第11話 歯車が嚙み合い始める

文字数 5,666文字

小さな歯車が次の大きい歯車とかみ合ってギシギシと回り始めた。
さらに信じられないような話が続く。運命としか考えられなかった。
天田のおじさんは姉ちゃんの勤めている工場で働いている。
姉ちゃんの婿さんも同じ工場で働いている。
その婿さんとなる人の弟が同じ会社の販売会社に勤めているという。
人の絆がどんどん絡み合ってくる。
天田のおじさんはその成型工場の古株で、会社の人間関係は結構知っている。
「たかし君の姉ちゃんの旦那になる人いるだろう」
「ええ、今朝会いました。宮田さんって言っていました」
「その弟がその両国の寮に住んでるぞ」
「ええ、宮田さんの弟が?」
「うん、その弟が太田の中学を卒業してすぐに東京に行ったんだとよ」
「その人、どんな仕事をしているんですか」
「昼間は荷物の配達や営業の手伝いをして、夜は夜間高校へ行ってるよ」
「じゃあ、俺はその人の義理の弟になるわけですか」
「うん、そうなるな」
運命の歯車が太田の家を中心に嚙み合って回り始めた。

「おじさん、もし俺がそこに行きたいって言ったら、入れそうですか」
「うん、俺が安田さんに話してやるよ。今人手が足りないからたぶん大丈夫だよ」
「いつからでも大丈夫なんですか」
「1月6日から両国に行くから安田さんに話しておこうか」
「すいません。お願いします」
「たかし君は、東京に出られる時間はあるんか」
「ええ、今の仕事が3交替なんで、夜勤の時は昼間の時間はだいぶあります」
「じゃあ、話をしておくよ、いつ頃からになるんだい」
「2月中旬に合格発表があって、合格すれば3月末に今の会社を辞めます」
「じゃあ、2月に一度会ってみなよ。話しておくよ」
「はい、お願いします」

おじさんは両国営業所の電話番号と地図を書いてくれた。
両国国技館の近くでわかりやすい所だった。

子供の為に母ちゃんは色々な手を打っていたんだ。
東京での住む所やアルバイト先の心配をしていてくれた。
まさか母ちゃんにこんな事が出来ると思っていなかった。


母ちゃんの生みの親が炬燵に近づいてきた。
小さい頃から“竜舞のおばあさん”と呼んでいた。
「おおたかし、きてたんか、もうお年玉はでねえぞ」
「ああ、おばあさん、おめでとうございます」
「よく、あんな不良のフジにこんな子が出来たもんだな」
「ええ?母ちゃん不良だったんですか」
「そうさ、あたしと喧嘩して18歳の頃2年も家出していたよ」
「そんな事あったんですか」
「そして変な男連れてきてさ、一緒になるってさ、大変だったよ」
「その変な男って、おれの父ちゃん?」
「さあ、どうかな。そこまでしんねえよ。お前の母ちゃんに聞いてみな」
「たかしはどっかで拾ってきた子じゃあねえのか、なあフジ、そうだろ」

母ちゃんの下の名前は「フジ」という。
母ちゃんが恥ずかしそうにおばあさんに言い返す。
「昔の事なんか、子供の前で話すんじゃねえよ」
「たかしは、どうもおめえの子とは思えねえよ」
「今大事な話をしてるんだから、おばあさんはだまってな」
「わかったよ、ほんとにおめえは口がわりーな。昔からちっとも変わってねえな」
おばあさんは笑いながら部屋を出て行った。

母ちゃんの意外な面を見てびっくりした。母ちゃんが不良だった。
母ちゃんが家出をした。今、私がその頃の母ちゃんの年齢になっている。
この家系の歴史は繰り返している。私は不良にはならない。
この連鎖は絶対に私の所で断ち切ろうと思った。
この何ヶ月かで運命が変わり始めているような気がした。
もう少しで何かが変わる。壁が越えられる。

おじさんの家でお昼をご馳走になった。
おじさんは小型トラックで自宅まで送ってくれた。

1月2日 朝10時ごろ家を出た。
母ちゃんがバックに稲荷寿司と新しい下着を入れてくれた。
「じゃあな、これからは何でも電話しろよ」
「うん、おじさんによろしくお礼を言っておいて」
自分の中の意識が少しずつ変わり始めている。
自分の頭ではどうどう巡りしているだけで進まなかった。
人のお情けに頼らなければ現実は進んでいかない。
人のお世話が私を成長させてくれる。
おじさんは何の得もないのに優しく教えてくれる。
見返りを求めない親切に人の優しさを感じた。

まだここに、自分の事だけしか考えていない私がいる。
自分だけが抜け出せればという思いに後ろめたさを感じていた。
でもその事は今考えたくはなかった。

上野行きの電車の中で参考書を開いた。
参考書の間に母ちゃんに渡した筈の白い封筒が挟まっていた。
封筒の中の5千円札6枚はそのままだった・・・・・・・。
しばらく見つめていた。白い封筒の上に涙が一粒こぼれた・・・・・。

