第2話:この世界や魔法の事について。
文字数 5,444文字
三十五歳の男が、金髪碧眼の美少女に壁際へと追い込まれる。
これが元いた世界であれば、おれは内心へらへらとして状況を楽しんでいたかもしれない。そういうプレイを愉しむお店なら大歓迎だ。
だが、今は心の底から湧き出る恐怖と緊張に精神を支配されてしまっていた。
魔女ミザリイは、じりじりと迫ってくる。
「ほれ、早く服を脱げ。服の上から魔紋を刻むと、肉に生地が巻き込まれて引き剥がすのに苦労するぞ?」
彼女は、淡々と恐ろしい事を口にする。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか?キミは状況を把握したかもしれないが、おれはまだ全然理解出来て無い。そもそも魔紋って何なんだ?身体に刻むって、要するに入れ墨やタトゥーみたいに消えない印を身体につけるって事か?」
おれはそう訴え掛けつつ、逃げ場所を探した。同時に何か武器になりそうな物が無いかと、闇雲に辺りを手探る。
「簡単に言えばそう言う事だ。私の魔力で、貴様の身体に消えない紋章を刻む。いや、消えないと言うのは少し語弊があるか。私が死んで魔力が完全に消失した際は、その時貴様が生きておれば魔紋は消える。あと、魔紋を消す技術を有する一族が存在するらしいが、私は百五十年の人生の中で、一度たりともその様な一族とは巡り合った事は無い」
彼女と会話をする度に、腑に落ちない点や不可解な言動が浮き上がってくる。
百五十年の人生とは、要するに現在百五十歳と言うことなのだろうか?どう見ても十代中ごろの女の子の様にしか見えないが。
もしかしたらこの世界は一年が五十日くらいなのかもしれない。それか一ヵ月でひとつ歳を数えるとか。
いや、そんな事より、今は何とかその魔紋とやらを回避する事を優先すべきだ。
力で押し返せば、当然難なく現状を打開することが出来ると思うが、何故かそう出来ない、そうさせない威圧感のようなものが彼女にはあった。
もう既に手を伸ばせば届く距離まで迫っていた。
「――ミ、ミザリイ?ひとつ、相談がある」
「うむ、何だ?聞いてやろう」
彼女はそう言いつつも、右手を眼前に上げ、人差し指を立てその先端に青白い光を灯らせていた。
いよいよ本格的に魔女っぽさが露見してくる。
「魔紋の件だが、一日、猶予をくれないか?余りにも色々な事が起こり過ぎて、おれはいまいち現状を把握出来てない。その状況で、訳も分からずに親から貰った身体を傷つける事は、おれの世界……いや、おれの育った国では、それは不徳にあたるんだ。魔紋は、必ず受けるから、一日の猶予を。その間に覚悟は、きっちりとつけるから。何処にも逃げ出さない。まあ、逃げ出す先が無い事は、キミも承知してるだろうし」
おれの必死の弁明を、彼女は静かに聞いていた。
基本的に、話はちゃんと聞いてくれる。だからこそ、交渉の余地はあるかもしれないと思っていた。
「ふむ、そうか。成程、親から貰った身体とは、中々新しい考え方だな。神から頂いた……と嘯 く輩は星の数ほどおるが、確かに親から生まれてくるのだから、貴様の国の考え方の方が正しいのかもしれん」
そう言うと、彼女は人差し指の先に灯っていた青白い光を消した。そして、指を折り右手を下ろし元居た席へと戻ってゆく。
おれは彼女の圧力から解放された脱力で、膝が抜けその場にへたり込んでしまった。余りの緊張から、背中は汗に塗れてしまっていた。
「では」と彼女はそう声を掛けて来て、おれの注意を引いた。
