第六章 発火点 3

文字数 5,619文字

 喫茶探偵事務所『四季』に、メンバー五人が集まっていた。
 最年長の四季(よつき)ゲンイチロウは、四十四歳で、『四季』の店長兼所長であった。未婚で、残念ながら、現在おつきあいしている相手はいない。しかし、結婚願望がないわけではない。というより、大いに有るが、ゲンイチロウ曰く、「結婚はひとりではできんからな」と本気で嘆いている。野太い声に巌のように頑健な肉体。容貌はいかついが、目元は優しげで、その落差(ギャップ)が印象深い。
 次の年長者は春海(はるみ)キョウジである。二十三歳で、今年の四月に大学を卒業したばかりの社会人一年生であった。『四季』の実働部隊のひとりである。キョウジも未婚であったが特別な相手はいなかった。キョウジ曰く、「結婚とは薔薇で出来た牢獄である」とうそぶいている。今のところ結婚する気はこれっぽっちもなかった。金色の髪は後天的なもので、右の耳にだけピアスをつけている。首にはネックレスを下げており、それはピアスと同じブランドのものであった。見るからにチャラいが、曲がったことは大嫌いな若者であった。
 二十一歳の夏目(なつめ)ナオトは、『四季』の実働部隊のひとりである。スカウトされたのは大学二年生の五月頃で、今年でまだ一年目でしかない。付き合っている彼女はいないし想いを寄せている女性もいない。恋愛に関しては奥手であったし、異性に対してあまり耐性がなかった。ナオト曰く、「今はとにかく勉強」であった。その心は、探偵業の勉強と休学中の大学の勉強である。黒い髪は目に届くほど長く、見る人が見れば鬱陶しい。容貌はいたって普通で、どこにでもいそうな若者であった。『四季』の常識人であると、自認している。
 秋津(あきつ)カナタは十八歳で、高校三年生である。『四季』の情報部門を任されていた。付き合っている彼女はいない。カナタ曰く、「人間と違って、機械は決して嘘をつかないし裏切らない」と、これは口癖になっていた。キョウジにいわせれば、人間不信の塊であり、カナタ自身も否定はしていない。それとも、相手にしていないのかもしれなかった。容貌は決して悪くはないが、人を見る目は冷ややかであり、それを隠そうともしなかった。機械にめっぽう強く、いつもなにかを制作していた。
 紅一点の冬木(ふゆき)シオリは、十六歳の高校一年生である。中学生の頃から『四季』に出入りしており、喫茶店『四季』のマスコットで看板娘であった。探偵事務所では実働部隊として行動することもあった。今現在、彼氏はいない。シオリ曰く、「同年代の男はみんな馬鹿に見える」と一蹴して憚らなかった。髪に赤、黄、青のメッシュを入れていて、目元は涼やかである。悪ぶっているが、笑うと優しげな眼差しが印象的な、キョウジ曰く、将来は、美人になることが約束されている少女であった。
 現在、時刻は午後八時を過ぎていた。店の外には「準備中(クローズド)」の看板がかけられている。五人の表情はひとりを除いて皆一様に硬い。例外者はもちろんキョウジであった。
 ナオトは神妙に俯いている。
 カナタはもともと表情が豊かではない。
 ゲンイチロウは明らかに不機嫌そうである。
 シオリは気をもむような表情でナオトとゲンイチロウを交互に見ていた。
 キョウジは眠たそうに目をこすった。次いで、大きなあくびをした。見るからに眠たそうにしているが、昨夜は徹夜で、その後は櫻華学園(おうかがくえん)高等科に、更にその後に、これが最も大切なのだが、野暮用があったからである。
「まあ、こういう仕事をしていれば、リスクとは無縁ではいられまい。少々迂闊ではあるが、そう目くじらを立てなくてもいいんじゃあないかな」
 キョウジは、あくびを噛み殺した。
「迂闊で済めばいいんだがな」
 ゲンイチロウの口調と表情は厳しかった。
「風間慶一の弱みを調べて欲しい。それが依頼人(クライアント)の依頼です。そのクライアントの名前が風間慶一に知られたら、大事(おおごと)ですね」
 カナタが冷静に表現したが、まさにそのとおりだと、ゲンイチロウは思っていたのである。
「大事も大事だ。こいつは信用問題に関わる」
「でも、その優木瑞稀って子に疑われただけなんでしょう? 間仲有佳里(まなかあかり)の名前は出していないんでしょう?」
 シオリの問いかけに、ナオトは黙って力なくうなずいた。
「だったら、大丈夫だと、あたしは思う」
 ナオトは臍を噛んだような顔を上げた。苦渋に満ちた表情であった。
「いや、カナタのいうことは正しい。有佳里の名前は出してはいないが、慶一の身辺を探っていること知られ(バレ)たら、有佳里に疑いの目が向くかもしれない。おれは、早まったのかもしれない」
