第2話 癒しと着信

文字数 1,671文字

「十回、いや、百回くらいブルブルしていたよ」
 風呂からあがった蛍がリビングに戻ると、キッチンでハーブティーを用意していた夫慎二からそう告げられた。どうやら蛍のスマホにSNSのメッセージが大量に届いたようだった。
 時刻は二十三時。風呂には一時間程入っていたのでその間のことだろう。蛍はアロマ入浴剤でしっかり温まった全身に、心地よい眠気を感じながら、バスタオルを髪の毛に巻く。
「こんな時間に何事だろうね」
 テーブルに手を伸ばす蛍に慎二が云った。夫婦とはいえ互いのスマホを覗く流儀ではなく、慎二が延々と振動する蛍のスマホを気にかけたのは当然だった。
 無闇に呼びかけてくるタイプの友人は思い当たらないと考えながら、もしかしたらSNS内のグループチャットにメンバーを騒然とさせる何かしらの話題、例えば誰かの結婚や出産、または事故や災難が知らされ次々に反応が書き込まれたのかもしれないと想像した。
 それでも夜遅くにやりとりする必要はない。独身時代であれば食事中であろうが就寝中であろうが友人からスマホに届いた連絡には興味を傾け反応していたものだが、結婚して二年が経った最近ではすっかり交友関係の形も変化し連絡自体をとりあうことが少なくなったし、日々の仕事の疲れを癒したいこともあって、会社から帰宅し慎二と食事をとる頃には心も体もリラックスしようとスマホの存在をあえて気にかけないようにもしている。
 要件がどうであれ、返事は翌日にゆっくりすればいいだろうと考えながらスマホに視線を落とす。すると想像とは違い、履歴に残されていたのは上司の名前だった。
「部長?」
 履歴には石原部長の文字が十数件分残されていた。蛍は小さな悲鳴をあげ、慎二に助けを請う視線を送った。営業部長である石原は直属の上司にあたるが、緊急のためにと電話番号やSNSのIDを交換してはいても、仕事以外のやりとりをする関係性ではないし、その日退社する時点で帰宅後に何かしら連絡が必要となるかもしれないようなトラブルも起こっていなかった。
 目の前の異常なまでの多数のメッセージが来ている様子を見てしまうと穏やかではいられない。いつもであれば段々冷めていく筈の身体が逆に熱くなり、テーブルに運ばれたハーブティーの香りがやたら青臭く感じる程だった。
「酔っぱらっているんじゃないか? 昭和のおじさんはよくやるんだ。泥酔すると大した用事もないのに知り合いに連絡をよこす。しかも深夜にだよ」
 蛍は慎二の説にそうかもしれないと思いながらうんざりした。石井の年齢は四十代後半。まさに昭和の生まれで気合いと根性を貴び、宴席こそが仕事の肝だと云いかねないタイプ。そればかりか長時間の残業こそが受注の正否を決めると考えており、昨今当たり前となりつつある、人々のよりよく生きることの追求をことごとく女々しいと言い捨て、働きすぎで体を悪くした社員に対しては侮辱的な態度を示す。
 だいたい蛍はツヤダラ食品に入社し営業部に配属され、当時隣の課の課長であった石原の働きぶりを目にした際には生きた化石だと思ったし、そりが合う筈がないとできるだけ接触を避けてきた。それがつい最近、部長と課長という直属の関係になってしまい、衝突を覚悟したのだったが案の定、考え方に相容れる余地はなく、蛍が石原の方針に異を唱える場面も少なくはない。
「酔っぱらって私にかけてきたのだとしたら、日頃の鬱憤を説教で晴らしたくなったか、そうでなければスマホのボタンを押し間違ったからとしか思えない」
 蛍はそう云い、もし説教だったとしたらただ無視を決め込むのだと考えながらメッセージを一つ開いた。
 そこには至急連絡せよとあり、他のメッセージを開いても全く同じ文章であった。
「同じ文章ばかり送ってきてる。あ、違う。最初は電話がかかってきたんだ」
 最初の電話があったのは二十二時時五分。ちょうど蛍が風呂へと向かった時間で、蛍が応答せず、折り返しもなかったからだろう、その後SNSのメッセージが最初は二分に一度、段々とじれたのか最後には三十秒に一度送られてきていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み