お金が惜しくて、食堂の食事以外は何も買って食べたことがなかった。
私は家を出た時より2~3kg痩せていた。
会社を辞めて次のアルバイトまでの生活費も心配だった。
生活状態や精神的な不安は顔に出る。
母ちゃんは私がどんな悩みや不安を持っているのか気が付いていた。

上野駅でおりて山手線に乗り高田馬場に向かった。
もう一度早稲田大学を見ておきたかった。
駅近くの書店で「早稲田大学文学部過去問題集」を買った。

文学部を見渡せる穴八幡の長椅子に座り稲荷寿司を食べた。
前回来た時よりも早稲田大学が身近になったような気がした。
大隈講堂の前にはヘルメットを被った集団がいた。
ヘルメットには「革マル」と書いてあった。
手には角材を持っていた。テレビでよく見たことのある集団だった。
集団は歌の練習をしていた。異様な光景だった。
コーラスの練習ではない事は私でもわかった。

♪いざ たたかわん いざ 
♪ふるいたて いざ 
♪あぁインターナショナル 
♪われらがもの
♪いざ たたかわん いざ 
♪ふるいたて いざ 
♪あぁインターナショナル 
♪われらがもの
もう学生になった気分がした。周りの人達がみんな先輩に思えてきた

寮に帰って過去問題集の勉強を始めた。
大学に合格した後の生活の悩みはなくなっていた。
母ちゃんから戻してもらった3万円を4月からの生活費にできる。
このお金で退社後の生活ができる。次のアルバイト料が貰えるまでの生活ができる。
退社後1か月の生活費が大きな悩みの種だった。

早稲田大学の入学願書をもう一度確認した。
記載事項には間違いなかった。高校で貰ってきた証明書も封筒に入れた。
証明書は念のため2通貰ってあった。

1月6日、早稲田大学宛に入学願書を郵送した。
2月上旬に早稲田大学から受験票が届いた。
試験会場は文学部の体育館だった。
午前9時から3科目で12時終了の予定だった。

2回見学しているので場所の心配はなくなった。
緊張感は増し、学習時間をさらに1時間増やした。
1日9時間の学習時間にした。風呂、食事、洗濯の時間を極端に減らした。
工場の仕事も変化がなく寮に帰るのが待ち遠しかった。

入学試験日の当日の土曜日は2番勤務で昼間の時間は自由だった。
もし1番勤務でも有給をとって休むつもりでいた。
試験1週間前からは学習時間を半分の4時間にした。
体調を整えるため、睡眠時間を2時間増やした。

2月16日(金) 試験前日

文房具、受験表、着ていく物すべてチェックした。
試験前日は2番勤務で夕方の5時から始まり深夜の1時に終わった。
工場から寮に着いたのは深夜の1時半頃になった。
ゆっくり食事してお風呂に入った。もうあくせくしても始まらない。
目覚まし時計を朝6時にセットした。

2月17日の土曜日は快晴だった。
6時に起床しもう一度持参品を確認した。
鉛筆、消しゴム、受験票、念のためシャープペンシルも胸ポケットに入れた。
腕時計のリューズをいっぱいに回し、食堂のテレビで時計を正確な時刻に合わせた。

高田馬場駅に着いたのは8時ごろだった。
駅から早稲田大学のほうへ向かっていく人が多かった。
文学部のほうへ向かう若者が全員ライバルに思えて緊張感が高まった。
文学部の体育館の前には驚くほど受験生が集まっていた。
受験生はそれぞれ試験会場の校舎の方へ吸い込まれていった。
私の試験会場は体育館だった。
体育館の中には数え切れないくらいの長テーブルが並んでいた。
長テーブルの上には受験番号の札が貼ってあった。
私の受験番号1192番を見つけて座った。

定刻の9時前には会場がいっぱいになった。
相当な数の受験生がいたが会場はシーンとしている。
係員の説明のあと試験用紙が配られた。
9時ちょうどにテストは開始された。

12時に3科目の試験が終了した。
試験はまずまずのような気がしたが自信はなかった。
終わったという開放感より覚えた知識を出し切って気の抜けた感じだった。
1年間の学習の結果がたった3時間で裁かれる。
合格するかしないかでその後の道が大きく分かれていく。
それは努力と運の結果だ。希望者が大いにだからやむをえない事だ。

高田馬場駅に向かいながらポケットの中にあるメモを取り出した。
おじさんに書いてもらった会社の電話番号と地図を見た。
帰りに寄ってみようと思いポケットに入れておいたのだ。
念のため、履歴書も作って折りたたみバッグに入れてあった。

高田馬場駅から秋葉原駅で降りて総武線に乗り換えた。
両国駅は秋葉原から2駅目だった。早稲田大学からここまで30~40分位だった。
両国駅前には色々な食堂が並んでいた。定食屋さんで煮魚定食を食べた。

