第11話 雪之丞激おこ

文字数 1,911文字

一色先生と、盃を酌み交わせた喜びをなんと表現したら良いものか。
ここにお集まりの、人畜無害な、無垢なる猫人の皆様のお力添えのお陰も相成りまして、荒廃した2号用地は更なる発展を遂げるものと信じております。
そうでなくてはならない。
また、門外不出の施術を開示していただいた、加藤チュウ商社のご子息様には、更なる発展を期待するものであります。
異端を排除する動きが方々にて広まってはおりますが、国家の繁栄の礎たる我らを封殺する言動は、甚だ無礼極まりなく、発言者は万死に値する。その旨志して頂きたい。
他言無用では御座いますが、無垢なる猫人へ変化の折には、模範となる行動を示して頂ければ幸いで御座います。
これは、開拓者金之助様の御意向でもありますから、内々にて処理されようお願いしたく存じます。
約束事は以下の通り。

施術を奉る折は、子の刻でなければならない。
奉納はお気に召さるな。ただし、細心の配慮をもつべし。
猫人の視線を警戒すべし。
棄て猫の自覚を持ち、再びかえろうと思うな。
下らぬ嫉妬や自尊心も置いてゆくがよろし。
鼠の盆回しとテンシキを求めてはならぬ。
その折は、世捨て人なる覚悟を持つがよろし。
云々。

大正元年・2月29日・夏目金之助。

神ねこ主様の言葉を、みたらしと雪之丞は理解できる筈がありません。
いかんせん、昔の手紙は難しい。
文面が?
いや、雰囲気が。
綾野姫実篤邸へ戻ると、2匹はクーラーの利いたリビングでにゃんもないとに様変わり。
とはいえ、要所は掴んでいるわけで。
猫から人間に変化するには、免許を持つねずみの施術が必要で、その時間は子の刻、しかも猫人に観られてはいけないのであります。
何でも、猫から人間に変化した生き物はそこらじゅうに散らばっているらしく、覗き見されると効果が半減するとかしないとか。
それと、尻尾も踏んづけて貰わなくちゃならない。
後は自覚や心構え云々。
希望に満ち溢れた心持ちには、そんな説教など届く筈もありませんから、みたらしはにんまりとお昼寝しながら夢の中。
雪之丞は朝から走り疲れたのか、これまた爆睡で御座います。
大きなのっぽの古時計が、カッコカッコと眠りに誘う。
つくられた冷気に、サラサラとなびくレースのカーテン。
2匹が眠るソファーから床にかけて映る、大きな窓枠のシルエット。
風がなびいて若葉が舞い、蝉の羽音が哀し気に聞こえる時間となりました。
パタパタと足音が聞こえて参ります。
生ぬるい風が、身悶えながら行き場をなくして消えていく。
冷蔵庫の扉が開いて、麦茶が氷を踊らせる。
遠ざかる足音。
偏平足の長女りりの可愛い歩き方。
庭先からかすかに響く、ビニール袋が重なる音。
もうすぐ晩御飯。
お肉・タマネギ・ニンジン・トマト・マッシュルーム・おとうふ・かつおぶし・ネギ・エリンギと、たくさんのご馳走の香りが、2匹の鼻腔をこちょこちょと擽ります。
鼻をクンクン。
ひげもぴくぴく。
背伸びをするみたらしと、大きなあくびの雪之丞。
150メートル先の表門から近付く足音は、長男翔也と謎の人物。
楽し気な会話まで聞こえる猫の耳、雪之丞は急にソワソワし始めました。
みたらしが言います。

「どうしたんだい? 少しは落ち着きなよ。今日はハヤシライスだと思うんだ。おこぼれあるのかなあ・・・」

「ちょっと静かにして」

雪之丞は気が気でなりません。
翔也とお喋りをしているのは若い女の声ですから、悔しいやら腹立たしいやら淋しいやらで、柱や壁に背中や顎をこすり付けては気を紛らわす。それでも聞きたくもない声は聞こえてしまう。
猫とは不憫な生き物で御座います。

「わあ、立派なお屋敷なんだね翔くん。私なんかが御呼ばれされてもイイのかなあ。ドキドキしちゃってる」

「平気ですよ、佑月さん、オヤジやおふくろには話してあるし、2人とも、佑月さんに会えるのを楽しみにしてますよ」

「もお、なんて言ってるの?」

「いや、ダンスが上手くて、キャンパスの人気者。そんな方とお付き合いしてるって」

「もお翔くん、ハードル上げすぎだよお」

「ごめんなさい、佑月さん、そんなつもりじゃあ」

「それとね、翔くん」

「はい」

「佑月でいいよ。呼び捨てにして」

「あ、じゃあオレもイイですか?」

「いいよ」

「翔くんて言うの、やめてほしいな。翔也でいいですよ」

「わかったわ翔くん」

「ありがとうございます。佑月さん」

「あ」

「あ」

こちょばゆくて赤面する男女の会話を、雪之丞は鬼の形相で聞いております。「あ」と「あ」の後は、お決まりの照れ笑い。
雪之丞は叫びながら、壁をガリガリ止まらない。

「☆▽!□♪〇!!!*%&#!!!!¥!!!~!△▲!」

みたらしは心の中で祈りを捧げました。
この後の時間が、地獄の晩餐となりませんように。
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