そして、顔を上げたおれと視線が重なると「明日、太陽が頂点に昇るまで猶予を与えよう。そろそろ陽が落ちる頃故、丸々一日とは言わんが、しかし、それだけ考えれば十分であろう?」と言った。
それを聞き、おれは「ふうう」と一息つき、額に浮かんでいた汗を手で拭った。
やはり思った通り、交渉が出来ない相手では無いのだ。
それを考えると、出来るかどうかはさて置き、明日の昼までに何とか、魔紋自体を回避する策を講じなければ、と思っていたが……今の今は全く何も良案が思い浮かばない。
しかし、ここは自分の殻に閉じ籠るよりも、彼女と会話をして兎に角、交渉材料を集めるしか無いと考えるに至っていた。
おれは、もう一度太く短く息を吐きその場に立ち上がり、悠然と構えるミザリイの対面の椅子に腰かけた。
「ひとつ言っておくが、魔紋を刻まれたからと言って、貴様の生活に然程支障は出んぞ?私に逆らったり反乱を企てると魔紋が燃え、死んだ方がマシと思える程の苦痛は負うがな。あと、私と私が属する魔女同盟に敵対する勢力からは拉致監禁され拷問を受けることにはなるか。他にも幾つかあるが、どちらにせよ、まあ、その程度の些細な問題だ。気にする必要は無い」
彼女はそう言うと、再び湯を沸かし始めた。最初の時は気が付かなかったが、火を点ける時に指先を弾いて火花を散らせていた。
要するに、それもひとつの魔法と言う事なのだろう。
いちいち、鍋を火に掛けて水を煮沸させているという事は、魔法により火花を散らす事は出来ても、水を魔力で煮沸させる事は出来ない……と言う事なのだろうか?
魔女と聞いて最初は眉唾物だったが、一旦それを受け入れてしまうと、実に色々と聞きたい事が思い浮かんで来てしまう。
今は魔紋から如何にして逃れるかの方が大切で優先事項だと分かってはいるが、生来持った探求心や興味心をおれは抑え込むことが出来なかった。
些細な事で、気にする必要は無いと言われたが、その事に関して深く考えるのは、今は止める事にした。
「ミザリイ?明日までの間、この世界や魔法の事について色々と聞いてもいいかな?」
おれは彼女の様子を伺いつつ、そう切り出した。
無駄に遜 ると今後の関係性が拗れてしまいそうなので、出来るだけ対等な立場で会話したいと考えていた。
「無論、それは構わん。そうする事で貴様の心が安らぐのであれば、夜を徹して語り合ってもいいくらいだ」
「それは有難い。何せ、おれのいた世界には魔法が無かったからな。まずは魔法がどういったものなのか教えて欲しい」
会話を始めると、彼女はおれの器に茶を注いでくれていた。
口調や表情は硬いが、彼女の行動を見る限り歓迎されて無い訳ではなさそうだった。
「ふむ、いや、それに関しては私も気になっておった。貴様は魔法を使えないし、魔法の無い世界からやって来たと言う。しかしながら、その割には、魔法に関して全くの無知では無い様な印象も受ける。それは要するに、過去には魔法を使える者がいたが現在は廃れてしまった為、歴史としての知識を有しているという事なのだろうか?本当に、魔法と言う存在を全く知らない世界から来たのなら、まず魔法と言う単語の意味から教えねばならぬ筈だからな」
ミザリイの言う事はごもっともで。
これに関して、おれは自分のいた世界における魔法の意味を極力正確に伝える必要があると考えていた。
おれは魔法の無い世界に住んでいたけれど、おれの頭の中には漫画や小説、アニメやゲームを通して多くの魔法理論やそのシステムが叩き込まれている。
その中の幾つかは、この異世界の魔法理論と共通してるものがあるかもしれない。
