それでも最期に会いたかった

文字数 3,117文字

 病室に入ってくるなり、まだ生きてるじゃないと彼女は叫んだ。
「は、はめやがったなちくしょう……ちょっとふざけんなよ!!」
 彼女は付き添いのあいつに掴み掛かりながらそう喚いた。
 うるさい声だ、非常にやかましい。
 だが、死にそうになるほど嬉しかった。
 その声をずっと聞きたかった。
「だって、ああでも言わないとここにきてくれそうになかったから」
 摑みかかられたあいつは申し訳なさそうな声でそう言った。
 どうもあいつは俺が死んだと言って彼女をここに連れてきたらしい。
 そんな嘘をついてまで連れてきてくれたらしい。
 あいつの答えに彼女は舌打ちをして、あいつの身体を突き飛ばした。
「もういい、帰る」
 ぶすくれた顔でそう言って、彼女は病室を出て行こうとした。
「待って!!」
 突き飛ばされたあいつが泣きそうな顔で叫ぶ、彼女は振り返らずにうるさいと小さく唸った。
 その声は苦しそうだった。
 死ぬ前に一目会いたかったが、それだけだった。
 それだけで彼女が苦痛を感じるのであれば、もういい。
 最期に声を聞けて顔を見れただけで充分だった。
 あんな手紙を送りつけたものの、返答はわかりきっている。
 そもそも読んだのかもわからない。
 この女のことだ、きっと読まずにぐしゃぐしゃに破り捨てたのだろう。
 そうであればいいと思った、書いた時はそれをどうしても伝えたかったからつい書いてしまったが、あれは余計な一言だった。
 彼女の名前を呼んだ、彼女の肩が小さく揺れたが振り返ることはなかった。
「じゃあな」
 たった一言だけそう伝えることにした。
 引き止めるつもりはない。
 ここにいてくれるのであれば嬉しいとは思うが、きっとそれは彼女をさらに追い詰めることになるだろう。
 他に伝えたいことも色々とあったが、伝えたとしても彼女は怒るだけだろう、それに何を言ったところで自分はきっと彼女を傷付けるだけだ。
 本当は何も言わない方が良かったのかもしれない。
 だが、別れの言葉くらいは言っておきたかった。
 自分の言葉を耳にした途端、彼女が勢いよく振り返った。
 彼女はギッと自分の顔を睨み付けて、自分が横たわっているベッドまでドカドカと大股で歩み寄って、大きく息を吸った。
「ふっっっっざけんな!!!!!」
 鼓膜が震えるような大声で彼女は叫んだ。
 病院で叫ぶな、と普段なら言っていたのだろうがそんな言葉は彼女の顔を見て吹き飛んだ。
 彼女が自分の肩に摑みかかる。
 細い指が肩に食い込む、痛いと思ったがこの程度ならどうということもない。
 慌てた様子で立ち上がり自分から彼女を引き剥がそうとしているあいつを目線だけで制して、彼女に視線を戻す。
 改めて正面から見ると酷い顔だった。
 やつれているし目の隈もひどい。
 自分が倒れたその日からまともに食事を取っていないとも聞いた、ほとんど部屋から出てこなくなったとも。
 痛々しいほど痩せ細った彼女の姿はどこか病人じみている。
 そうなった原因はおそらく自分であるのだろう。
 ここまで酷いことになっているとは思っていなかった。
 あいつから話は聞いていたが本音を言うと半信半疑だったのだ。
 記憶の中の彼女はいつだって嫌味っぽくて皮肉げで自分の弱さを人に見られるのが大嫌いで、それ以上にこの自分の事を嫌っていた。
 あの女は倒れた自分のことを腹を抱えて笑っているんじゃないだろうかと思ったこともある。
 それが現実であればいいと願っていた時もある。
 だが、目の前に広がっているのはそんな願いとは遠く離れた現実だった。
「ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな……あなただけは絶対に許さないのは決定事項だけど、あなたのせいで私を騙したあの人のことも許せなくなった、あの人のことまで恨まなきゃならなくなった。私、あの人の事は結構好きだったのに……全部全部全部あなたのせいだ……!!」
