第1話

文字数 4,044文字

空が泣いている。朝からずっと。
朝焼けで頬を照らすこともせず、涙にくれている。
私の気持ちみたいに。

 年末は混雑するからと、バイトの日程がきつい。昨日も、一昨日も、一昨昨日も、この風景の中で暮らしている。仕事をやっとこさ覚えた3か月目の新人にカウンター当番を任せるんだから、相当な人手不足だ。
今朝は利用客が後を絶たない。年越しの定番テレビ番組が嫌いなんだろうか。こたつで寝そべっていられるならなんでもいいが、本を借りて読もうという人たちはきっと向上心の塊だ。私とは真逆で。

そんな偏見はみじんも見せず機械的に、
「1月10日までにご返却ください」を繰り返す。本に囲まれた楽しい日々を思い描いていた私からすると、職場として働く図書館は今日の空の様にネズミ色にくすんで見えた。

「すみませーん。貸してくださーい」
考え事をして手を止めてしまった私に、場違いなくらい明るい声が降ってきた。見上げるとそこには、とても懐かしい顔があった。
「あれ?シマシマじゃん。」
そいつは中学3年生のとき同じクラスだった、ノッポの中尾だった。
「ノッポ、、、なに、やってんの?」
あまりに驚いた私は、思わず素っ頓狂な声を発した。中尾はそれはこっちのせりふだよと笑いながら言った。
「卒業式以来だから、もう6年かよ。元気だった?ちょっと太ったんじゃね?」

失礼なことを面と向かって言われても、中尾だからまあいいかという気になる。あの頃と変わっていなければ、中尾の発言には悪気が1パーセントもないことは分かっている。
中3の時、クラスのみんなからいじられていたような男子にも、中尾だけはふざけることなく、ほかの友達と話をするのと同じように会話していたような奴だ。

その男子へのいじりがひどくなりついに学級会での話し合いがあった時も、あいつしゃべり方おかしくね?という同級生達の言葉に、しゃべり方はゆっくりだしどもったりもするけど、言ってることは面白いと俺は思う、ときっぱりと言ったやつだ。
いつでも、どこでも、誰といても、中尾は何色に染まることもなく、「中尾色」に輝いていた。
 「何年振りかであった同級生への最初のひと言がそれ?あんたも相変わらずデカいね。縦にも、横にも。」
当時から180センチもの長身を生かしバスケ部のエースだった中尾は、相変わらずデカい。
なんならそのままカウンターを飛び越せるんじゃないかくらいデカかった。中尾はそんな想像をしている私の目をまっすぐ見て、笑いながら言った。
「そーなの。俺まだずっと成長期で、189センチもあんの。体重はひみつね!」
そうだ。この笑い声だ。お腹から声を出しているのがよくわかる声。いつもバスケの練習中、体育館から聞こえていたあの楽しそうな声。そして、この目だ。
普通にしていても細い目が、笑うとさらに細くなっちゃうんだよね。眉間と目じりにしわが寄って、中学生なのにおじいちゃんみたいにしわしわになっちゃうんだよね。
高台に建つ中学校の教室からは、何物にも遮られることない空がよく見えた。席に座ってほおづえをつくと、斜め前に座っていた中尾が、空を背景に目を棒にして笑う姿がまぶしく見えた。
あの頃、私の心のフレームにはいつも中尾がいて、中尾の後ろにはいつも、百点満点の青空があった。
太陽が輝く日にはちょっとのくすみもない青空があるように、中尾の後ろにも、綺麗な青空がくっついていた。

「嶋さあ、今、何してんの?」

一番聞かれたくないセリフから私を助けてくれたのは、上司の松本さんだった。
「嶋さん、ヘルプお願いします。」
いつも気の利かない松本さん、今日はファインプレーありがとう。
「ごめんね仕事だ。中尾ごめん!」
私は中尾という太陽から目をそらした。
 
いつからだろう、自分のことが大嫌いになったのは。中尾が太陽として私の中に存在していたころには感じなかったこの重たい気持ちは、どうして育ってしまったのだろう。自分の目標のために良い高校に行って、やりたいことのために大学に入った。ようやく夢へと向かって歩み始めた道は、まっすぐ続いてゆくはずだったのに。
その道は、いまや草ぼうぼうの荒れ地へと変わっていた。あんなに頑張って入った大学にもずっと行かないでいる。
ダイヤモンドの原石は、磨きすぎると輝きを失ってしまうという。まさに私はそれなのだと思う。
自分をダイヤモンドに例えるなんておこがましいけれど、そのくらい言ってあげないと可哀想なくらい、私の中のダイヤの原石はただの石ころになってしまった。
もう輝きを取りもどすことはできないのかもしれない。

