第十話 ダンジョンの短距離走(前編)

文字数 2,097文字

 ダンジョンから帰り、トニーニに売り上げの報告をしに行く。
 トニーニは、とても明るい顔で嫌味を口にする。
「おや、蛍石さん、今日は随分と少ない売り上げですな」

 蛍石は投げやりに言い放つ。
「泥棒に遭ったんだよ」
 トニーニは遠慮なく笑った。
「そいつは、可哀想だ。だが、俺は、笑いはしても同情はしない。揶揄(からかい)はしても、補償はしない。そう、いつも通りの対応だ。むしろ、お前がここから出て行く日が先に延びて、俺は嬉しい」

「そうか。俺は、一日も早くトニーニの顔を見なくて済む日が待ちどおしいよ」
 トニーニの店を離れようとすると、トニーニが声を掛けてくる。
「待てよ。まだ話は、終わっていないぜ。イワンさんへのプレゼントの件だ。何を贈るか決めたか?」

(何だ、トニーニのやつ、通達を出したのは今朝だろう。それなのに、夜に用意できたかなんて、訊くのが早過ぎる。これは、鏡花のやつから百薬草を仕入れた事実を知ったか)

 トニーニの思惑(おもわく)がわからない以上、正直に答える気はしなかった。
(ここで百薬草の種を手に入れたと知ったら、取り上げに来るかもしれないぞ)

 蛍石は平常心を心掛け振り返る。
「まだ、決めてないな。でも、誕生パーティの日までには何か用意するさ」
 トニーニは目を細めて、素っ気なく警告する。
「そうか、まだか。なら、いい。だが、プレゼントには充分に注意することだな。間違っても、探索者が持ち込んだゴミみたいな品は、選ぶなよ」

(やっぱりトニーニは何か知っているな。だが、トニーニが親切で正しい内容を語るとは限らん)
「わかったよ。気を付けるよ」
 蛍石は弁当屋で、弁当とおにぎりを買って家に帰る。食事中にジャックに尋ねる。
「どこかに鉢がないか? 花の種を育てたい」

 ジャックが意外そうな顔をする。
「鉢はこの家の物置にあるが、何か草花を育てるのか? ここでは、草花の生育は良くないぞ。太陽がないのが一番の問題だ」

 蛍石は百薬草の種を見せて尋ねる。
「そうか。ここは、ダンジョン村だったな。イワンの誕生パーティがあるだろう。その時に俺は鉢植えの花を贈ろうと思うんだが、まずいだろうか?」

 ジャックが思案顔をする。
「鉢植えの花か。イワンが喜ぶとは思わん。だが、不機嫌になるとも思えない、微妙な品だな」
「俺はトニーニとは違う。それほど媚を売ろうとは思わない。嫌われない程度でいい」

 ジャックが気の良い顔で申し出た。
「なら、育ててみるのもいいかもしれん。どれ、昼間は儂が面倒をみてやろう。ひょっとしたら、美味い虫が寄ってくるかもしれない」
「人に贈る品だからな、虫とかは、付かないでほしいな」

 蛍石は夕食後、物置から鉢を出してくる。鉢に石、砂、土と入れて水捌(みずは)けを良くして百薬草の種を植えた。
 数日が経過する。いつものように朝になり、品物を仕入れてダンジョンに下りる。

 ダンジョンのフロアーに到達すると、数秒遅れで、四十歳くらいの一人の男性がやってきた。ダンジョン村では「馬活(ばかつ)先生」と呼ばれる、ダンジョン書家である。
 馬活の顔は面長で優しく、短い黒い髭を生やしていた。肌は色白で体格は痩せ型。 
 身長は百七十㎝と大きくない。服装は赤の道士服を着て、頭に黒い冠(かん)布(ぷ)を被り、黒い雲(うん)履(り)を履いている。

 馬活は魔法のスクロールを作成できる。馬活は探索者に好きなスクロールを書いてやり、売って生活していた。
 蛍石から挨拶をする
「馬活先生、一緒になりましたね」

 馬活は愛想の良い顔で挨拶を返す。
「蛍石さん、こんにちは。グレゴリーさんの言葉を借りれば、これもまた、縁でしょう。さて、今日は、どんな書を所望する客人が来るのやら」
「良いお客に恵まれると、いいですね」
「そうですな」
 
 馬活と別れて、店を開けそうな場所を探した。
 フロアーは四つの部屋から構成されていた。各部屋は縦五十m、横五十mの広さを持つ。それぞれの部屋は通路で一周するように連結されていた。
「あまり良い場所じゃないな。泥棒をするには不便だけど、商品を守るほうも大変だぞ」

 蛍石は南東の部屋の中央に敷物を敷いて商品を並べた。
 探索者がやって来た。探索者は一通りフロアーを巡回すると、蛍石の店の前で考え込む。
(考えている。考えているよ。泥棒できるかどうか思案している)

 下りる階段は隣の部屋にある。移動距離にして約百m。足の速い探索者なら逃げ切れると判断するかもしれない距離だった。
 だが、ここは、罠がある。蛍石は脚力を増加させる『闘神流戦闘術・流』がある。流で加速した蛍石を、普通の探索者では振り切る行為は不可能に近い。
(頼むから、泥棒しないでくれよ。泥棒したら俺は殺さなきゃならない)

 探索者は諦めた顔をして、商品を売買する。
 その後に、二人の探索者が来るが、二人とも、やはり考えて諦めた。
(移動距離を考えて安全策を採るか。それが賢い選択だ)
 蛍石は賢い探索者に安堵した。
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