第1話

文字数 6,758文字

『宴~The Prince Of Moon~』


月に一度の満月の夜。
それは、愛らしい猫たちの宴の日である。
とりわけ年に一回の十五夜は、それはそれは大賑わいの大祭りになるそうな。


残暑も薄れ、秋風が心地よく吹き始めた九月。
もう一週間も前から、噂にはなっていた。
鳥たちが騒いでいたのだ。もうすぐ十五夜である、と。


それは海の向こうへ、山の向こうへ、更には月までも伝わった。
そしてやってきた十五夜。またの名を、中秋の名月と呼ぶ。

人間が寝静まった真夜中。
とある港に近い公園に五匹の猫が集まった。

「どーも、ワテ、今回の幹事の、ミミと申します。どーぞ、よろしゅう」
黒ブチの猫がどこぞの方言混じりに言う。
「今宵は待ちに待った十五夜。マタタビ酒を片手に、さぁさぁ、盛り上がりましょ」

「オレはクロ。まぁ、見たまんま、黒猫のクロだけどな。猫界のスターってのはオレのことよ!」
黒猫の言葉に、アメリカンショートヘアーが耳をピクピクとさせた。

「誰がスターだって……?猫界のスターはこの俺!正真正銘の血統書付き!アメショーのチビ様のことだ!」
チビは、フンッとふんぞり返って、その場にいる誰よりもデカイ体をさらに大きくさせた。
「チビ……?お前が……?どうみても“デカ”だろ……」
クロが言う。
「う、うるせぇ!仔猫の時はチビだったんだ!」
「あー、ようありますなぁ、そういうの」
チビの時に飼われ、気づけば誰よりもスクスク育っていたという猫界あるあるだ。

「フッ、さっきから黙って聞いてりゃ、おかしなもんだぜ。猫界の一番はこの俺様だ」
クロとチビの言い争いを傍目に聞いていた三毛猫が、マタタビ酒を飲みながら口を開く。
「げげっ、ミケかよ……」
「おや、オスの三毛猫はんですか。こりゃ~、珍しい」
そう、この三毛猫、ただの三毛猫ではない。オスの三毛猫である。
ここら一帯を取り仕切るボス猫でもあり、ノラ猫ながらに人間の間でもちょっとした有名猫なのである。
ノラ猫クロにとっては、恐れの対象のようだった。

「だーっはっはっは!!」
ミミと三毛猫ミケの会話を、大きな笑い声が遮る。
その声の主は、真っ白なメス猫だった。
「誰が一番だって、そーんなもんどーだっていいだろ。あーあ、可笑しくて腹が痛いよ」
塀の上でオス猫たちを見下ろす彼女の首には、瞳と同じ水色の首輪が光っている。

「あっ!タマ姐さん!」
チビが白猫のことをタマと呼びながら近寄る。
「……白猫タマ、か……」
三毛猫には、その名前に聞き覚えがあった。
「あんたがミケかい?」
白猫タマと三毛猫ミケは互いに睨み合いながら不敵な笑みをみせる。
「おや、ミケはんとタマはんはお知り合いで?」
「いや、知り合いってほどでもないけどね。あんただろ?ノラ猫のボスって」
「そっちこそ、腑抜けの飼い猫を仕切ってるメス幹部って噂じゃねーか」
「腑抜けは余計だよ、ったく……」

「ま、まさかタマって、あのタマかよ!!」
タマとミケの会話を聞いていたクロが驚いて言う。
「おや、クロはんもご存知で?」
「お前、白猫タマって言えばここらじゃ有名だろ!!」
「そうさ!タマ姐さんは我ら飼い猫の誇りなのさ!!」
チビがいかにも誇らしげに言う。

「ほ~。そら知りまへんでしたわ。いや~、こりゃ失礼いたしやした。
なんせワテはナニワから参ったものでやして……」
ミミが変わらぬ笑顔のまま言う。
「アンタ、その胡散臭さはどうにかならないのかい……」
「いやぁ、滅相もございまへんっ!」
「いや、誉めてないから」

ある程度自己紹介も終えたところだった。
ミミがマタタビ酒を持ち、乾杯の音頭をとる。
「さぁさ、皆はん、マタタビ酒の用意はええですか?」
と、その時だった。

「ごっめ~ん!!遅れちゃった~!!」
フサフサでモコモコで愛らしい、狸のようなヒマラヤンが現れた。
「おや、モモでないかい?」
「あぁ!モモさん!」
タマとチビがその名を呼ぶ。

