三
文字数 5,246文字
三
潤 はミライドラゴン上の、守り神たちに向かって飛んだ。それを見たオンとナノコがゴンドラ胴体から跳ね、潤はふたりを空中で抱きとめた。オンが右肩に、ナノコが左肩に腕を回してしがみつく。
「重いとか言うの禁止だからね、夫くん」
「ダイエットしとくんでした」
そんな心配をする守り神をよそに、潤はふたりのたしかな重さと温もりに心地よさを覚えた。それはひとりではけっして得ることのできない、かけがえのないものだから。そばに誰かがいて、心を通じ合えることがこんなにも幸福なんだと、潤は実感した。
「こうしてると負ける気がしねえ」
翼を羽ばたかせ、ぐんぐん加速しつつ言うと、オンとナノコはうれしげに、さらに強くしがみついてきた。潤はふたりをしっかりと抱きながら、前方に目を凝らす。
「邪霧 の色がだいぶ薄まってる」
五十メートルほど先の黒雲の中、ダテンダカツの背が見え隠れしている。邪霧で創造されたレプリカを消失させたからか、オリジナルを覆う邪霧は先程までの紫紺から露草色に変わっていた。
「逃がさない!」
潤は黒雲に果敢に突入した。ダテンダカツとの距離を縮めるため、さらにスピードを上げようと翼に力を込める。
不意にダテンダカツが身をひるがえらせ、潤たちのほうを向いて停止した。その不審な動きに、潤も警戒して止まる。ダテンダカツがわずかに口を開いて、その牙の間から舌をのぞかせた。まるで笑ったみたいに見えたのは気のせいか。
つぎの瞬間――。
ダテンダカツの頭上からいかずちが落ち、雷鳴とともにその巨体を直撃した。それが偶然だったのか、ダテンダカツが呼び寄せたのかはわからない。ただダテンダカツが逃げ込んだ先が雷雲だったことはたしかで、そこで生じたいかずちがダテンダカツに、一度のみならず次々と落雷していく。そのたびにダテンダカツの邪霧が生き生きとうごめくのを見て、ナノコが顔色を変えた。
「力を取り込んでるようです!」
やがてダテンダカツは全身をいかずちと邪霧にまみれながら、雄叫びを上げた。その大音声に空間自体が震える中、ダテンダカツの眼前に雷光による空間文字――【厄】と、それを取り囲む幾多の円形模様を重ねた魔法陣が描かれた。
【厄】の字魔法陣は放電しながら急激に拡大し、そこから球体型の雷光の塊がずぶりずぶりと現れだした。
雷光集合体召喚。その大きさは【厄】の字魔法陣がダテンダカツの三倍、四倍……それ以上に巨大化するのに比例して大きさを増していく。
見る見るうちに【厄】の字魔法陣も雷光集合体も、ダテンダカツの十倍以上の巨大物となった。もう全体像が確認できないほどの大きさだ。それと比べれば、潤たちは蟻に等しい。その蟻を焼き尽くそうと巨大雷光を放つつもりだろう。
「絶体絶命――」
潤はフッと笑った。「――なんて少しも思わない」
今にも巨大雷光が自分たち目掛けて飛んできそうだというのに、先程の〝負ける気がしねえ〟という自分の言葉が色褪せることなく、潤を奮い立たせていた。
これもまた、言霊 の力だ。
潤はオンとナノコに「しっかりつかまってろよ」と言って、刀幻強 を両手で高々と掲げた。その鋭利な切っ先はまっすぐに天を衝く。
「〝愛 〟召喚!」
言霊は音速の矛 となって頭上の黒雲を貫き、そこにぽっかりと穴をあけた。まるでスポットライトのように、鮮やかな陽光が潤たちに降り注ぐ。そしてその清浄な光から、無数の〝愛 〟――【愛】の光文字があふれた。それらは瞬時に集い、結合し、掲げた刀幻強の先に【愛】の字とそれを内包する魔法陣を描いた。大きさはダテンダカツの【厄】の字魔法陣と比べると、はるかに小さく頼りない。しかし――。
「夫くんにあたしの!」
「夫さんにわたくしの!」
