河内音頭 vs 江戸神輿 ②

文字数 2,826文字

 動員数は河内音頭の足元にも及びませんが、古くからあるお祭りは地域に根差して続いています。以前ご紹介したように、錦糸町一帯は亀戸天神の氏子になっていて、毎年八月の四週目辺りで例大祭が行われます。

 母が祭り好きだったこともあり、小さい頃からお祭りが大好き。夕方六時ごろになると、公園に建てた(やぐら)から太鼓の音が響き始め、その音を耳にしてしまうと、早く行きたくてソワソワするような子供でした。
 最近は盆踊りを行う町会も減ってきてしまいましたが、以前は例大祭の日程に合わせて各町内で櫓を立てていたので、夜になるとあちこちで太鼓と鐘の音が聞こえていたのを覚えています。
 祭りというと、夜店の射的や輪投げ、金魚すくいにあんず飴が定番でした。天神様の境内だとお好み焼きやたこ焼き、ベビーカステラなんかも出ていましたね。射的や輪投げは楽しかったし、あんず飴ならスモモが一番好き。でも、何よりも好きだったのは盆踊りです。

 町会・婦人部のおばさんたちが揃いの浴衣を着て櫓の上で踊り、それを手本に、櫓の廻りで輪になってみんなで踊ります。
 そんな中、毎年決まって現れる壮年の男性がいました。彼は、踊っているのが女性ばかりの中に一人だけ、浴衣を粋に着こなして輪に加わります。おそらく、踊りの先生ではないかと思いますが、踊り方も独特な癖がありながらも手の使い方が美しい。秘かにこの方のファンになってしまい、踊りを見ながら真似をして動きを覚えました。
 ポイントは手の中指と(かかと)。中指に適度な力を入れると手の甲が伸びて、きれいな形になります。これを意識していると踊りにキレがある感じです。
 もう一つ、踵は常に浮かせているくらいで踊ると美しい。踵をつけたベタ足だと、ダラーっとして重たいイメージになります。実は、踵を浮かせて踊るのは結構疲れるんですよねぇ。帰る頃にはふくらはぎがパンパンに張っちゃいます。
 中学生になると櫓の上へあがらせてもらえるようになりました。お手本役に昇格です。街の祭りが一番盛り上がっていた頃で、踊りの輪も二重、三重になり九時過ぎまで続いていました。社会人になってから引っ越した先では踊れる人が少なく、お祭りの前に盆踊りの練習日を設けて、先生役を仰せつかったこともあるんです。東京音頭、炭坑節、八木節といった昔からの定番に加えて、大東京音頭やすみだ音頭は今でも踊れます。
 このすみだ音頭、墨田区が公募で選んだ歌詞に「好きになった人」などで有名な市川昭介氏が作曲し、都はるみ・大川栄策が歌うという豪華ラインナップで、曲としても踊りとしてもなかなかいいものです。当たり前ですが墨田区でしか聞いたことがないけれど、亀戸あたりのお祭りでも流してくれたらいいのにな。

 夜の主役が盆踊りなら、昼の主役は山車(だし)巡行です。
 最近は土日しか行いませんが、以前は祭りの期間は毎日、しかも午前・午後にそれぞれ一回ずつ、町内を練り歩いていました。
 こちらで言う山車は曳太鼓と呼ばれるものです。曳台の上に直径一メートルを超える大きな太鼓を乗せ、子供たちが綱で引いて歩きます。太鼓を叩きながら練り歩くのですが、この叩き方が独特で、「ドーン、ドーン、カッカッカッ」「ドン、ドン、ドン、カッ、カッ」を繰り返します。文字で表しても伝わらないかな。秒数で表すとそれぞれ七秒間のうちに、前者は「《一》、二、《三》、四、《五》、《六》、《七》」、後者は「《一》、《二》、《三》、四、《五》、六、《七》」のように矢括弧のタイミングで叩くんです。何となくでも違いが伝わっているといいけれど。
 この叩き方は東京(江戸)の祭りならばどこでも共通ではないでしょうか。他の地域で山車に遭遇したとき、異なる叩き方を聞いたことがありません。なぜこのようになったのかは分かりませんが(^^;)。
 山車を引く子供たちのお目当ては、休憩所でもらえるお菓子。「駄菓子の街 錦糸町」ですから、麩菓子やうまい棒を始め、たくさんのお菓子がもらえます。大きな袋を持って、他の町会と掛け持ちする子もいるくらいです。
 一方、山車のかじ取りをする大人の側は、とても気を使います。
 急角度では曲がれないから大きく弧を描くように回る、車輪で足を踏まれないように、山車の近くでは大人も子供も曳かせない(曳き綱にリボンなどで目印をつけて、そこから前で曳いてもらうようにするのが一般的)などがありますが、スピードが出てしまったときは特に注意しなければなりません。
 曳き始めは力が要りますが、動き始めてしまえばそれほど力を必要としない山車。そのため、ついスピードも出がちになりますが、ブレーキなどついていないため、かじ取り役が体全体で山車を抑えてブレーキ代わりとなります。背中で山車を抑えながらアスファルトに足を突っ張ってスピードを緩める。すっごく疲れるし、これまたふくらはぎがパンパンに……。
 みんなが安全に楽しく過ごす陰には、裏方の努力が欠かせませんからね。

 そして、祭りの華、神輿巡行は最終日(日曜)の昼間に行われます。これも以前は午前・午後と出ていましたが、担ぎ手の不足と暑い時期を考慮して、今は午前中のみとする場合が増えています。
 高校生になり(むつみ)(正確には睦の下部組織である若睦(わかむつ))に入り、名入り提灯と揃いの浴衣、半纏も造って気分は一人前。でも、まだまだ何も分からず、色々な決まり事を少しずつ覚えていく、そんな段階です。
 当時は担ぎ手に組関係の方が入ることも多々あり、担いでいる間に神輿の上へ乗ってトラブルになることが少なくありませんでした。神輿は文字通り「神の輿」なので、それに乗るというのは罰が当たるとされています。同様に、神輿巡行を二階から見るのもダメ。神様を見下ろすことになるから。
 今では、組関係の方には担ぐのを遠慮してもらい、神輿の上に乗ることもなくなりました(三社はまだやってますけどね)。また、ビルやマンションが立ち並ぶ中で、二階から見るなとも言えないので、そこは大目に見るようになりました。時代と共に変わっていくルールもあるけれど、その本来の理由を知ったうえで変えていくことが必要なのかなと思います。
 掛け声の「わっしょい」も、「神の輿を和をもって背負う」ということが由来だそうです。そう聞くと、街の重鎮が「わっしょい」という掛け声にこだわるのも分かる気がしますね。
 町外の担ぎ手同好会などに依頼することが増えた今では、睦の役目は担ぐことよりも、交通整理や担ぎ手同士のトラブル仲裁など、神輿の運行に掛かることが主となりました。せっかくのお祭りなので、山車と同様にみんな楽しく、が一番です。

 例年の神輿巡行は町内を練り歩くのみですが、四年に一度の大祭では連合渡御という行事があります。次回は連合渡御の様子をご紹介します。

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