「あ~、タマ姐さんにチビちゃん!やほー、おまたせー!!」
「こいつはモモ。あたしらと同じ飼い猫で、結構な情報通。
友達も多くてね、どーせ遅れた理由だって、他の猫と先に飲んでたんだろ?」
「も~、姐さんには敵わないな~」
「っていうか“チビちゃん”って呼び方やめてくださいよ。俺、いつまでもチビじゃありません!」
「え~。でもチビちゃんはチビちゃんだよ~?」
「あ、ちなみに、こんな可愛い面してこんな可愛い喋り方してこんな可愛い名前だけど、列記としたオス猫だから、気をつけな」
モモとチビが言い争い、それをスルーしてタマが冷静に説明する。

時刻はもう一時を過ぎていた。中秋の名月は一層その輝きを増す。
「さぁ気を取り直して、乾杯しまひょか」
ミミが再び仕切りだす。


"酒に映る月ごと

三毛猫黒猫かつお節

あ~あ、今宵は宴にゃ、踊れや踊れ

マグロが好物、手元にゃカツオ

オコボレ、マタタビ、嗚呼頂戴、それにゃんにゃん"



「「「乾杯~!」」」



杯がぶつかって互いに音を立てる。
その杯を猫たちは一気に飲み干す。
そうすれば、また杯は酒でいっぱいになる。

猫たちはそれを繰り返していく。


その時だった。愉快に賑わう猫たちの背後から、のっそりと大きな黒い影が……。
「お前ら……ここで何をしてるんだ……」
野太く低い声が聞こえた。その声に、猫たちは一瞬動きを止める。
自然とその賑わいも静まり返ってしまった。

「お前たち、何度言えば分かるんだ? ここはお前たちの場所ではない」
その声には聞き覚えがあった。
まさに猫たちの天敵ともいえる、犬の中の犬……近所の漁師の家で飼われている大きな大きなブルドッグ。
その姿が、猫たちの背後にあった。

「にゃ、にゃにゃにゃ、にゃんでお前が、こんな夜に……!?!?」
「ニャーニャーウルサイもんでね、目が覚めちまったぜ……」
クロが怯えながら尋ねると、ブルドッグはニヤリと牙を見せて笑いながら言った。
「覚悟は……できてるんだろうな……」
猫たちは大急ぎで逃げる体勢を取った。
「皆……」
ミミがポツリと言う。
「逃げるにゃーーー!!!!」

ミミの大声を引き金に、猫たちは一斉に逃げ出す。
塀の上を伝い、屋根の上を伝い、その後を屋根の下でブルドッグが追いかけてくる。

「全く、しつこい犬っころだねぇ。そんなんじゃモテないよ!」
「アホ。聞く耳持たねぇって」
先頭を行くのはタマとミケ。
最初こそ睨み合っていた2匹だが、どうやら意気投合したらしく、
傍から見ていた者の話ではうっかり大人なピンク色の空気が見えたとかそうでないとか。

その後に続くのはミミ、クロ、モモの3匹。
クロは酔いまくったモモを背負いつつ逃げる。
「おまっ、重いぞ……っ!!ダイエットしろ~~~!!」
「ん~……むにゃむにゃ……」
「大変ですなぁ。ご苦労はんや」
「貴様も手伝え、このコウモリがぁ~~!!」
「嫌ですわぁ。そないなことしたら入らぬ火の粉を浴びてしまいます~」
「くそっ……本性出しやがったな……!!」
「ほほほ~。怖い怖い……」

そして最後は体の大きなチビ。
その大きな体ゆえか、屋根伝いに歩くのは結構な一苦労のようで、
酔いのせいもあるのか足元がおぼつかない。
「ま、待ってくれぇ~い……えっほ、えっほ……」
下では相変わらずブルドッグがワンワンと吠えながら追いかけてくる。
万が一屋根から落ちれば間違いなく捕まるだろう。

と、その時だった。
「うにゃぁっ! しまったぁ!!」
一番最後に逃げていたチビが足元を滑らせてしまった。
チビはその自慢の鋭い爪で何とか落ちずにいるが、宙吊りの状態で、完全に落ちるのは時間の問題だった。

「た、助けてくれ~い!!」
チビの叫びを聞いて一番に駆け寄ったのは、一番最初に逃げていたはずのミケとタマだった。
「ったく、しゃーねぇなー」
「この貸しは高くつくからね」
2匹が手を伸ばしてチビを引き上げようとする。
しかし、チビの体は思った以上に重く、中々引きあがらない。
「くそっ……」
「あんた……なんで“チビ”なんて名前になったのさ!!」
「だ、だから、最初はチビだったんだってば~~~!!」