オンとナノコが同時に言った。
「愛の力を!!」
【愛】の字魔法陣の下、ふたりは潤の顔に唇を寄せ――ちゅっ――その頬に左右からキスをした。
とたんに【愛】の字魔法陣の【愛】の字が高速変動し、それを【夫婦愛】の文字へ上書きした。燦然と輝く【夫婦愛】魔法陣。それは光線を四方に放射しつつ、急激に広がっていく。
「ふたりの愛! たしかに受け取った!」
高揚感が潤を包む中、刀幻強の刀身が伸びて【夫婦愛】魔法陣と融合した。そこから力を得たかのように、刀身が爆発的に巨大化する。数秒も経たずにその長さは五階建てほどの建築物に匹敵したが、潤が感じる刀幻強の重量はまるで変化がない。軽い。身体の一部のように動かせると確信する。
特大刀幻強をダテンダカツに向けて構えなおす潤。ほぼ同時に、ダテンダカツの【厄】の字魔法陣が鳴動し、巨大雷光が放たれた。ごおおおっと音を立て、激しい放電によって空間をゆがませつつ、潤たちに迫ってくる。
「行くぞオン! ナノコ!」
「はい!」
ふたりの力強い返事は、潤への信頼の証。そのことにさらなる勇気をもらい、潤は翼を羽ばたかせた。刀幻強を前へ突き出し、一気に加速する。刀身を覆う【夫婦愛】の光がたなびき、三人を抱擁した。
そのまま名授 とふたりの守り神、三位一体となって巨大雷光目掛けて飛んだ。
巨大雷光が迫る。だが潤たちは少しも怯むことなく、声を合わせて突き進んだ。
「汝 に!――」
特大刀幻強が巨大雷光を突き刺した。その絶大な威力の前に、巨大雷光は中心から爆ぜ、花火のように散じつつ、その中心を潤たちが通過した直後、消滅する。
「〝愛 〟の!――」
潤たちはさらに速度を上げて、今度は【厄】の字魔法陣を刀幻強で突いた。無数のひびが走る【厄】の字魔法陣。つぎの瞬間それは粉々に砕け、その向こう、厄神の名を冠す巨竜の姿を露呈させた。潤たち三人は、最後にもう一度声を重ねる。
「――鉄槌 を!!」
刀幻強の切っ先がダテンダカツを討つ。巨竜が断末魔の叫びを上げる中、【夫婦愛】の光で一体となった潤たちは、全身から邪霧を噴くダテンダカツを貫通し、さらに数十メートルほど飛んでようやく停止した。
三人が振り返ると、巨体に大穴を開けたダテンダカツの身体は崩壊し、邪霧の金属的消失音が高らかに響いた。その音の範囲内に、おびただしい【厄】の字が散じたが、それらは明確な形にはならず、ダテンダカツ本体とともに塵となって消え失せた。
やがてダテンダカツの圧倒的な存在感と引き換えに、静寂が訪れる。辺りを覆っていた雷雲が流れ、青空が広がった。まばゆい陽光が戻り、心地のいい風が吹いてくる。
終わったのか……。
災厄が去ったことを物語る晴れやかな光景に目を細めつつ、潤は口を開いた。
「ダテンダカツは?」
潤にひしっと抱きついているふたりの守り神。応えたのはオンの方だ。
「やっつけたとき、ちゃんと捕まえておいたよ。ほら見て、ここ」
オンはそう言って、片方の拳をそっと開いた。そこには細長く小さな胴体をくったりと伸びきらせたシマヘビが収まっていた。
「それって笹 が生み名をつけた蛇か? 生きてんのか?」
オンが「大丈夫。気を失ってるだけ」と言うと、ナノコがいつもの柔らかい口調で付け加えた。
「夫さんのおかげで、本当に皆を守ることができたのです」
そのひとことで、潤はようやく肩の荷が下りた。全身から力が抜け、疲労感と充実感に満たされていく。
「俺ひとりの力じゃない。ふたりがいてくれたから」
そう言って、安堵の息を深々と吐いたときだ。
パタッ。
おそらく三人ともすっかり忘却していた潤の頭上の神数……ではなくて、百戦錬磨ジレンマの活動時間表示が【一】から【零】に変わった。
「あ」