しかしながら、それで調子に乗って適当に話を合わせて会話をすると、後々面倒な事になりそうだとも、感じていた。
そうして考え込んでいる間、彼女は茶を堪能しつつ、おれの事をじいっと見詰めていた。
何となく、この間も彼女は彼女なりに思考を巡らせているのだろうと、思った。
おれは茶を一口飲み、改めて言葉を切り出した。
「――先ほども少し話したが、おれのいた世界では、魔法や異世界転移や転生を扱った創作物が溢れていて、おれが少なからず魔法の知識を有しているのは、一時期その手の創作物を読み漁った結果だ。基本的に、おれがいた世界は過去も現在も本物の魔法を使える存在は皆無だと、思う。だから、歴史を学ぶ様な感覚で魔法について学んだ事も無い。要するに、魔法は、おれの世界では創作物の作者の想像力により生み出されたもの……と言うのが、おれの認識だ」
ミザリイは茶を啜りつつ、おれの話を興味深そうに聞いていた。
実際、魔法を使える者からしてみれば、創作で魔法を題材にすると言う話は茶番に聞こえるかもしれない。
「ふむ、そうか。しかし、想像力のみで実際使えもしない魔法題材に創作物を作るとか、貴様のいた世界は変わっておるのう。しかし、魔法が無いとなると、色々と不便なことばかりだろう?いや、この世界にも魔力の弱い者、魔法が使えない者は幾らでもおるが、その分私たちの様な魔導に携わる者も多くいるからな、お互い持ちつ持たれつ互いの得意を活かして上手く関係性を保って生きておるが……。そうか、成程。要するに、貴様の世界には魔法に代わる別の何かがあるのでは無いか?貴様の容姿を見た限り、こちらの世界の住人とあまり変わらん。しかしながら、人間が生きてゆくには様々な壁や局面を乗り越えて行かねばならぬだろう?まだ貴様と出逢ってから、然程時は経過しておらぬが、こうして話す限り全く異なる異質な文明や文化の下育っては無い様な気もするのだ。魔法は無くとも、それに準ずる別の力を扱う事が出来て、貴様らはそれを、私たちが魔法を使うが如く巧みに操り生活している。何とも漠然とした解釈で申し訳無いが、私の言っている事は、理解出来るか?」
彼女からそう言われ、ふと思いついたのが電気や蒸気から生み出される力だった。
それらを扱う為に更に機械や道具を扱う必要があるが、今この場で例えば懐中電灯を灯したなら、彼女はそれを魔法だと思うかもしれない。
おれは彼女の話を聞きながら、作業着のポケットを探っていたが、スマホも懐中電灯も元いた世界の現場に置いて来てしまったらしい。
それさえ見せれば、もっとおれの世界の事を深く認識して貰えた筈だと思うと残念でならない。
「ミザリイが言わんとしてる事は理解出来ていると思う。確かに、おれの世界には魔法の代わりになるものがある。例えば……」
おれはそう言って、電気や化石燃料についての説明に移ろうとしたが、ミザリイから「そうだろうな。しかし、今はその話は止めておこう。私から見た異世界の事について、勿論、興味はあるが、今は貴様がこの世界について学ぶ方が優先度が高い」と言われ、おれは口を閉ざし、茶で喉を潤した。
やはり、彼女は悪い魔女では無いのだと思う。
明日の正午に、魔紋を身体に刻まれる件以外は、むしろ良心的でいい人でしかない。
「うん、分かったよ。では、改めて、この世界の魔法について、教えて欲しい」
おれはそう告げて、また一口茶を飲んだ。薄味だが、妙に癖になる飲み物だった。
「良かろう。魔法の何から知りたい?」
彼女はそう言い、右手を眼前に出し、人差し指の先に青白い光を灯らせていた。
