信長による本能寺の変の謎の推理
文字数 1,931文字
安倍晴明の陰陽術で移動迷宮は愛宕山連歌会の開かれた天正10年〔1582年〕の5月28日へと時間遡行していた。
何となく一瞬で着きそうなイメージがあるが、意外と時間がかかるので、信長と明智光秀を囲みながら安東要たちとオタク軍団たちはお茶会しながら雑談タイムに入っていた。
信長はそういい終ると緑茶をすすった。
信長自ら本能寺の変の謎の推理するという歴史的舞台に立ち会えて、ちょっと嬉しいメガネ君であった。
(細川藤孝……どうも幽斎の方がしっくりくるので、細川幽斎と呼ばせて頂きますが、奴は文武両道のチート野郎で歌道の奥義である『古今伝授』を授かっていて、関ヶ原の前哨戦で西軍一万五千に包囲された『田辺城の戦い』で天皇家が幽斎の弟子の大納言三条西実条らを勅使として派遣して講和したというエピソードを持つ男ですね。歌道の奥義である『古今伝授』は当時、一子相伝で幽斎が亡くなると絶えてしまう怖れがあった。その他にも、牛の角をつかんで投げたという某カラテの達人も真っ青のエピソードもあったりします)
(しかも、この幽斎は信長公の暗殺の密議であった『愛宕山連歌会』の裏の首謀者でありながら欠席するわ、親戚であり、親友でもある明智殿の出兵要請を断るという保身と日和見主義をした男じゃ。明智殿の娘珠姫は幽斎の息子忠興に嫁ぎ、後にキリスト教の洗礼を受けて有名な細川ガラシャ〔Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意〕と名乗ることになる。本能寺の変後の幽閉で細川家の親戚筋にあたる清原マリアらの侍女達に洗脳されてキリシタンになったようじゃ。やはり、金髪碧眼のイエズス会の女も怪しいのう)
信長は光秀の無念そうな顔を見つめた。
月読波奈が光秀を慰める。
晴明は安東要に尋ねた。
安東要もメガネ隊と離れていた留守中にちゃんと仕事をしていたようだ。
凄くかっこいい決めゼリフを吐きながら、ふたり揃って、コマネチするのは辞めてほしいとメガネ君は思った。
異世界通信できるスマホはやっぱり、信長に渡すべきではなかったね。
しかし、本当は尊敬する信長公の次のギャグが何なのか楽しみにしていた。
その時、軽い衝撃と共に移動迷宮がどこかの洞窟に接続する音が聞こえた。
ついに、本能寺の変の黒幕の謎を知ることができるかと思うと、心躍るメガネ君でもあった。