第17話:原子炉建屋の爆発と2012年の出来事

文字数 1,700文字

「ただし3月28日現在の政府広報発表では、この事故により死者が出たとの報告はない」
 この爆発を受け、原子力安全・保安院は原発周辺20km以内に残っていた住民600人に屋内退避を勧告した。枝野官房長官は、「原子炉格納容器の堅牢性は確保されており放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」と発言。

 アメリカ海軍第7艦隊は、震災の救援のために三陸沖に展開していた原子力空母ロナルド・レーガン所属のヘリコプター作業員17人から低レベルの放射能を検知したと発表。同空母は福島原発の北東160kmほどを航行していたが、この汚染を受け発電所の風下から移動。13時25分、それまで安定していた2号機でも原子炉内部に冷却水を送り込むことができなくなった。

 そのため、「冷却機能喪失」として原子力災害対策特別措置法第1条に基づく特定事象の通報を行った。これにより2号機の原子炉の水位が下がったため、16時34分より海水の注水による冷却が開始された。19時45分、2号機の冷却水が大幅に減少し、燃料棒がすべて露出した。14日夕方より海水注入を行っていたが、ポンプの燃料が切れて注入できなくなっていた。

 東京電力は20時頃から再び海水注入を開始し、次第に水位は回復した。21時37分、福島第一原発の正門付近でこれまでの最高となる3.130ミリシーベルト/時の放射線を観測。
22時7分、福島第一原発の10km南に設置されていた放射能のモニタリングポストで、通常の260倍にあたる966マイクロシーベルト/時の放射線量が観測された。

 22時、福島第二原発のモニタリングポストMP―4にて通常「約0.04から0.03マイクロシーベルト/時」を 超える放射線量を観測され始め、3.84マイクロシーベルト/時の放射線量を観測。23時39分、2号機の「原子炉格納容器圧力異常上昇」により、原子力災害対策特別措置法第15条に基づく特定事象の通報を行った。

 23時50分、福島第二原発のモニタリングポストMP―4にて大規模な放射線量の上昇が確認され始め、28.1マイクロシーベルト/時の放射線量を観測。3月14日、東北電力三居沢発電所「水力発電所、最大認可出力1000kw」が設備点検を終え、被災発電所としては始めて営業運転を再開。絶望的だった東北南部太平洋岸地方の送電再開に一歩前進する。

 なお、その後3月14日、関東の一部で1時間余りの「計画停電」が実施された。また、現在も福島、第一原子炉の汚染水、浄化後も基準2万倍の放射性物質が大問題として残っている。夏が終わり11月に柳生敦夫と奥さんと両親の4人で伊東と熱海温泉へ行った。そこで、2泊して、日頃の疲れをとって、美味しい魚料理を食べた。

 昼間の日射しの良い時に、熱海港公園を散歩して、最終日には、熱海駅前商店感で温泉饅頭と鯛の干物を、お土産に買い込んで帰って来た。翌日には、近所の仲間や世話になっている人たちに、お歳暮として手渡してきた。やがて2011年が終わり2012年となった。古代マヤ文明は2012年に世界が終わりを迎えると「予言」し、それに基づいた終末論が語られていた。

 フィッチ・レーティングス「世界的格付け会社」が、ユーロ圏5カ国の国債を格下げ、イタリア、スペインなどは2段階格下げしヨーロッパの不景気を象徴しているような出来事だった。4月1日、ミャンマーの議会補欠選挙が実施され国民民主連盟「NLD」はアウンサンスーチーを含む44人の候補者を擁立、同氏含む40人が当選した。

 4月11日、北朝鮮で金正恩が朝鮮労働党の第一書記に就任。また、二日後の13日には国防委員会第一委員長にも就任した。5月6日、フランス大統領選挙の決選投票が実施された。4月22日の1回目の投票による上位2名、ニコラ・サルコジとフランソワ・オランドによる決戦で、財政緊縮路線に異を唱えるオランドが勝利した。

 フランス社会党の大統領としては17年ぶりで、2人目となる。これにより円高ユーロ安が急激に進み、1ユーロ103円、6月1日、95円58銭、1ユーロ、94円12銭の12年ぶりの安値をつけた。
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