「では、魔法は、何を糧として発動してるんだ?」
「ふむ、では極々簡単に説明してやろう。この世界の自然界はな、マナと呼ばれる魔力で満ち溢れておる。我々魔女は、そのマナを体内へと取り込み圧縮して自らの魔力としておるのだ。従って、体内で圧縮した魔力は自然界のマナより濃度が高い。ここまでは理解出来るな?」
真剣に話を聞いていて、おれは咄嗟の問い掛けに返事をすることが出来ず、首を縦に振り意思を示した。
「――で、その高濃度の魔力を魔導具を通して放出させると、その魔導具の特色次第で様々な効果の魔法が使える、と言う事だ。火属性の魔導具を介在させれば炎を操る事が出来、風属性の魔導具を介在させれば風を操る事が出来る、と言った具合でな。ここまで、何となく理解出来たか?」
「あ、ああ、うん、何となくな。要するに、魔導具が無ければ、魔法は使えないって事だろう?今、指先が光っているのも、何かしら魔導具を介在させているという事か?」
おれがそう尋ねると、彼女は人差し指にはめてある指輪を見せてくれた。
黒い宝石が付いた細かな模様が施された指輪だった。
魔導具と言っていたので、何か禍々しい極悪なフォルムを想像していたのだけれど、思いの外簡素な物だったので拍子抜け感は否めない。
「この、黒い指輪が魔導具?」
「うむ、これは契約の指輪と言ってな、魔女ならば皆つけておる。要するに、魔紋を他者に刻むのに必要な魔導具だ。ちなみにひとつ誤解がある。魔女は魔導具無しでも魔法を使うことが出来る。魔導具を使うのは、高威力高出力の実現と古来からの風習のためだ」
「じゃあ、さっき湯を沸かす時に使った火花は魔導具無しの魔法ってこと?」
「あれは、魔法とは言えないな。圧縮した魔力を瞬間的に放出させたら、あの程度の火花は発生するから。少しコツはいるが。魔導を志す者は大抵子供の頃に遊びがてらそれを覚えるのだ。それが出来ぬ者は魔力の圧縮も出来ぬし、圧縮した魔力を魔導具に注入する事もままならんからな。今更になるが、だからこそ、私は驚いておるのだ。魔導具を持たず、魔力圧縮も出来ない貴様が、飄々と魔力疎通を使っておる事に」そう言うとミザリイは、僅かに苦い笑みを零した。
その時、おれは初めて彼女の笑みを見た。
苦笑いながら、その表情の可愛さに思わず心がときめいてしまった。
これが元いた世界であれば、おれは内心へらへらとして状況を楽しんでいたかもしれない。そういうプレイを愉しむお店なら大歓迎だ。
だが、今は心の底から湧き出る恐怖と緊張に精神を支配されてしまっていた。
魔女ミザリイは、じりじりと迫ってくる。
「ほれ、早く服を脱げ。服の上から魔紋を刻むと、肉に生地が巻き込まれて引き剥がすのに苦労するぞ?」
彼女は、淡々と恐ろしい事を口にする。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか?キミは状況を把握したかもしれないが、おれはまだ全然理解出来て無い。そもそも魔紋って何なんだ?身体に刻むって、要するに入れ墨やタトゥーみたいに消えない印を身体につけるって事か?」
おれはそう訴え掛けつつ、逃げ場所を探した。同時に何か武器になりそうな物が無いかと、闇雲に辺りを手探る。
「簡単に言えばそう言う事だ。私の魔力で、貴様の身体に消えない紋章を刻む。いや、消えないと言うのは少し語弊があるか。私が死んで魔力が完全に消失した際は、その時貴様が生きておれば魔紋は消える。あと、魔紋を消す技術を有する一族が存在するらしいが、私は百五十年の人生の中で、一度たりともその様な一族とは巡り合った事は無い」