とたんに、天使の翼、銀色和服、銃王 夢塵 、そして特大刀幻強を構成していた【愛】の結合が解け、一斉に四散した。百戦錬磨ジレンマの装いは一瞬で消え、大量の【愛】の光文字が潤から分離し、虚空に残留。そこから潤の身体だけがスポッと抜け落ち、オンとナノコとともに落下をはじめた。
「これはマジ絶体絶命~っ!?」
さすがのオンとナノコも青ざめる。守り神といえども飛ぶことはできない。姿の見えない陽気箒とミライドラゴンを懸命に呼ぶが、だいぶ離れているのか返事はない。
「夫くん、こうなったらもう神に祈ろう!」
「夫さん、最後は神頼みなのです!」
「いやおまえらが神だけどな!」
落下する三人の悲鳴が上から下へ尾を引いたときだ。
「!?」
突然、三人はマットのような弾力性のある物体に受け止められた。もちろん地面はまだはるか下だ。潤たちを空中で救ったそれは、少しごわごわとした手触りで、風を受けて波打つ薄手の黒布だった。しかしその面積は大根おじじの屋敷の庭園ほどもあり、薄くても潤たちの重さにびくともしない頑丈さを備えている。
「これは?」
ひとまず助かったことに安堵しつつ、あるはずのない天空のステージに潤は頭をかしげた。オンとナノコも目をぱちくりさせている。
「まったく、詰めの甘さはいかんともしがたく、未熟者は得てして甘く、なのに完熟者って言葉はどこにもない。けだし言 の葉 は不可思議よ」
不意に聞こえてきた男の声に、潤たちは振り返った。
「クロ!?」
長身痩躯の九十九 神 が佇んでいた。顔を隠す黒フードと、黒いミイラ男風衣装は相変わらず。だがクロの特徴でもある黒マントの様子がおかしい。いつもはクロの影のように背後で揺らめいているのに、今は真下に扇状に伸び、潤たちを受け止めた黒布に付着……いや同化していた。
「夫さん、わたくしたちが立っているのは、あの方のマントのようなのです」
ナノコに言われて、潤も気づいた。自分たちを救った黒布が、元の何十倍にも広がったクロのマントだということに。しかもクロ自身、そのマントの上に立っているのだ。
クロが俺たちを助けた?
とはいえ、ダテンダカツが誕生した経緯を思い出すと、笹の背後にいたクロが働きかけていたとしか思えない。警戒する潤たちの前で、クロはフードの縁 に手を掛けた。
「まあ、完熟者や成熟者が魅力的とは限らん。はなはだ頼りないが試練は乗り越えたことだし、その未熟さを今はまだ許そう。これぞ寛容というヤツだ」
クロはフードをするりと取った。その下から現れたのは、九十九神というより人間そのものの顔だ。うしろに流した豊富な髪はアイボリーで、同色の髭を鼻下と顎に生やしている。額と目尻には幾本もの皺。深緑の瞳は底知れない光を帯び、見つめられると、どこか厳粛な気持ちになる。
老人と言っていい年齢だとは思うが、とても壮健な印象だ。もちろん潤には見覚えがない。隣のオンとナノコも怪訝顔だ。
「〝神とて、ひととて、想いたがわず、言霊 の幸 う地に、愛 の花を咲かせんとす〟……か」
おもむろに唱えたクロの言葉に、オンとナノコが驚きの表情を浮かべた。潤も覚えていた。昨晩オンが言っていた、上雲津 の守り神に代々伝わってきた言葉だ。
それをどうしてクロが?
困惑する三人の前で、クロは潤をからかうような口ぶりで言った。
「おまえが名授では、花ではなくぺんぺん草くらいしか生えそうにないがな、古賀崎潤」
そして髭を触りながら、不敵に笑った。
「――我がひ孫よ」
ひ……ま……ご……?
予想だにしなかった発言に潤はぽかんっとし、守り神のふたりは「まさか先々代の守り神?」と、顔を見合わせた。潤はまだうまく思考が働かない。
ひ孫? ひ孫って言ったか今?……え? つまり俺のひいじいさん? 元守り神の!?