悪戦苦闘する3匹に、もう一匹、黒い手が差し出された。
「ク……クロ……お前……!!」
「へっ……猫界のスーパースターが助けてやるんだ……感謝しろよ……っ!」
「……バーカ。猫界のスーパースターは……俺だ……」
「……言ってろ」
すると、一時的にクロの背から下ろされていたモモが起きた。
「お、いいところに……。お前も手伝え……」
クロが言う。
しかし、モモの手には何故か狗尾草(別名:猫じゃらし)が。
そしてモモはゆっくりとクロたちに近づき、その顔の前に狗尾草を見せた。

「な、何をするつもりだ!!」
クロの叫びにニヤリとしたモモは、持っていた狗尾草をゆっくりと動かし始めた。
「や、止めろ……!!」
「ほーれほれほれ……ほれほれー……」
酔い交じりの顔で、いかにも弱々しい声で、そのふざけたままの態度で、狗尾草……いや、猫じゃらしを動かす。
クロ、タマ、ミケの3匹は自分の体が疼き始めているのに気付いた。
「や、止めろ!」
「くっ……俺様としたことが……」
「これは……いけないねぇ……」

3匹だけでなく、落ちかけているチビもそれに反応していた。
「う……」
「だ、ダメだ!!手を離すな……手を動かすな!!」
「おいモモ!!やめろ!!」
しかしモモはやめない。

「くそ……この酔っ払いが……!!ミミ、コイツを止めさせてくれ!!」
残り、余っているはずだとミミを見ると、ミミは呑気に腕を組んで見ているだけだ。
「嫌ですわぁ。先ほども言いましたやん。入らぬ火の粉を浴びるのは堪忍ですわぁ」
ニッコリと微笑む。それはもう美しいほど。
「おま……それでも仲間か!!」
「仲間は仲間でも、自分が一番可愛いんでねぇ」
「この、コウモリがぁ~~~!!!!」
本日何度目になるであろう。ミミはすっかり本性を見せていた。

「ほっとけ、クロ」
「そうは言っても、この状況どうすんだい? いくらアタシでも……もう、限界だよ……」
「……確かにな。猫の運命だ……。動くものを見ると……」
「お、俺……もう……ダメ……!!」
チビの言葉を引き金に、4匹は一斉に狗尾草、いや、猫じゃらしに飛び掛った。

……それはつまり、チビが落ちることを意味するわけで。

「た、助け……落ちる~~~!!」
チビは真っ逆さまに屋根から落ちていく。
それはまるでスローモーションのように見えた。
下には相変わらずブルドッグがいて、チビが落ちるのを待っている。

……その時だった。

落ちていくチビの体を何かが攫っていった。
「な、何!?!?」
ブルドッグの驚いた声が響く。
そしてチビを攫った何かは、残る仲間たちのいる屋根の上に降り立った。
……黄金色をしたそれは、三日月型の舟だった。

「危ないところでしたね」
その三日月型の何かから猫が一匹降りてきた。
シルバーブルーの美しい毛色、キリリと丸いエメラルド色の瞳、程よく筋肉のついた体……。
猫なら誰もが羨むような、完璧なスタイルをしたハンサムな猫だ。

「僕はルナ。月から来ました。
さぁ、皆さんも三日月の舟に乗ってください。最高のお月見会場へご案内いたしますよ」
そういうとルナは未だに狗尾草をピョコピョコと動かしているモモを引きずって舟の中へ連れて行った。
警戒しつつも、すでにチビとモモを連れて行かれてしまっては仕方がないと思い、残る猫たちも舟に乗った。

「皆さん乗りましたね。それでは、出航します」
ルナの声を合図に、舟はゆっくりと動き出す。そして、空を飛んだ。
「うわぁ……!! すごい……!!」
警戒心も忘れて、クロは感嘆する。
舟が通ると、宙に星屑の軌跡が描き出される。それはとても美しいものだった。

「ほう……これは、いい眺めだな……」
ミケの瞳も穏やかなものだ。
舟の下では人間たちが灯した明かりが転々と散らばり、その上に黄金のベールを被せるように、軌跡を描いていく。
その光景に誰もがうっとりとため息をついた。

「お気に召していただけたようで、良かった」
「そういやアンタ、さっき月から来たって言ってたね」
「えぇ。僕、普段は月で王様付きの猫をやっているのですが、
毎年、この中秋の名月の夜だけは、こうして地球に降り立ってお月見を楽しんでいるのです」
「月の王様?そりゃあ、ロマンチックな話だねぇ。差し詰めアンタは月の王子様って所か」
冷やかしでも何でもなく、タマが優しい口調で言う。
「そんなお褒めの言葉をあなたからいただけるとは、光栄ですね」
「何?アタシ、月でも有名なわけ?」
「えぇ。白猫タマとオスのミケは世界中で有名ですよ。是非今度、月にも遊びに来ていただきたいですね」
「むぅ……俺だって猫界のスーパースターなのに……」
「スーパースターは屋根の上から落ちたりしねぇよ」
チビの言葉にミケがツッコみ、笑いが起こる。
その集団から、ミミは1匹外れていた。
黙って舟の外を見つめている。