彼女と会話をする度に、腑に落ちない点や不可解な言動が浮き上がってくる。
百五十年の人生とは、要するに現在百五十歳と言うことなのだろうか?どう見ても十代中ごろの女の子の様にしか見えないが。
もしかしたらこの世界は一年が五十日くらいなのかもしれない。それか一ヵ月でひとつ歳を数えるとか。
いや、そんな事より、今は何とかその魔紋とやらを回避する事を優先すべきだ。
力で押し返せば、当然難なく現状を打開することが出来ると思うが、何故かそう出来ない、そうさせない威圧感のようなものが彼女にはあった。
もう既に手を伸ばせば届く距離まで迫っていた。
「――ミ、ミザリイ?ひとつ、相談がある」
「うむ、何だ?聞いてやろう」
彼女はそう言いつつも、右手を眼前に上げ、人差し指を立てその先端に青白い光を灯らせていた。
いよいよ本格的に魔女っぽさが露見してくる。
「魔紋の件だが、一日、猶予をくれないか?余りにも色々な事が起こり過ぎて、おれはいまいち現状を把握出来てない。その状況で、訳も分からずに親から貰った身体を傷つける事は、おれの世界……いや、おれの育った国では、それは不徳にあたるんだ。魔紋は、必ず受けるから、一日の猶予を。その間に覚悟は、きっちりとつけるから。何処にも逃げ出さない。まあ、逃げ出す先が無い事は、キミも承知してるだろうし」
おれの必死の弁明を、彼女は静かに聞いていた。
基本的に、話はちゃんと聞いてくれる。だからこそ、交渉の余地はあるかもしれないと思っていた。
「ふむ、そうか。成程、親から貰った身体とは、中々新しい考え方だな。神から頂いた……と
そう言うと、彼女は人差し指の先に灯っていた青白い光を消した。そして、指を折り右手を下ろし元居た席へと戻ってゆく。
おれは彼女の圧力から解放された脱力で、膝が抜けその場にへたり込んでしまった。余りの緊張から、背中は汗に塗れてしまっていた。
「では」と彼女はそう声を掛けて来て、おれの注意を引いた。
そして、顔を上げたおれと視線が重なると「明日、太陽が頂点に昇るまで猶予を与えよう。そろそろ陽が落ちる頃故、丸々一日とは言わんが、しかし、それだけ考えれば十分であろう?」と言った。
それを聞き、おれは「ふうう」と一息つき、額に浮かんでいた汗を手で拭った。
やはり思った通り、交渉が出来ない相手では無いのだ。
それを考えると、出来るかどうかはさて置き、明日の昼までに何とか、魔紋自体を回避する策を講じなければ、と思っていたが……今の今は全く何も良案が思い浮かばない。
しかし、ここは自分の殻に閉じ籠るよりも、彼女と会話をして兎に角、交渉材料を集めるしか無いと考えるに至っていた。
おれは、もう一度太く短く息を吐きその場に立ち上がり、悠然と構えるミザリイの対面の椅子に腰かけた。
「ひとつ言っておくが、魔紋を刻まれたからと言って、貴様の生活に然程支障は出んぞ?私に逆らったり反乱を企てると魔紋が燃え、死んだ方がマシと思える程の苦痛は負うがな。あと、私と私が属する魔女同盟に敵対する勢力からは拉致監禁され拷問を受けることにはなるか。他にも幾つかあるが、どちらにせよ、まあ、その程度の些細な問題だ。気にする必要は無い」
彼女はそう言うと、再び湯を沸かし始めた。最初の時は気が付かなかったが、火を点ける時に指先を弾いて火花を散らせていた。
要するに、それもひとつの魔法と言う事なのだろう。
いちいち、鍋を火に掛けて水を煮沸させているという事は、魔法により火花を散らす事は出来ても、水を魔力で煮沸させる事は出来ない……と言う事なのだろうか?