「はあ!? いやいやいやちょっと待て、嘘だろ、ありえないだろ、え? 生きてたの? マジで!?」
狼狽する潤に、クロは肩をすくめた。
「話はあとでたんまりしてやるよ。それよりおまえ――」
皺が刻む苦笑を浮かべ、潤の下半身を指さす。
「その貧相な猥褻物、そろそろ隠せ」
「?……――な!?」
ダテンダカツを倒してから今まで、矢継ぎ早のイベントのせいで、すっかり失念していた。活動限界時間の切れた百戦錬磨ジレンマが全裸になることを。
ゆえに古賀崎潤、ただ今、まっぱ全開だった。
潤は「ほうわっ」と、奇妙な悲鳴を上げ、すぐに股間を手で隠そうとした。が、なぜか(いや誰のしわざかは言うまでもないが)絶妙なタイミングで足元の黒布が不自然に揺れ、後方へぶざまに転倒した。
慌てて上体を起こした潤の視界には、開脚した自分の両膝の向こう、真っ赤な顔でうつむくオンと、真っ赤な顔で両目を手で覆いつつも、微妙に指の間が空いてるナノコの姿があった。
ひいじじい、一生許さねえ。
心に誓った潤だった。
「重いとか言うの禁止だからね、夫くん」
「ダイエットしとくんでした」
そんな心配をする守り神をよそに、潤はふたりのたしかな重さと温もりに心地よさを覚えた。それはひとりではけっして得ることのできない、かけがえのないものだから。そばに誰かがいて、心を通じ合えることがこんなにも幸福なんだと、潤は実感した。
「こうしてると負ける気がしねえ」
翼を羽ばたかせ、ぐんぐん加速しつつ言うと、オンとナノコはうれしげに、さらに強くしがみついてきた。潤はふたりをしっかりと抱きながら、前方に目を凝らす。
「
五十メートルほど先の黒雲の中、ダテンダカツの背が見え隠れしている。邪霧で創造されたレプリカを消失させたからか、オリジナルを覆う邪霧は先程までの紫紺から露草色に変わっていた。
「逃がさない!」
潤は黒雲に果敢に突入した。ダテンダカツとの距離を縮めるため、さらにスピードを上げようと翼に力を込める。
不意にダテンダカツが身をひるがえらせ、潤たちのほうを向いて停止した。その不審な動きに、潤も警戒して止まる。ダテンダカツがわずかに口を開いて、その牙の間から舌をのぞかせた。まるで笑ったみたいに見えたのは気のせいか。
つぎの瞬間――。
ダテンダカツの頭上からいかずちが落ち、雷鳴とともにその巨体を直撃した。それが偶然だったのか、ダテンダカツが呼び寄せたのかはわからない。ただダテンダカツが逃げ込んだ先が雷雲だったことはたしかで、そこで生じたいかずちがダテンダカツに、一度のみならず次々と落雷していく。そのたびにダテンダカツの邪霧が生き生きとうごめくのを見て、ナノコが顔色を変えた。
「力を取り込んでるようです!」
やがてダテンダカツは全身をいかずちと邪霧にまみれながら、雄叫びを上げた。その大音声に空間自体が震える中、ダテンダカツの眼前に雷光による空間文字――【厄】と、それを取り囲む幾多の円形模様を重ねた魔法陣が描かれた。
【厄】の字魔法陣は放電しながら急激に拡大し、そこから球体型の雷光の塊がずぶりずぶりと現れだした。
雷光集合体召喚。その大きさは【厄】の字魔法陣がダテンダカツの三倍、四倍……それ以上に巨大化するのに比例して大きさを増していく。
見る見るうちに【厄】の字魔法陣も雷光集合体も、ダテンダカツの十倍以上の巨大物となった。もう全体像が確認できないほどの大きさだ。それと比べれば、潤たちは蟻に等しい。その蟻を焼き尽くそうと巨大雷光を放つつもりだろう。
「絶体絶命――」
潤はフッと笑った。「――なんて少しも思わない」
今にも巨大雷光が自分たち目掛けて飛んできそうだというのに、先程の〝負ける気がしねえ〟という自分の言葉が色褪せることなく、潤を奮い立たせていた。
これもまた、
潤はオンとナノコに「しっかりつかまってろよ」と言って、