「でもさ、話を聞いている限り、瑞稀って子はナオトのことが好きなんじゃないかな? だったら、ナオトの不利になるようなことはしないと思うけれど」
「同感だね」
 シオリの指摘に、キョウジが楽しそうに笑いながら肯定した。
「こっちは高校生が相手だ。発育がいいとはいっても女性としての魅力は、まだまだ不足しているね。それに、手を出したら犯罪になる。羨ましいくらいさね」
 ゲンイチロウはキョウジをじろっと横目で見た。
「目的を履き違えるなよ。お前のやることは、間仲有佳里の真意を探ることだ。なにか掴めたのか?」
「いや、それだがな」
 キョウジは珍しく、神妙な表情をしてみせたが、わざとらしさが見え隠れしている。
 間中有佳里と風間慶一の婚約は公表されている。間仲有佳里は表面上はともかく、内面では葛藤があるのは間違いがないだろう。時折見せる寂しげな瞳は、運命に抗うことさえ許されない、諦めの色が浮かんで見えていたからである。
 キョウジの見立てでは、有佳里の本心は結婚を望んではいないであろう。それならば、風間慶一の弱みを探ることに全力を持って当たるべきではないか。そう思っていたのである。
 今のところ、慶一がいなかったというスナック・バー『千歳』が怪しい。その謎を解明できれば、尻尾を掴む端緒にはなるのではなかろうか。そのようにキョウジは考えていた。
 ナオトは引き続き慶一の身辺を探る。少々危なっかしいが、今大学から姿を消すと、余計に怪しまれる。なにもなかったように、大学で情報を収集するべきであろう。それが、よりまし(ベター)な選択であった。
 話がまとまって解散する段になって、カナタが珍しく口を開いた。
「ちょっと待って下さい。キョウさんから報告があるはずなんですがね」
 キョウジは思い出したように眉を上げて、手を打った。
「忘れてた、忘れてた」
「なんだ?」
 ゲンイチロウに目を向けられると、キョウジがカナタに目配せした。カナタがノート・パソコンの画面を、みんなに見えるようにした。なにかの図面のようなものが表示されていた。
「こいつは、『千歳』の見取り図だ」
 階段を降りると一畳のおどり場があり、左手に入口のドアがあった。入口のドアの先に、一畳半の小さな空間があり、もうひとつのドアの先にフロアがあった。店内は四十八畳の広さで、北にトイレのドアがあった。そのドアの先には、一畳半の通路があり、左に六畳の広さの男子トイレが、右に女子トイレがあった。男子トイレにはバーとしては珍しいが個室が三つある。女子トイレの大きさを男子トイレの広さと同じだと考えると六畳になる。すべてを足すと、七十四畳となる。坪にすると約四十坪である。
「しかし奇妙なことに、この雑居ビルの建築面積は約九十畳、五十坪なんだそうだ。だいたいコンビニを想像すればいい」
 つまり、トイレとフロアを合わせても、建築面積の五分の四程度でしかないのである。残る五分の一強の空間は謎であった。
「基礎の工事が必要なので、地下だからといって、建築面積が五十坪以下ということは考えられ無いんです。地下の部分も、少なくても五十坪ないと、建物としては成り立たないんです」
 カナタが説明すると、ナオトは腕を組んで、右手を顎にそえた。
「確かに奇妙だが、おれにはそこまで考える余裕がなかったな」
 ナオトは唇を噛んだ。
「それは仕方ないじゃない。あの時は、慶一と彰男がいないことでパニクっていたんだから」
 シオリが助け舟を出したが、ゲンイチロウの表情と口調は、厳しく冷淡であった。
「それくらいで困惑するようじゃあ、探偵としてはまだまだ半人前だ」
 ゲンイチロウの言葉は、重く深くナオトの心に沁みた。キョウジと比較して、自分はまだまだ探偵としては未熟であることを思い知らされた気分であったのだ。
「では、地下も五十坪と考えると、わかっている四十坪以外の部分に何かがあると考えるのが普通だな」
「そう、ゆう、こと」
 キョウジがうなずいた。
「うむ」
 ゲンイチロウは太い腕を組んで、低く唸り、目を閉じた。どうするか、ここは女性であるシオリに動いてもらおうかと考えたが、危険である。シオリは怒るだろうが、危ない目に合わせるわけにはいかなかった。おそらくナオトも同じ考えであろう。前例があったからである。
 キョウジはどうだろうか。「女性は愛すべき存在」と公言しているからナオトと同じと考えられる。しかし、現実主義者(リアリスト)であるから、女性だからといって危険な目にあわせられないと考えるだろうか。以前、「ハニー・トラップを仕掛けてみるのも手ではあるがな」といったくらいだから。
