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文字数 6,236文字

 そうか、みずきが……。
 カリンの胸を、あたたかいものが満たしていく。
(まったく……いずれ殺さなくちゃいけない相手なのに……)
 嗚咽が漏れた。
 ありがとう。彼女を――央霞を、ここによこしてくれて。
 その央霞は、カリンと陽平を庇うようにしてモルガルデンと対峙している。
 風を受け、燃えさかる炎のように黒髪がなびく。
 その背中は、この上なく頼もしいものとしてカリンの目に焼きついた。
「はしゃいでいるな」
 央霞は感情を抑えた声で、モルガルデンに言った。
「勝負の日までは大人しくしていろと言ったはずだが」
「身内の不始末を処理してただけだ。テメェにゃ関係ねえよ」
 モルガルデンは嘲るように返す。
「それとも、ソイツが内通者だと認めるかい? それならいちおう、こっちが休戦協定を破ったことになるだろうよ」
「ふざけたことを。あちこち破壊し、無関係の人間を大勢巻き込んだろう」
「だってソイツが逃げるからよゥ」
「……そうか」
 なにかを断念したように、央霞は息をついた。
「そんなことより、わざわざ出てきたってことは、ここでやり合うつもりなのかい? 聞いてた話よかちとはええが、傷はちゃんと治ってんだろうな、アァ?」
「問題ない。自分の身体の状態は、常に正しく把握している」
 そう言うと、央霞は羽織っていた上着を脱ぎ、足許に落とした。
「そいつァよかった――って、テメェ丸腰じゃあねえか」
「それが?」
 周囲の気温が二度ばかり下がった――少なくともカリンには、そう感じられた。
 カリンたちの側からは見えないが、おそらく央霞は瞳に静かな、しかし激しい怒りをたたえ、モルガルデンを睨み据えているのだろう。
 思い浮かべるだけで背筋が凍る。
 そんなもの(・・)を、真正面から受けとめてヘラヘラ笑っていられるモルガルデンは、よほどの阿呆か、さもなくば央霞にも匹敵する化物だ。
「わかったわかった。そんじゃ、まずは素手にて仕るとしようかい」
 モルガルデンの両手から武器がかき消えた。使い魔を刺青にもどしたのだ。
 岩石のような拳を打ち合わせ、ニヤリと歯を剥く――次の瞬間。
 武器と同様に、モルガルデンの姿が消滅した。
 現れたのは、央霞の眼前。腕を振りかぶり、立て続けに拳を繰り出す。
 攻撃をガードしながら、央霞は一度だけ、カリンたちに視線を送った。
「離れていろ」
 そう言われても、すぐには動けない。
 央霞は、右ストレートをダッキングでかわすと、その腕とモルガルデンの襟許をつかみ、身体を反転させた。
 豪快な背負い投げ。モルガルデンの巨体が、空の彼方へ飛んでいく。
 間髪をおかず、央霞はその後を追った。
「逃げよう……いまのうちに……」
 カリンは陽平に声をかける。だが、少年はぶんぶんと首を振った。
「逃げない」
 驚くカリンに、陽平は大丈夫だ、というように笑いかけた。
「央姉は、離れていろとは言ったけど、逃げろとは言わなかった」
「それって……」
 カリンは、央霞の走っていったほうへと視線を向けた。
 陽平がうなずく。
「央姉は勝つよ。だから、逃げる必要なんてない」