「〝
言霊は音速の
「夫くんにあたしの!」
「夫さんにわたくしの!」
オンとナノコが同時に言った。
「愛の力を!!」
【愛】の字魔法陣の下、ふたりは潤の顔に唇を寄せ――ちゅっ――その頬に左右からキスをした。
とたんに【愛】の字魔法陣の【愛】の字が高速変動し、それを【夫婦愛】の文字へ上書きした。燦然と輝く【夫婦愛】魔法陣。それは光線を四方に放射しつつ、急激に広がっていく。
「ふたりの愛! たしかに受け取った!」
高揚感が潤を包む中、刀幻強の刀身が伸びて【夫婦愛】魔法陣と融合した。そこから力を得たかのように、刀身が爆発的に巨大化する。数秒も経たずにその長さは五階建てほどの建築物に匹敵したが、潤が感じる刀幻強の重量はまるで変化がない。軽い。身体の一部のように動かせると確信する。
特大刀幻強をダテンダカツに向けて構えなおす潤。ほぼ同時に、ダテンダカツの【厄】の字魔法陣が鳴動し、巨大雷光が放たれた。ごおおおっと音を立て、激しい放電によって空間をゆがませつつ、潤たちに迫ってくる。
「行くぞオン! ナノコ!」
「はい!」
ふたりの力強い返事は、潤への信頼の証。そのことにさらなる勇気をもらい、潤は翼を羽ばたかせた。刀幻強を前へ突き出し、一気に加速する。刀身を覆う【夫婦愛】の光がたなびき、三人を抱擁した。
そのまま
巨大雷光が迫る。だが潤たちは少しも怯むことなく、声を合わせて突き進んだ。
「
特大刀幻強が巨大雷光を突き刺した。その絶大な威力の前に、巨大雷光は中心から爆ぜ、花火のように散じつつ、その中心を潤たちが通過した直後、消滅する。
「〝
潤たちはさらに速度を上げて、今度は【厄】の字魔法陣を刀幻強で突いた。無数のひびが走る【厄】の字魔法陣。つぎの瞬間それは粉々に砕け、その向こう、厄神の名を冠す巨竜の姿を露呈させた。潤たち三人は、最後にもう一度声を重ねる。
「――
刀幻強の切っ先がダテンダカツを討つ。巨竜が断末魔の叫びを上げる中、【夫婦愛】の光で一体となった潤たちは、全身から邪霧を噴くダテンダカツを貫通し、さらに数十メートルほど飛んでようやく停止した。
三人が振り返ると、巨体に大穴を開けたダテンダカツの身体は崩壊し、邪霧の金属的消失音が高らかに響いた。その音の範囲内に、おびただしい【厄】の字が散じたが、それらは明確な形にはならず、ダテンダカツ本体とともに塵となって消え失せた。
やがてダテンダカツの圧倒的な存在感と引き換えに、静寂が訪れる。辺りを覆っていた雷雲が流れ、青空が広がった。まばゆい陽光が戻り、心地のいい風が吹いてくる。
終わったのか……。
災厄が去ったことを物語る晴れやかな光景に目を細めつつ、潤は口を開いた。
「ダテンダカツは?」
潤にひしっと抱きついているふたりの守り神。応えたのはオンの方だ。
「やっつけたとき、ちゃんと捕まえておいたよ。ほら見て、ここ」
オンはそう言って、片方の拳をそっと開いた。そこには細長く小さな胴体をくったりと伸びきらせたシマヘビが収まっていた。
「それって
オンが「大丈夫。気を失ってるだけ」と言うと、ナノコがいつもの柔らかい口調で付け加えた。
「夫さんのおかげで、本当に皆を守ることができたのです」
そのひとことで、潤はようやく肩の荷が下りた。全身から力が抜け、疲労感と充実感に満たされていく。
「俺ひとりの力じゃない。ふたりがいてくれたから」
そう言って、安堵の息を深々と吐いたときだ。
パタッ。
おそらく三人ともすっかり忘却していた潤の頭上の神数……ではなくて、百戦錬磨ジレンマの活動時間表示が【一】から【零】に変わった。
「あ」
とたんに、天使の翼、銀色和服、
「これはマジ絶体絶命~っ!?」
さすがのオンとナノコも青ざめる。守り神といえども飛ぶことはできない。姿の見えない陽気箒とミライドラゴンを懸命に呼ぶが、だいぶ離れているのか返事はない。
