探し物

文字数 1,920文字

 二日旅をし、そのうちに魔狼の追撃の手も緩み、ミコシエは夢の中の追っ手に悩まされることもなく、夜は安眠できた。
 雪が降ったのはあの一度きりで、積もるほどには降らなかった。
 
 他に気になることと言えば、姿を消した戦士らの生き残りのことがあったが、無事先を行っているのか、しかしそれにしては野宿の形跡もない。
 全くあらぬ方向へと迷い込んだのか。
 峠には、道を踏み外せば迷い込む魔の巣が幾つもあると言うし……それともすでに魔物に根こそぎ食われてしまったのかもしれない。
 
 根こそぎ食べられる……とはどういうことだろう。
 ミコシエは、夜の闇の中で、思い馳せる。
 持ち物も、骨も残らずに。自分に関わる全てのものはこの世からなくなってしまう。
 それは、あの夢の中で、雨の向こうに消えていくのと似ているのだろうか。
 いや、違う。
 血が飛び散り内臓がぐしゃぐしゃの、掻き毟られた痛みと絶叫の断末魔の果てにある死ではない……雨の向こうに消えてゆくというのは、ただそこにある死だ。死が、死のみとしてただそこにある。
 それは、死というものでもないのかもしれない。
 ただ、消えてゆく……全てが……静かに。
 
 ミコシエは、夢を見た。
 魔物がいた。
 雨が細かい粒子になった霧の中に佇む、巨大な魔物。目も鼻もないただまっ黒で、巨大な口を空けている魔物。その口はまるで空だ。
 
 これが私の死か。
 
 いや、光……
 
 その巨大な空の口の奥深くに見えるかすかでしかし強い小さな光。
 
 見えた……あれが、あれが私の探すべきものだったのだ。
 だけど……死か。
 死の中に、光があるのか?
 それとも……死が光?
 ミコシエは剣を構えた。語りかける。
 
 魔物。
 おまえは私を食べようとするのか? その光を渡さないものなのか?
 ならば私はおまえを倒してその光を……奪う。ああ、これが私の戦いだ。
 
 だが、魔物は動かない。
 
 違うのか?
 おまえは、私にその光を渡すものなのか?
 私を食らうことで私にその光を与えようとするものなのか?
 どちらだ。
 
 魔物は動かない。
 
 ならば。
 ミコシエは、踏み出す。
 一歩……いや、動かない。
 どうして、私は動けない――ミコシエはもう一度踏み出そうとする。
 どうして私は動かない。
 誰かが、私のことを掴んでいる。
 どうして邪魔をする?
 そこに私の探しているものがあるというのに……。
 
 霧は、細かい雨に変わっていた。
 前方には、ただ闇が広がっているだけだ。
 魔物がいたところが出っ張りのようになって、そこから闇が広がっている。
 
 女が自分を抱きとめている。
 どうして……こんなに温かい。
 
 雨の中に、小さな影の魔物がチラホラと見え出す。
 いつものあいつら……か。
 
 行ってはいけない。
 
 声が聴こえる。
 その子達は、まやかし……
 そこにあなたの、探すものはない…… ……
 
 まやかし。
 まやかし?
 
 この温かさは、この温かさこそ、まやかしではないのか。
 この温かさを、私は知ってはいけなかったのではなかったか……
 
 雨が、流れていく。水になって、そこに別の景色が見える。
 過去かもしれない。未来かもしれない。
 
「王……」
 と私は言っている。
 
「王、私は探し物を……」
 
「おまえの探し物など、とっくにもうないのだよ……」
 
「王、私は誓いを破っておりません! 決して…………!!
 
 水が、温かくなる。
 何かが、丸くなる。
 いけない。
 温かさを振り払い、すると雨の中に出る。
 影の魔物が散っていく。
 
 やめろ!
 
「――どうしたの?」
 
 後ろから、鮮明な声がしたのを、ミコシエは聞いた。
 
「狼……?」
 
「いや、……違った」
 
 辺りは暗い。
 野宿の晩だった。樹の上の枝葉に隠れて、眠っていたのだ。
 魔法の火がぽっとついて、レーネの顔が浮かぶ。
 
「大丈夫?」
「ああ、……」
 
 それより、私のことを……抱いていなかったか。と呟くようにミコシエは問うた。
 
「ごめんなさい……近寄りすぎていたかも。寒く……なったね。それにこの、雨」
 
 雨が霧状になって、枝葉を縫って入り込んで二人を濡らしていた。
 
「いいか、ちょうど汚れを洗い流せたみたいで……だけど温かいお風呂に、入りたいな。何も考えずに故郷を飛び出してきて、それだけ少し、後悔したかも」
 
 温かさ……自分はこの女の温かさを、本当は求めてしまっているのかもしれない、とミコシエは思った。
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