 モルガルデンが着地点で待ち構えていると、すぐに央霞は現れた。
 常人離れした脚力は、モルガルデンをして目を瞠るほどのものだった。
 駆けつけた勢いのまま、央霞が殴りかかってくる。
 けれん味も小細工も一切ない、真っ正直なストレート。面白い。モルガルデンは、それを正面から迎撃した。
 鏡合わせのように、まったくおなじ姿勢から。
 繰り出される拳と拳。ぶつかり合い、心地よい衝撃が腕から肩、全身へと伝わる。
「すこし痺れたか」
 カリンは、右手を何度か握ったりひらいたりした。
「へっ。いいねえ」
 久しくなかった強敵との戦いに、モルガルデンは昂ぶっていた。
 全身の細胞が、喜びに打ち震えているのを感じる。気力が充実し、神経も研ぎ澄まされている。いまなら、どんなにわずかな隙も見逃さない自信があった。
 相手がやる気満々なのもたまらない。これがカリンを痛めつけたことへの怒りによるものだとしたら、その甲斐があったというものだ。
 タタン、と素早く左右にステップ。身体が羽根のように軽い。央霞が息を吐いた瞬間に、予備動作なしに突っ込む。連続の突き。拳速は音の壁を超え、空気を破裂させる。
 央霞はまともに受けず、横に払っていなした。肘が飛んでくる――防御動作に組み込まれた流麗なる反撃。防ぐ。さらに掌打がくる。モルガルデンは地を蹴った。 遅い! 遅い! 遅い! そのまま背後にまわり込む。
 側頭部を狙って蹴りを放った。振り向きもせず、央霞は身を沈めてかわす。後方への足払い。モルガルデンは再度地を蹴る。
「ハッハァ!」
 自分の声を置き去りにするほどの速度で駆ける。央霞は目で追うのがやっとのようすだ。
「ついてこらんねえか? オレには、カリンみてえな完全な飛行能力はねえが、そのかわり地上での機動力なら誰にも負けねえ!」
 央霞の周囲を高速で駆けまわりながら、死角から拳と蹴りを叩き込む。
 はじめのうち、モルガルデンの攻撃を何発かしのぐごとに、央霞は反撃を試みていたが、攻防が長引くにつれ、徐々にその回数は減っていった。
 ここが勝負時と、モルガルデンはさらに激しく攻めたてる。
 そしてついに、央霞は完全に守勢にまわった。ガードをかいくぐった拳が数発。腹部を捉え、身体が宙に浮く。
「もらった!」
 とどめの一撃を加えるべく、モルガルデンは再度、央霞の背後を取ろうとする。
 そこで突然、目の前に手が現れた。
「な……ッ!?
 とっさのことで、かわすことができない。
 モルガルデンの顔面を、その手がはっしと受けとめた。まるで、飛んできたハエをつかまえでもするように。
 勢い余って前に出た両脚が、虚しく宙を掻く。
 そのまま、後頭部から地面に叩きつけられた。
「な……え……?」
 モルガルデンは目を瞬かせた。
 なにが起きた? 央霞か? だが、いまのいままで、奴は……。
「立てるか?」
 央霞が、こちらを見おろしながら訊ねる。
「お……おう」
 多少頭がぐらぐらしたが、思ったよりダメージは小さい。それよりも、戸惑いのほうが勝っていた。
「よし」――央霞がうなずく。
 同時に、下腹部に拳が突き刺さった。足が浮き、身体がくの字に折れ曲がる。たまらず、モルガルデンは逆流した胃液を吐き散らした。
!? !?
「今度はどうだ?」
 央霞がまた訊ねる。
 モルガルデンは、呻き声をあげながら、芋虫のようにのたうつばかりだった。
 絶好のチャンスにも関わらず、央霞は追い討ちをかけてこなかった。どうやら、こちらが落ち着くのを待っているらしい。
(……クソが! 舐めやがって! 余裕ブッこきやがって! 許さねえッ! ぜってー後悔させてやるッ!)
 呼吸を整えるや、モルガルデンは跳ね起きた。そのまま、油断している央霞の顔面に拳を突き出す――が、それよりも速く、央霞の踵が肩に落ちてきた。
「デェッ!?
 衝撃に耐えきれず、膝が崩れた。
 ふたたび地面に這いつくばったモルガルデンは、信じられない思いで央霞を見あげた。
 なんなのだ、コイツは。なんだというのだ。
「いちおう急所は外しているんだが。やはり、手加減は難しいな」
「ヒィ……ッ」
 モルガルデンはうつ伏せのまま身体の向きを変え、距離を取ろうとした。
 央霞は、ゆっくりと後を追ってくる。
「クッソォォオ! なんなんだテメェはッ!!
《ファシュブ》を大剣に変え、振り向きざまに斬りつける。
 央霞は右手を持ちあげると、手首のスナップを利かせて剣を弾いた。
 こつん、と、まるでいたずらした子供の額を小突くような、実に何気ないしぐさで。
 さらに央霞は、大きく一歩踏み込み、逆の手を引く。若干のひねりを加えながら前へ。
 また、身体が浮いた。脇腹に、拳大のくぼみが出来ている。肋骨が何本か粉砕されたのがわかった。
 声もなく吹っ飛ぶ。地面に顔を擦る。弾む。何度も弾む。途中、なにかに激突した。それでも勢いは止まらない。転がる。手をのばす。なんでもいい。なにかをつかんで止まらないと……。指を曲げ、地面をひっかいた。なおもまだ、勢いに身体をひきずられる。
「オオオオオオオオオオッ!」
 叫んだ。力いっぱい爪をたて、ようやく停止する。いったいどのくらい飛ばされたのか。信じがたいパワーだ。オーガだと? いやいやいや。これは、そんなもの遥かに超えている。
「なんだ、素手で戦うのはもう終わりか?」
 すぐ上で声がした。おそるおそる顔をあげると、腰に手をあてた姿勢で央霞が立っていた。
 それならそうと教えてくれないと――などと、彼女はぶつくさ言っている。
「お前だけ武器を持ってるのに、こっちは素手とか、フェアじゃないだろう。――あ、いや。むしろそのほうが対等な条件に近づくのかな?」
「なにを……言ってやがる……」
 混乱するモルガルデンに向かって、央霞はさらに意味不明な言葉を吐いてよこした。
「言い忘れていたがな。私は、武器を持ったほうが弱いんだ」