「夫くん、こうなったらもう神に祈ろう!」
「夫さん、最後は神頼みなのです!」
「いやおまえらが神だけどな!」
落下する三人の悲鳴が上から下へ尾を引いたときだ。
「!?」
突然、三人はマットのような弾力性のある物体に受け止められた。もちろん地面はまだはるか下だ。潤たちを空中で救ったそれは、少しごわごわとした手触りで、風を受けて波打つ薄手の黒布だった。しかしその面積は大根おじじの屋敷の庭園ほどもあり、薄くても潤たちの重さにびくともしない頑丈さを備えている。
「これは?」
ひとまず助かったことに安堵しつつ、あるはずのない天空のステージに潤は頭をかしげた。オンとナノコも目をぱちくりさせている。
「まったく、詰めの甘さはいかんともしがたく、未熟者は得てして甘く、なのに完熟者って言葉はどこにもない。けだし
不意に聞こえてきた男の声に、潤たちは振り返った。
「クロ!?」
長身痩躯の
「夫さん、わたくしたちが立っているのは、あの方のマントのようなのです」
ナノコに言われて、潤も気づいた。自分たちを救った黒布が、元の何十倍にも広がったクロのマントだということに。しかもクロ自身、そのマントの上に立っているのだ。
クロが俺たちを助けた?
とはいえ、ダテンダカツが誕生した経緯を思い出すと、笹の背後にいたクロが働きかけていたとしか思えない。警戒する潤たちの前で、クロはフードの
「まあ、完熟者や成熟者が魅力的とは限らん。はなはだ頼りないが試練は乗り越えたことだし、その未熟さを今はまだ許そう。これぞ寛容というヤツだ」
クロはフードをするりと取った。その下から現れたのは、九十九神というより人間そのものの顔だ。うしろに流した豊富な髪はアイボリーで、同色の髭を鼻下と顎に生やしている。額と目尻には幾本もの皺。深緑の瞳は底知れない光を帯び、見つめられると、どこか厳粛な気持ちになる。
老人と言っていい年齢だとは思うが、とても壮健な印象だ。もちろん潤には見覚えがない。隣のオンとナノコも怪訝顔だ。
「〝神とて、ひととて、想いたがわず、
おもむろに唱えたクロの言葉に、オンとナノコが驚きの表情を浮かべた。潤も覚えていた。昨晩オンが言っていた、
それをどうしてクロが?
困惑する三人の前で、クロは潤をからかうような口ぶりで言った。
「おまえが名授では、花ではなくぺんぺん草くらいしか生えそうにないがな、古賀崎潤」
そして髭を触りながら、不敵に笑った。
「――我がひ孫よ」
ひ……ま……ご……?
予想だにしなかった発言に潤はぽかんっとし、守り神のふたりは「まさか先々代の守り神?」と、顔を見合わせた。潤はまだうまく思考が働かない。
ひ孫? ひ孫って言ったか今?……え? つまり俺のひいじいさん? 元守り神の!?
「はあ!? いやいやいやちょっと待て、嘘だろ、ありえないだろ、え? 生きてたの? マジで!?」
狼狽する潤に、クロは肩をすくめた。
「話はあとでたんまりしてやるよ。それよりおまえ――」
皺が刻む苦笑を浮かべ、潤の下半身を指さす。
「その貧相な猥褻物、そろそろ隠せ」
「?……――な!?」
ダテンダカツを倒してから今まで、矢継ぎ早のイベントのせいで、すっかり失念していた。活動限界時間の切れた百戦錬磨ジレンマが全裸になることを。
ゆえに古賀崎潤、ただ今、まっぱ全開だった。
潤は「ほうわっ」と、奇妙な悲鳴を上げ、すぐに股間を手で隠そうとした。が、なぜか(いや誰のしわざかは言うまでもないが)絶妙なタイミングで足元の黒布が不自然に揺れ、後方へぶざまに転倒した。
慌てて上体を起こした潤の視界には、開脚した自分の両膝の向こう、真っ赤な顔でうつむくオンと、真っ赤な顔で両目を手で覆いつつも、微妙に指の間が空いてるナノコの姿があった。
ひいじじい、一生許さねえ。
心に誓った潤だった。