 休憩時間になり、私はすぐに中尾の姿を探した。
あれから2時間はたっているもの。いなくても仕方がない。そう思いつつも必死で目を凝らすと、外のベンチに腰かけている中尾を見つけた。雨なのに、傘もささずに、濡れたベンチで中尾は嬉しそうに、にこにこしながら空を見上げている。私は傘をひっつかむと、外へ出た。
「ちょっと中尾、風邪ひくよ!」
傘をさしかける私に中尾は言った。
「俺さ、今怪我しててさ。」
私のさしかけた傘に入りきらない中尾の肩から、雨のしずくが落ちていく。
「全然平気かと思ってたんだけど、なんかもう、バスケ出来ないみたいでさ。日常生活には問題ないんだけどさ。バスケやめなきゃいけなくてさ。」
中尾は私のほうを一切見ることなく話し続ける。
「俺さ、高校も大学もバスケ推薦だったから、バスケやらなかったら何したらいいのかな。俺、いなくてもいいんじゃないかな、とか思ってさ。」
中尾は泣いてた。あの、笑うと一本の線になる優しい目から、涙がこぼれていた。
私は思わず中尾の頬に自分の親指を当てた。涙がこれ以上こぼれないように。中学の時、手すら触れられなかった私の太陽。その人のほっぺを、できるだけ優しく触って涙をぬぐった。中尾は驚いた顔でこっちを見たが、自分のポケットから小さなタオルを出して私に渡した。
「手、ふけよ。」
照れているのか、それとも嫌だったのか、どちらともつかない顔で、中尾は続けた。
「バスケが出来なくなったし、今、大学にいくことが必要だとは思えなくなってさ。今日、大学に休学届け出してきた。」
「は?休学?」
私は思わず傘を落としてしまった。
「あんたさ、休学したの?ねえ、私と一緒じゃん何で?」
今度は私の目から、雨粒だか涙だかわからないものがこぼれた。
「私さ、小学校の先生になりたくてさ」
「うん。」
「先生になるためにめちゃめちゃ勉強してさ、ようやく実習できるときになってさ。」
「うん。」
「でも、いざ実習に行ったら突然怖くなってさ。何にも言えなくて、頭真っ白になっちゃってさ。自分がなにもできないんじゃないかって思ってさ。怖くなってさ。」
「うん」
「で、私も秋から休学中なんだよね」
ここまで一気にしゃべった私と、うんとしか言わなかった中尾の間に、沈黙の天使がやってきた、、、と思ったら、中尾のあの笑い声で、天使はどこかへ飛んで行ってしまった。ひーひー言って笑い続けながら、中尾はとぎれとぎれ言った。
「あの、、さ!おれら、、さ!一緒じゃん!一緒じゃん!なんだ!おれだけじゃないじゃん!」
12月の雨の冷たさなど関係ないというように、中尾は私の傘から飛び出しておっきくジャンプをした。怪我しててもこれくらい飛べるんだぜ、と、自慢げに言いながら。
「先月さ、学校行きたくなくてさ、もうどうでもよくなってさぼりにここに来たらさ、嶋がいてさ。そんときさ、嶋が中学のとき吹いてたサックスの音が聴こえた気がしてさ。それで、一か月考えて、休学届け出してきたんだよ。」
「うん。」
「俺さ、あんときの、毎日休み時間に自主練していた嶋の、あのちょっと音が外れる感じがすげー好きでさ。」
「それ、褒めてんの?けなしてんの?」
中尾はあの大好きな笑い顔で私を見た。
「褒めてんの!
おまえ勉強とかいっつも完璧でさ。
自分にも人にも厳しくってさ。
うわー近づけねえな、って思うんだけどさ、あの音は違うの。
時々外れるんだけど、包んでくれるみたいに優しいの。
それ聴いたらさ、こんな優しい音出せるやつ、いいなあって思い出したら、あのころの自分とか、シマシマ思い出したら、なんか無理しなくてもいいじゃん、って思えてさ。」
「うん。」
私は傘を閉じた。そして、おっきく伸びをして覚悟を決めた。
「私はさ、中尾のこといっつもみてたよ。でもそれはさ、中尾がバスケ部のエースだからじゃなくって、授業中寝てていっつも怒られてる中尾を見てたんだよ。嫌われてる子と自然に話が出来る中尾を見てた。バスケしてなくてもいいじゃん。中尾は中尾だよ。」
勢いあまって訳の分からない話ついでに告白めいたことをしてしまったのだ。私と中尾の間に、再び沈黙の天使が現れた。そして今度は天使がいる間に、私の休憩時間は終了してしまった。私は中尾に手を振っただけで、仕事に戻った。
 私の心のフレームにはいつも中尾がいたように、中尾の心のスピーカーからはいつも、私のサックスが響いていたのかな。
休学した当時は寝られなくて、泣きじゃくった夜もあった。
ふがいない自分が嫌で、応援してくれた親にも申し訳なくて泣いた。
心にはいつも雨が降っていた。
でも今は、私の太陽だった中尾に会えた今は、少し違う。
心の雨は止んだ。
温かい太陽の光が輝いているわけではないけれど、ずっと降り続いた雨は止んだのだ。
私の夢への道はいつ行きどまりになるかは分からない。不安は尽きない。
けれど、自分探しの旅は始まったばかりなのだ。
これからのいろんな事を、一人で探すより、二人で探す方が楽しいよね、と、次中尾に会ったら言おう。
恥ずかしいくらいの言葉を言おう。
手を振り仕事に戻る私の背中越しに中尾は、また来るぞーって言葉をくれた。
借りたタオルも返さなくちゃ。
次会うときは、あの、目がなくなっちゃう笑顔に負けないくらいキラキラな私でいられるようにしなくちゃ。
中学校の教室でいつも見ていた中尾の笑顔に、また会えると信じて。


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