魔女と聞いて最初は眉唾物だったが、一旦それを受け入れてしまうと、実に色々と聞きたい事が思い浮かんで来てしまう。
今は魔紋から如何にして逃れるかの方が大切で優先事項だと分かってはいるが、生来持った探求心や興味心をおれは抑え込むことが出来なかった。
些細な事で、気にする必要は無いと言われたが、その事に関して深く考えるのは、今は止める事にした。
「ミザリイ?明日までの間、この世界や魔法の事について色々と聞いてもいいかな?」
おれは彼女の様子を伺いつつ、そう切り出した。
無駄に
「無論、それは構わん。そうする事で貴様の心が安らぐのであれば、夜を徹して語り合ってもいいくらいだ」
「それは有難い。何せ、おれのいた世界には魔法が無かったからな。まずは魔法がどういったものなのか教えて欲しい」
会話を始めると、彼女はおれの器に茶を注いでくれていた。
口調や表情は硬いが、彼女の行動を見る限り歓迎されて無い訳ではなさそうだった。
「ふむ、いや、それに関しては私も気になっておった。貴様は魔法を使えないし、魔法の無い世界からやって来たと言う。しかしながら、その割には、魔法に関して全くの無知では無い様な印象も受ける。それは要するに、過去には魔法を使える者がいたが現在は廃れてしまった為、歴史としての知識を有しているという事なのだろうか?本当に、魔法と言う存在を全く知らない世界から来たのなら、まず魔法と言う単語の意味から教えねばならぬ筈だからな」
ミザリイの言う事はごもっともで。
これに関して、おれは自分のいた世界における魔法の意味を極力正確に伝える必要があると考えていた。
おれは魔法の無い世界に住んでいたけれど、おれの頭の中には漫画や小説、アニメやゲームを通して多くの魔法理論やそのシステムが叩き込まれている。
その中の幾つかは、この異世界の魔法理論と共通してるものがあるかもしれない。
しかしながら、それで調子に乗って適当に話を合わせて会話をすると、後々面倒な事になりそうだとも、感じていた。
そうして考え込んでいる間、彼女は茶を堪能しつつ、おれの事をじいっと見詰めていた。
何となく、この間も彼女は彼女なりに思考を巡らせているのだろうと、思った。
おれは茶を一口飲み、改めて言葉を切り出した。
「――先ほども少し話したが、おれのいた世界では、魔法や異世界転移や転生を扱った創作物が溢れていて、おれが少なからず魔法の知識を有しているのは、一時期その手の創作物を読み漁った結果だ。基本的に、おれがいた世界は過去も現在も本物の魔法を使える存在は皆無だと、思う。だから、歴史を学ぶ様な感覚で魔法について学んだ事も無い。要するに、魔法は、おれの世界では創作物の作者の想像力により生み出されたもの……と言うのが、おれの認識だ」
ミザリイは茶を啜りつつ、おれの話を興味深そうに聞いていた。
実際、魔法を使える者からしてみれば、創作で魔法を題材にすると言う話は茶番に聞こえるかもしれない。
「ふむ、そうか。しかし、想像力のみで実際使えもしない魔法題材に創作物を作るとか、貴様のいた世界は変わっておるのう。しかし、魔法が無いとなると、色々と不便なことばかりだろう?いや、この世界にも魔力の弱い者、魔法が使えない者は幾らでもおるが、その分私たちの様な魔導に携わる者も多くいるからな、お互い持ちつ持たれつ互いの得意を活かして上手く関係性を保って生きておるが……。そうか、成程。要するに、貴様の世界には魔法に代わる別の何かがあるのでは無いか?貴様の容姿を見た限り、こちらの世界の住人とあまり変わらん。しかしながら、人間が生きてゆくには様々な壁や局面を乗り越えて行かねばならぬだろう?まだ貴様と出逢ってから、然程時は経過しておらぬが、こうして話す限り全く異なる異質な文明や文化の下育っては無い様な気もするのだ。魔法は無くとも、それに準ずる別の力を扱う事が出来て、貴様らはそれを、私たちが魔法を使うが如く巧みに操り生活している。何とも漠然とした解釈で申し訳無いが、私の言っている事は、理解出来るか?」