地図にあった国技館(日大講堂)はすぐにわかった。
会社は国技館のすぐ傍にあった。道路から奥に長く伸びた4階建ての建物だった。
お世辞にも立派な建物だとは見えなかった。
1階の駐車場には小型のバンや小型トラックが4~5台あった。
その会社の周りを何回も廻って様子を見た。
この会社のアルバイトを希望したいが、悩みは合格しなかった場合の事だった。
結果がわかってからのほうがいいかもしれない。
様子だけでも聞いておいたほうがいいかもしれない。
小さな頭の中で堂々巡りをしていた。

飛び込んで見なけりゃ何も始まらない。やっと決心してその会社の中へ入った。
ガラスのドアを開けると1階には20人くらいの人がいた。
入り口の近くにいた事務員さんから「いらっしゃいませ」と声をかけられた。
咄嗟になんていったらよいかわからなかった。
「あの~、群馬の太田から出てきた早川といいますけど」
「はい早川様ですね、どんなご用件でございますか」
「あの~、総務の安田さんという方に会いたいんですけど」
「早川様、お約束は何時でございますか」
「特に、お約束はしてないんですけど」
「どんなご用件でしょうか」
「あの~、太田の天田さんから紹介されたんですけど」
「天田様からでございますね。少々お待ち下さい」
事務員さんがどこかへ電話をしている。
そうか、昨日電話して置けばよかった。まだ自分だけの都合で動いている。

「早川様、こちらへどうぞ」
「あの~、え~と、安田さんはいるんですか」
「はい、ただいま参りますので少々お待ち下さい」
狭い急な階段を事務員さんが先に上って行く。
事務員さんはミニスカートをはいていた。
事務員さんの太ももを見ないように目をそらしながら階段を上った。
何も見ていないのに事務員さんは後ろに両手を当てている。

2階の奥の応接間に案内された。思ったより小さな会社だった。
「こちらでお待ち下さい」
「すいません、お待ちさせもらいます」
えんじ色の事務服を着た事務員さんにニヤッと笑われたような気がした。
小さな応接間だった。社長さんらしい人の写真が壁にかけてあった。
出っ歯で目がぎょろぎょろして、いかにも田舎もんという感じがした。
壁には“社訓”や、“社員の心得”が額縁に入って掛けられていた。
大事な事のような気がしてメモをとった。

<社訓>
一 私達は誰にも喜ばれる製品を通じて社会に奉仕いたしましょう。
二 私達は常に創意工夫を図り品質と歩留まりの向上に努めましょう。
三 私達はお互いに協力して約束を守り、楽しい職場を作りましょう。
四 私達の商品は私達の手で一つ一つ作り出す事を誇りとしましょう。

5分くらい経った。さっきの事務員さんがお茶を持ってきてくれた。
なにか悪い事をしているような気がしてメモの紙をポケットにしまった。
「もう少々お待ち下さい」
「はい、もし忙しいようでしたら帰りますけど」
「安田課長から応接間で待っていてもらうようにということでした」
「ああ、そうですか。まだここにいていいんですか」
「お客様のほうのお時間は大丈夫でございますか」
「はい。今日はこのあと何もする事がございませんので」
緊張で事務員さんの口調につられてしまう。
「ウフフ、はい、それではもう少々お待ち下さい」
「はい、お待ちします」
また事務員さんに笑われた。

次は左側の壁にかかっているのをメモした。
<社員の心得>
1.心やすいお客様でも友達扱いをしてはならない。
2.お客様のお尋ねには特に丁寧に充分な説明をせよ。
3.頼まれた事は確実に、その日の事はその日にせよ
4.相手に信頼されなければ社会生活は出来ない。
5.所得のないところに分け前はない。
6.社の品物はたとえ封筒一枚でも私用に用いてはならない。
7.社の秘密を洩らしたり、社の不利益になるような言葉を言ってはならない。

世の中には色々な考え方をする人がいるんだなと思いながらメモを取った。
考え方一つで、お金持ちになったり貧しかったりする。
考えた事を実行する人、考えただけでやらない人、考えない人。
考えた事を実行すると形になって大きくなっていく。
形になったものはお金に換わって溜まっていく。
この差が生活の貧富を作っているような気がした。
額に汗するだけでは豊かに離れない。
学習して、創意工夫して、知恵を使い実行しなければならない。
うちの親にはこれが足りない。毎日同じことの繰り返しだけだった。

15分くらい経過した。安田さんはまだやってこない。
暇に任せてメモしたものを暗記した。
受験勉強の延長で何でも暗記する習慣が付いてしまった。

ドアをたたく音がした。ずんぐりむっくりの男の人が入ってきた。
この人が安田さんに違いないと思った。
この人に4年間お世話になると思うと急に緊張してきた。

安田さんはむっとしたような顔で入ってきた。
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