 女性には女性にしか出来ないことがある。女性にしか入れない場所やカップルのふりをしたりである。だからこそゲンイチロウは、一瞬にせよ、シオリにヘルプをさせようと考えたのである。しかし、危険を承知しているからとはいえ、まだ十六歳の少女を働かせるのには、なにかと制約がある。しかも相手は、風間グループである。政・財・官に深く入り込んでいる。できれば危ない目には合わせたくはなかったというのがゲンイチロウの本心であった。
 ゲンイチロウは目を開いた。心を定めた者のような瞳の輝きであった。
「キョウジ、ナオト、今回の依頼、お前たちふたりで解決できるか?」
 キョウジとナオトは顔を見合わせた。口を開いたのはキョウジであった。
「ナオト次第、だろうね」
 皆がナオトに注目した。八つの瞳に見つめられて、少しためらった後で、ナオトは目をつむって顔を振った。そして、目を開いてゲンイチロウに決意に満ち双眸を向けた。
「二、三日猶予を貰いたい」
「二、三日と、期限を区切っても構わないのか?」
 ナオトは力強くうなずいた。確かにうなずいた。
「ああ、なんとか、やってみる」
 名誉挽回といえば大げさだが、ナオトは真剣にそのように考えていた。その覚悟の程は、瞳の奥に揺らめいている輝きで見てとれた。
「いいだろう」
 ゲンイチロウは深くうなずいた後で、ナオトとキョウジに発破をかけた。
「わしらは探偵だ。クライアントの望みを叶える、それのみで評価される。相手が忍者の末裔であろうが関係がない。わしらは、わしらの流儀でやる。やってみせろ、いいな、ナオト、キョウジ」
 完全に不安が払拭されたわけではなかったが、ゲンイチロウはふたりを信じることにしたのであった。
「四季」で今後の方針が話し合われてから三時間ほどが経過した頃のことである。風間慶一は都筑彰男から報告を受けていた。夏目ナオトの身辺調査についてである。
 曰く。夏目ナオトなる者、喫茶探偵事務所『四季』の探偵である。風間慶一の身辺を洗っていた。理由は、わからない。しかし、慶一の周りを嗅ぎまわっているのは疑いを差し挟む余地がない、つまり、事実であった。
「あまり気分の良いものではないな」
 慶一が他人事のように感想を述べた。
「相手の出方を見るために、少し痛めつけてやればいい。そうすれば、自分たちがいかに無力か、思い知るだろう」
 慶一は凄みをきかせた表情で彰男に目を向けた。
「慶一さまがそうおしゃられるのであれば、そういたします」
 彰男はまっすぐに慶一を見つめた。うなずかなかったのである。
「不満そうだな」
「はい」
「他に気になることでもあるのか?」
 彰男は無言で首肯した後で、つけ加えた。
「実は、もうひとり、『四季』の探偵の春海キョウジという者が、櫻華学園高等科に出入りしているようなのです」
「櫻華学園?」
「有佳里さまが通っている高校です。春海キョウジは有佳里さまのことを調べているようなのです」
「話が見えないな。おれと有佳里を嗅ぎ回っているというのか? 誰が、なんのために、そんな依頼をしたんだ?」
「そこまでは、まだわかってはおりません。引き続き、調べさせてはいますが」
 慶一は少し首を傾けて、正対している彰男の目に視線を固定した。
「わかった。とりあえず、相手の出方を見るために、先刻話したことを実行に移せ。以後は、経過によって、臨機応変に応対すればいい」
「はい。承知いたしました」
 彰男は、そう返事をしてから無言でうなずいた。
 ことここに至って、不良集団が登場することになる。彼らは徒党を組んでは悪事を働き、法を犯すこともしばしばであったが、市井のことに通じ、顔も広い。ただ、現在においてはあまり目立った動きはない。より楽な方法で、弱者から資産を奪い取る知能的な犯罪へ傾斜している。ことが露見し捕まる者は、出し子、受け子と呼ばれる末端に過ぎない。彰男が使おうとしていたのは、そのような特殊詐欺を行う知能犯ではない。暴力、脅迫を専らとする昔ながらの存在である。彰男は、「影」に五枚の写真を手渡し、金髪のチャラ男と特筆すべき特徴のない若者ふたりを不良集団の標的とするよう命じた。彼らより若年と思しきふたりには、高校生の集団に任せるよう命じた。そして、最年長者には手を出させないよう厳命した。
「最後に申し伝えておきます。彼らがやりすぎないように、手綱をしっかりと握っているように、お願いします」
「影」は黙念と頷き、霞のように消えた。その消えた場所の奥、自室の入り口にあるドアを彰男は睨みつけていた。圧倒的な威圧感ではない、尖すぎる刃物のような冷ややかさであった。
「さあ、終奏(コーダ)の始まりです」
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