彼女からそう言われ、ふと思いついたのが電気や蒸気から生み出される力だった。
それらを扱う為に更に機械や道具を扱う必要があるが、今この場で例えば懐中電灯を灯したなら、彼女はそれを魔法だと思うかもしれない。
おれは彼女の話を聞きながら、作業着のポケットを探っていたが、スマホも懐中電灯も元いた世界の現場に置いて来てしまったらしい。
それさえ見せれば、もっとおれの世界の事を深く認識して貰えた筈だと思うと残念でならない。
「ミザリイが言わんとしてる事は理解出来ていると思う。確かに、おれの世界には魔法の代わりになるものがある。例えば……」
おれはそう言って、電気や化石燃料についての説明に移ろうとしたが、ミザリイから「そうだろうな。しかし、今はその話は止めておこう。私から見た異世界の事について、勿論、興味はあるが、今は貴様がこの世界について学ぶ方が優先度が高い」と言われ、おれは口を閉ざし、茶で喉を潤した。
やはり、彼女は悪い魔女では無いのだと思う。
明日の正午に、魔紋を身体に刻まれる件以外は、むしろ良心的でいい人でしかない。
「うん、分かったよ。では、改めて、この世界の魔法について、教えて欲しい」
おれはそう告げて、また一口茶を飲んだ。薄味だが、妙に癖になる飲み物だった。
「良かろう。魔法の何から知りたい?」
彼女はそう言い、右手を眼前に出し、人差し指の先に青白い光を灯らせていた。
「では、魔法は、何を糧として発動してるんだ?」
「ふむ、では極々簡単に説明してやろう。この世界の自然界はな、マナと呼ばれる魔力で満ち溢れておる。我々魔女は、そのマナを体内へと取り込み圧縮して自らの魔力としておるのだ。従って、体内で圧縮した魔力は自然界のマナより濃度が高い。ここまでは理解出来るな?」
真剣に話を聞いていて、おれは咄嗟の問い掛けに返事をすることが出来ず、首を縦に振り意思を示した。
「――で、その高濃度の魔力を魔導具を通して放出させると、その魔導具の特色次第で様々な効果の魔法が使える、と言う事だ。火属性の魔導具を介在させれば炎を操る事が出来、風属性の魔導具を介在させれば風を操る事が出来る、と言った具合でな。ここまで、何となく理解出来たか?」
「あ、ああ、うん、何となくな。要するに、魔導具が無ければ、魔法は使えないって事だろう?今、指先が光っているのも、何かしら魔導具を介在させているという事か?」
おれがそう尋ねると、彼女は人差し指にはめてある指輪を見せてくれた。
黒い宝石が付いた細かな模様が施された指輪だった。
魔導具と言っていたので、何か禍々しい極悪なフォルムを想像していたのだけれど、思いの外簡素な物だったので拍子抜け感は否めない。
「この、黒い指輪が魔導具?」
「うむ、これは契約の指輪と言ってな、魔女ならば皆つけておる。要するに、魔紋を他者に刻むのに必要な魔導具だ。ちなみにひとつ誤解がある。魔女は魔導具無しでも魔法を使うことが出来る。魔導具を使うのは、高威力高出力の実現と古来からの風習のためだ」
「じゃあ、さっき湯を沸かす時に使った火花は魔導具無しの魔法ってこと?」
「あれは、魔法とは言えないな。圧縮した魔力を瞬間的に放出させたら、あの程度の火花は発生するから。少しコツはいるが。魔導を志す者は大抵子供の頃に遊びがてらそれを覚えるのだ。それが出来ぬ者は魔力の圧縮も出来ぬし、圧縮した魔力を魔導具に注入する事もままならんからな。今更になるが、だからこそ、私は驚いておるのだ。魔導具を持たず、魔力圧縮も出来ない貴様が、飄々と魔力疎通を使っておる事に」そう言うとミザリイは、僅かに苦い笑みを零した。
その時、おれは初めて彼女の笑みを見た。
苦笑いながら、その表情の可愛さに思わず心がときめいてしまった。