 道端に腰をおろし、カリンは流れる雲を眺めていた。
 その左手を、陽平が握ってくれている。
「逃げないとか言ってごめん」
 申し訳なさそうに、少年は言った。
「それよか、病院だったよね」
「平気よ。休んだら、楽になったから」
 硬化させた皮膚で傷を塞ぐことで、止血はできている。失った体力も、だいぶもどってきていた。
「本当に大丈夫?」
「もう。心配性ね」
 かつて弟や妹たちにそうしたように、右手をのばして陽平の髪をなでる。クセのない、柔らかな髪。
 央霞の心配はしていなかった。陽平の言葉もあったが、なによりカリン自身が、央霞の負ける姿を想像できなかった。
 それでも、道の向こうから央霞の姿がもどってくるのが見えたときは、すこしほっとした。
 央霞は、気絶したモルガルデンの襟首をつかんで引き摺っていた。央霞自身は、特に大きな怪我をしているようすもない。
 圧勝――だったのか。
 半ばわかっていたことであっても、背筋に冷たいものが走った。
 彼女に笑いかけるとき、顔がひきつりはしないかとヒヤヒヤした。
「コイツはどうする?」
 モルガルデンを持ちあげて、央霞が訊ねる。
 ここに捨てていってもいいのだが、しつこく付け狙われても厄介だ。
「わたくしが連れて帰りますわ」
 気取った声音とともに、白衣の美女がカリンたちのそばに降り立った。
「お前は、たしか……」
 央霞が顔をしかめる。
「わたくし、覇王ヘリデ・マイテの末裔にしてアビエントラントの騎士、アルメリア・デ・ヘルメリアと申します」
「む。あるめりあで、へ…………そうか」
「いま、なにかを途中であきらめたように聞こえたのですけれど、気のせいかしら?」
 央霞とのやりとりで、アルメリアに戦う気がないとわかり、カリンは緊張を解いた。
「まったく。単独で暴走したあげく、いつのまにか負けているなんて、不様という他ありませんわね」
「前にもそんな人がいたような……」
「なにかおっしゃいましたか?」
「い、いーえ。なにも」
 にこやかな笑顔で訊ねられ、カリンは慌てて否定した。
「今回のこと、謝罪いたしますわ」
 アルメリアは、モルガルデンを肩に担ぐと、央霞に向かって頭を下げた。
「それと感謝も。このお馬鹿の暴走を止め、もうひとりのお馬鹿を助けて頂きましたこと……」
「えっ」
 カリンは目を丸くした。まさか彼女の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったのだ。
「カリンさん。あなたも、こんなつまらないところでくたばるなんて許しませんわよ。あなたは、わたくしの……その……好敵手(ライバル)なんですからっ」
 早口でまくしたてると、アルメリアはカリンに背を向けた。
 ゆるく波打つ金髪を割って、コウモリの羽根が現れる。
 カリンは声をかけようとしたが、アルメリアはまるで逃げるように、建物の屋根の上を飛び去っていった。
 カリンよりも長いその耳が、赤く染まっていたように見えたのは気のせいだろうか。
「なんなの、アイツは……」
 アルメリアの姿はもう見えない。裏切ったわけではないのだと、せめてひと言伝えたかったのだが。
 いまとなっては、綾女の部屋で文句を言い合ってすごした日々が懐かしい。現金なものだ。あのエリート騎士のことを、あれほど毛嫌いしていたというのに。
「カリン姉ちゃん」
 陽平が、カリンの袖をひっぱった。
「もどっておいでよ」
「でも……」
「私からも頼む」
 央霞が言った。
「弟を、誰かがそばで見ていてくれれば、安心できる」
「いいの? どうしてもあなたを倒せないとなったら、彼を人質に取るかもしれないわよ」
「そのときはそのときだ。だが、いまはまだ、自力でなんとかするつもりなんだろう?」
「まあね」
 カリンは苦笑した。
 どうしてこうも見透かされてしまうのだろう。そして、それがあまり不快ではない。
「そうだ! みずきに、あなたが《欠片の保有者》かどうか、たしかめるよう頼まれてたんだわ」
「みずきに?」
「ええと、どうしようか。とりあえず、さわってみてもいい?」
「構わないが……」
 央霞は、どこを? という顔をした。そんなことを訊かれても、カリンにもよくわからない。
「か、欠片のありそうなとこ?」
「となると、心臓だろうか」
 央霞はシャツの胸許をはだけさせた。
「ちょ、ちょっと!」
「誰かに見られたらどうすんだよ!」
 あまりに躊躇がなさすぎて、かえってカリンや陽平のほうが狼狽えてしまう。
 なるべく乳房にはふれないようにして、カリンは央霞の胸に手をあてた。
(やばい。これ、余計に意識しちゃう……)
 集中しなければ。カリンは目をとじ、央霞から感じられるアルマミトラの気配だけに神経を向けた。
 おなじ《欠片の保有者》であっても、発せられる気配は一人ひとり微妙に異なる。
 いまは山茶花や千姫もそばにいることが多いため、彼女たちの気配も多少混じっているが、やはりもっとも強く感じられるのは、カリンが《こちら側》にやってきて最初に感知した、みずきの気配だった。
「どうだ?」
「うん……あなたは、ちがうと思う」
「そうか」
 央霞の表情からは、ほっとしているとも、残念に思っているとも取れなかった。
「まあ、みずきは喜ぶか」
「知ってたの?」
「アイツの考えそうなことくらいわかる」
「あー……そーですか」
 しれっとのろけられ、カリンはげんなりした。
 そうだった。央霞はこういうことを平気で言える奴だ。