「……ああ、すまない」
 素直に謝罪の言葉を口にしていた。
 それだけで済む問題ではないのだろうが、もう謝罪の言葉を吐くことくらいしか今の自分にはできない。
「あなたなんて大嫌いだし、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌い……憎くて憎くて憎くて憎くてたまらない!!」
「ああ」
 本当にそうであったのなら、きっと彼女がこんな風に追い込まれることはなかったのだろう。
 本当に、そうであったのならよかったのに。
 そうすればきっと彼女は死にゆく自分の姿を見て喜ぶ事ができただろうし、弱っていく自分の顔を見るために部屋に引きこもらずしょっちゅうこの病室を訪れていたのかもしれない。
 きっとそういう未来の方が自分達らしかったし、自分にとっても彼女にとってもいい未来だった。
「あなたなんて最初から大嫌いだった、徹頭徹尾大嫌い」
「ああ、知ってる」
 知っていた、そもそも彼女の不幸の発端は自分で、自分のせいで彼女は傷付き苦しみ続けた。
 だからこそその償いがしたかった。
「……知ってるなら、何で私を嫌ってくれなかったの」
 その言葉に、やはり自分はやり方を間違ってしまったのだと再認識する。
 自分はもっと彼女に憎まれ続ける存在でいるべきだった。
 徹頭徹尾嫌われ続けていればよかった。
 いっそ、心の底からから憎まれているうちに彼女に殺されていればよかったのかもしれないとも思う。
 これは自分の判断ミスだ。
 まさか自分がこんな形で彼女よりも先に死ぬ羽目になるとは思ってもいなかったのだ。
 だが、少しだけ安堵しているのも事実ではあった。
 死に顔を見られるか死に顔を見る羽目になるのか、その二択なら前者に方が圧倒的にましだったから。
 自分の寿命が残り少ない事を知ったその時にまず初めに思ったのは、彼女の死に顔を見ずに済むという安堵だった。
 この女が死ぬところなんて見たくなかった。
 冷たくなっていく手を握りたくもなかったし、別れの言葉なんて言われたくなかった。
 もしも立場が逆で、死にかけているのが彼女だったとするのなら、彼女は全力で自分に傷を残しにかかってきたのだろう。
 彼女は自分が彼女に向けている感情をある程度把握しているだろうから、嘲笑いながら楽しそうに楽しそうに。
 そうして笑いながら自分の手を握って死んでいったのだろう。
 彼女にとってはきっとそっちの方がまだ幸せな結末だったのだろう。
 自分にとってそれは最悪に近しい結末だが。
 そう思ってしまうこと自体が、きっと罪深いのだろう。
 顔を歪める彼女に答えを返す。
 本心は答えない、自分としては言っておきたい言葉ではあったが今の彼女にそれを伝えるのは酷だろう。
 自分が答えたあと、彼女はその顔をさらにくしゃくしゃに歪める。
 そのまま彼女は何も言わずに自分の顔を睨んでいたが、しばらくして小さく口を開く。
「………………あなた、何で私よりも先に死ぬの…………死ぬなら私が死んだ後にしてよ!! そうすれば私がこんな思いをする必要はなかった、あなたのためにあの人が私を騙すことだってなかったし、私があの人を恨んで大嫌いになることだって、なかったのに!! 私が……私がここまで苦しい思いをする必要なんて、なかったのに……」
「……悪かった。好きなだけ恨んで、憎め」
 だから。
 だから、もう泣くな。
 そう言うと、彼女はうるさいと怒鳴った。
 ボロボロと涙を流し顔を歪めるその弱々しい姿をほんの少しどころでなく愛おしいと思ってしまった自分の事を、自分は絶対に許してはいけないのだろう。
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