

「ぎゃああああああああ!」
「た、田中さん!?」
「さ、早苗! 貴女、生きてたの!?」
「うぅ……頭痛い。皆……その男よ!」

 牡丹とも百合の花とも形容しがたい、何とも美しいその女性は、頭を押さえながら平等院を指差した。

「その男が、私がチェス出来ないのを知ってて無理やり……その上『事件が起きないから』とか訳わかんないことを言い出して、いきなり後ろから鈍器で……」
「何だって!?」
「鈍器じゃないよ。ポーン。チェスの駒さ」
「そんなバカな!?」

 突然の出来事に皆が動揺を隠せない中、平等院は晴れやかな表情で胸を撫でおろした。

「嗚呼良かった。これで謎が解けた。早苗さんは実は死んでなかったんだね。だから死後硬直が起こらなかった……。彼女の人生のチェックメイトは、まだまだ先だったんだ」
「何てやつだ……何も知らない素人に、二時間もチェスを無理強いするなんて……」

 いつの間にか、平等院はまるでチェスの盤面よろしく宿泊客達に囲まれていた。

「さあ皆さん。事件は解決しました。部屋に戻って寝るとしましょう」
「まだ終わってないぞ。むしろ始まったと言ってもいい」
「そんなに死後硬直が見たければ、最後に見せてやるよ」
「最後? これ以上、どんな事件が起こるというのですか?」
「いいね!」
「ちょ、やめ……勝手に人の写真を撮って”いいね!”して、全世界に拡散しないでください」
「安心しろ……これ以上お前の人生が”よく”なることはない」
「全然安心できな……何、な」

◻︎◻︎◻︎

 それから約二時間後。チェスのポーンの先端のように手足をもぎ取られ丸くなってしまった男の死体が、誰にも発見されないまま冷たくなって赤い絨毯の上に転がっていた……。
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