「あの星屑、欲しいですなぁ……」
ミミはそうポツリと呟いて、星屑へ……舟の外へ手を伸ばす。その時だ。
一際強い向かい風が吹いて、その拍子にミミは舟の外へ投げ飛ばされてしまった。
「う、うわぁっ!!」
ミミの叫びを聞いた一行が、ミミのもとに駆け寄る。
「ミミ!」
「た、助けてくだはい……!!」
そういった瞬間、ミミには先ほどの光景が浮かんだ。

チビが落ちかけていたとき、自分は何もしなかった。
自分に被害が及ぶのを恐れて、黙ってみているだけだった。

……自分は、助けてもらえない……。
ミミは後悔し、絶望した。舟の中に立つ仲間が、先ほどの自分とダブる。

しかし違った。ミミの手に、温かい手が添えられた。
その手の中には、チビの手もあった。
「み、皆はん……どうして……ワテ、さっき何もしなかったのに……」
「ふんっ、俺様はお前とは違うんだよ」
「どうしようもなく冷たい奴もいる。けど、どうしようもなく温かい奴もいるんだ」
ミケとタマの声は優しい。

「アンタの小さな体じゃデカい俺を助けることは無茶だ。
でもデカい体の俺は小さなアンタを助けられる。それだけだ」
チビもニッコリと優しく笑う。
「……どこまでお人好しなん?ほんまに、自分らには敵わんわ……」
ミミは今までとは違った、少し乱暴気味な口調で言う。
俯いていて表情は見えないが、泣いているようにも見えた。
それが、ミミの本来の姿であるように思えた。

「さぁ、皆さん。もうすぐで着きますよ」
ミミを舟の上に引き上げると、ルナが言う。
すると舟はだんだんと下降していく。
同時に、星屑の軌跡は地上へ続く絨毯になった。その絨毯は深い森へと続く。

森の中に、古びた小屋があった。
その小屋以外は何もなく、人間の手も加わっていないようだ。
「ここは僕の秘密基地なんです。
毎年お月見で地球に来た時は、必ずここで寝泊りをするんです。どうぞ」
そう言ってルナは小屋の入り口を開け、猫たちを招き入れた。

中は明かりが一切無いのに窓から入る月明かりのせいで明るかった。
「いいところだねぇ」
「でしょう?僕も自分で結構気に入ってるんです。
木漏れ日も日陰も月明かりも程よく入ってきてね」
ルナはタマに受け答えながらロウソクに火を灯す。
すると部屋の中は一層明るくなる。

「どうぞお好きにおかけください。今、ホットミルクを淹れますね」
明るいものの明るすぎず、程よい暗さがお月見にちょうど良い。
一行はそれぞれ腰掛け、広い窓からのお月見を楽しむ。
「マタタビ酒もいいですが、ホットミルクを飲みながらのお月見も中々良いですよ」
ルナは熱々のホットミルクを皆に配る。そして配られた全員が同時に呟く。
「「「……熱っ」」」

 それは、猫舌ゆえの運命。


翌朝、ルナの姿はなかった。
けれども6匹はあの小屋の中にいて、空っぽのマグカップが7つ。
そして昨晩灯したはずのロウソクは解けきって、その姿は消えてしまっていた。

外へ出れば、白い朝の三日月が浮かんでいて、そこから真っ白なヒコーキ雲が真っ直ぐに伸びていた。
「星屑の軌跡は、ヒコーキ雲になるのかにゃ」


誰かがそっと呟いた。




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登場人物紹介

ミミ…ナニワからやってきた黒ブチの猫。

クロ…公園で生まれたノラの黒猫。兄妹がたくさんいる。

チビ…アメリカンショートヘア。血統書付きの飼い猫。全然チビじゃない。

ミケ…ノラ。ここら一帯を仕切っているボス。世にも珍しいオスの三毛猫で、人間の間でも有名。

タマ…近所の魚屋さんの看板猫。美猫だが、性格は肝っ玉姐さん。

モモ…飼い猫。ヒマラヤン。のらりくらりとしていて、自由気まま。トラブルメーカー。

ルナ…月からやってきたという王子様。柔らかな物腰でハンサム。モデルは作者の飼い猫。

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