『チベット旅行記』
文字数 2,061文字
明治の初めのころのお坊様のお話。
日本人としておそらく初めてチベットへ入国し、法王ダライラマに会った河口慧海(かわぐち・えかい)師の、仏教の原点を探す冒険譚です。
日本や中国に伝わる仏教は、もともとのブッダの教えを漢語に訳してから、さらに現代語や日本語に訳しているということで、意訳や解釈の違いで結果様々な派閥に分かれてしまっているわけですね。で、この慧海師はその間違っているかもしれないものを「真実の教え」として蒙昧に信じ込んでいるのはよろしくないのではないか。と疑念を持ちます。
そこで、最もブッダの教えをそのまま伝えているであろう、当時のチベットへ直接行き、梵語の原典とチベット語訳の仏典を入手して研究しよう。と決意するのです。
当時のチベットは厳重な鎖国状態。日本人はもちろん入国することなんてできません。もし見つかって捕まることがあれば確実に命はなくなるでしょう。
普通はそんなところに行くのは無茶であると諦めるところです。誰もが「死にに行くようなものだ」と言って止めにかかります。でも、この方は「仏教の修行のために行くのだ。道中でもし死ぬようなことがあっても、それはありがたいことなのである」と言って冒険旅行をスタートします。
まず、インドへ向かい一年かけてチベット語を学び、隣国のネパールへ、そこから中国人のふりをしてチベット入りを果たそうとするのですが、普通のルートは当然厳重に警備され、国境を渡る道はすべて兵士によって閉ざされているわけです。
なんとか通り抜けられる間道を探し、大きく遠回りをした挙句、最後は単独徒歩で雪深いヒマラヤ山脈を越えて……、ようやく閉ざされた国、チベットへたどり着くのです。
ですが、まあ、とにかく冒険に次ぐ冒険です。
極寒の中、道なき道を進み、雪中に迷い、何度も何度も(本当に度々)凍死しそうになり、文字通り身を切る冷たさの氷片が流れる大河を裸で渡り、溺れ、荷物を無くし、強盗にあい、食料も水もなく荒野を何日もさまよい、犬には噛まれて血だらけになり等々……。
それでも、とにかく正しい仏典を求めていく姿がすごい。
身体はボロボロになり、何度倒れても動けなくなっても心は折れず、困難に立ち向かっていきます。このメンタルの強さはさすがお坊様です。
一難去ってまた一難、場合によっては一難去らないうちにより大きな難。といった具合のトラブルの山を、師は仏教によって解決して乗り越えていきます。
「寒く凍えどうしようもない時は、心静かに座禅をして修行として楽しむ」といった具合。もし凍え死んでしまったなら、それはそれで尊い修行をしながら死ねたのだからありがたいことだ。という風に、肉体的な限界を精神力で突破していきます。
いやはや、本当にすごいです。この方も、仏教も。
単に「すごい行動力」では語りつくせない明治の偉人の冒険記。
冒頭だけちょっと読みにくい硬い文の序文がありますが、それ以降はくだけた読みやすい文体で書かれています。
今ではおそらく失われてしまっている(だろう)チベットの風俗や宗教関係も細かく書かれています。まるで異世界冒険譚。
現代日本人もおそらく失っている(だろう)慧海師がもつ常に前向きで超強靭なメンタルも、とても刺激的で楽しく読めます。
文庫上下巻でけっこう長いのですが、(無事生還していることはわかっていても)この先どうなるんだろうとスリリングで楽しくよめました。
仏教・チベット・冒険、それぞれに興味はなくても、この生き方のすごさすばらしさ、一読の価値はあると思います。
いろんな意味でおすすめです。
あと、この本、青空文庫でまんま出ているようです。それをKindle化した本も0円で出てますね。
精神力も信仰の力も脆弱化した現代人のみなさん、無料で読めますのでぜひどうぞー☆
さて、この方、最後にはもちろん無事に日本に帰国するのです(最初に帰国してから書いたと書かれてるのでここまではネタばれじゃないのですが)
しかし、彼にかかわった現地の恩人たちが捕らえられて拷問を受けていると知り、そんなことをさせるわけにはいかないと、あるこれまた英雄的な行動にでます。それが本書の最後のほうのクライマックスなのですが、その後、いったん日本に帰り(この本を書き)、また、彼らを救うために再度チベットへ赴くのです。
それが書かれている、この本の続編『第二回チベット旅行記』という本も出ています。この本を読んだらそっちも読まないわけにはいきませんね!