 本当に、こんな調子で、自分の入り込む余地なんてあるのだろうか。

 そこまで考えて、ハッと我に返る。
(な、なに!? 私、なにを――そんなんじゃないから! そんなんじゃ……そ、そうだ。これはアルマミトラの力のせい! 《保有者》同士が惹かれあう……って、央霞が《保有者》じゃないなら、その理屈はおかしいじゃない!)
 カリンは、身もだえしながら自分の頭を掻き毟った。
 桜ヶ丘姉弟が、不思議そうにそのようすを眺めていた。
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登場人物紹介

カリン・グラニエラ(倉仁江花梨):
アビエントラントの女騎士。貧乏貴族の出身。三匹の黒猫を使い魔とする。


桜ヶ丘央霞:
百花学園二年。いわゆる「おっぱいのついたイケメン」

白峰みずき:
百花学園二年。生徒会長。邪神の魂をその身に宿しており、復活のため策動する。央霞のことが好き。

桜ヶ丘陽平:
央霞の弟。小学五年生。行き倒れたカリンを拾う。

三善山茶花:
百花学園一年。女子剣道部員。中性的な美少女。央霞のことが好き。

大紬茉莉花:
百花学園一年。明るく社交的な性格。千姫とは幼馴染で親友同士。

遠梅野千姫:
百花学園一年。人付き合いが苦手。割と毒舌。

アルメリア・デ・ヘルメリア:
アビエントラントの女騎士。旧王家の流れを汲むエリートで高飛車。

モルガルデン:
アビエントラントの女騎士。オークの血を引く戦闘部族の出身で、国内でも有数の武闘派。好色。

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