三十二

文字数 5,698文字


 翌朝、里中は谷口に電話した。
 三回目に彼が出たと思ったら、留守録のための音声だった。
 一応、携帯に電話してくれるようメッセージを残して切った。
 一階でバフェスタイルのモーニング・サービスがあるので、それを食べに行こうと上着を羽織ったとき、携帯のベルが鳴った。
「はい。里中です」
「ああ。谷口や。電話くれたみたいやな」
「うん。昨日の今日で悪いんだが、もし時間があれば、付き合ってもらえないかなと思ってね」
「ええよ。ええけど、何時から――」
「どこかで、昼飯を食いながら、というのはどうかな」
「昼飯か――。それより、いまからやったらあかんのか。なんやったら、そっちゃへ行ったってもええで」
「ああ、構わないが、きみはいいのか」
「どうせ、ここんとこ暇やし。するこというたら、欠伸か昼寝くらいなもんや」
「またまた、そんなこと言って――。恩に着るよ」
「ほな」
「ああ」
 谷口は、それから半時間ほどして、里中の泊まっているホテルのロビーにやってきた。
「早速なんだが……」
 里中は、谷口が腰を下ろすなり、口を開いた。「今日は、二ヶ所ほど付き合ってほしいんだ。ひとつは京都新聞。もうひとつは昨日行った伏見署だ」
「うん。それで――」
「まず京都新聞なんだが、誰か知り合いはいないかね」
「おるよ」
 谷口は軽く応えた。「新聞記者やったら、新米からベテランまで、そこそこ知ってる。なんせ京都新聞は、地方紙やさかい、転勤いうても府内やしな。どこへ回されても、全国紙みたいにどっか行っておらんようにはならへんのやわ」
「なるほど。付き合いは長いということだね」
「そや」
「で、誰か紹介してもらえないかな」
「電話してみよか」
「ありがとう」
「あ、谷口ですー。ご無沙汰ですー」
 相手が出たらしく、彼は携帯電話に向かって言った。「はあー、はいはい。そら、ええ。元気にしてまっせー。どうです。元気にしたはりますか。
 ほう。そら、凄いですな。え、あ、そう。そうなんですわー。ここんとこ、暇でねー。金魚のフンしてまんねや。いや。それが、ほんまでんねー。
 それでね、秋津さん。ちょっと頼みがありまんにゃ。
 いやいや。そんな大したことやないんやけど、ちょっと教えてほしいことがあってね。そう。そうそう――。いや、それでね、いまニューオークラにいますにゃけどな。あ、いやいや。それは友達がね……。
 そう。よかったら、近くやし、ちょっと顔見せてもろたらなー思うてね。え。あ、そうですか。すんまへんなー。ほな、お待ちしとります。あ、おおきに」
 谷口は、携帯を切ると里中に向かって言った。
「きてくれるらしいわ」
「ほう。それはよかった。で、そのひとは――」
「この道、四十年のベテラン記者や。京都にはめっちゃ詳しいで」
「なるほど。ぐっさん並みの京都通登場――というわけですな。鬼に金棒だ」
「いやいや。わたしはそう大したことないけど、この秋津さんいうのは凄いでェ。フットワーク軽いし、即断即決や。あんなんが、ほんまのブン屋いうんやろな」
「じゃ、期待していいんだよね」
「任しときィな」
「それと、伏見署のほうなんだけど、こっちは、その秋津さんのほうで情報が取れれば、必ずしも行く必要はないんだが……」
「ええがな、両方行ったら――。何が調べたいのか知らんけど、そのつもりやったんやろ」
「ま、そうだったんだけど、ぐっさんのなんだか疲れた顔見てると、あまり引きずり回すのも悪いと思ってさ。ここんとこ、毎日だからね」
「かまわんよ。どっち道、暇やいうてるやろ」
「そうか。ありがとう。じゃ、ぼくはモーニングを食べるが、きみはどうする」
「ああ、いただいとこうか」
 それから十分もしないうちに、秋津記者がやってきた。大柄な人物を想像していたが、自分の肩ほどの高さしかない小柄な男性で、かなりの年配に見えた。
 谷口が間に立って里中を紹介し、二人が名刺を交換した。
「で、お二人はどういうご関係で――」
 秋津記者が訊ねた。その眼に好奇の光があった。
「どういう関係いうても――」
 里中が応えようとしたとき、谷口が繋いだ。「大した関係やあらへん。たまたまわたしの原稿を読んでもろたのが縁で、いままで続いとる。そういう関係や」
「なるほど。作家と出版社という関係なんですね」
「ま、そういうとこ――」
 谷口は照れくさそうに答え、里中を見て言った。「さ、なんでも聞いてや。京都のことやったら、秋津先生ありやで」
「いやいや。とんでもない。谷口さんには負けますよ」
 秋津が言うのを受け、里中が口を開いた。
「実は、この記事の中にあるホームレスの消息がわかればと思いましてね……」
 里中は、例の新聞の切抜きを取り出し、自分の思いと疑問点を手短に説明した。しかし、吉田の遺した小説が手許にあることについては言わなかった。小説の存在云々については、話題がそっち方面になったときに説明すればいい……。
「なるほど。これは、ちと腑に落ちませんね。本来、こういう書き方はしないんですが、しているということは、やはりこの記者に含むところがあったと考えていいでしょう」
「やはり、そう思いますか」
「ええ、思いますよ。しかし、そういうことですと、この記者が誰なのかを特定しなければなりませんね」
「そうです。それをお願いできますか――」
「わかりました。すぐ調べてみましょう」
 秋津はすぐさま携帯を取り出し、ボタンを押し終えて言った。
「あ、秋津です。去年の十一月十八日のアサ刊の三面、『ホームレス 川の中で凍死』の記事なんだけど、これ、誰が書いたかわかる。うん。そう、十八日。オーケイ。じゃ、待ってる」
 秋津は携帯を切って、二人に言った。
「すぐわかりますよ」
「ありがとうございます」
「いやいや」
「それと、もうひとつ記事がありまして……」
 嵯峨で起こった事件の切抜き記事を見せながら。「一度に言えばよかったんですが、これの犯人というのは、その後、どうなっているんでしょう。併せてお調べいただくと嬉しいんですが……」
「ああ、これ。知ってます」
 秋津は、切抜きを見るなり答えた。「――というより、わたしが書いた記事です。そう。これについては、その後も進展はありませんね。表向きはともかく、警察としては、あまり真剣に取り組んでいないのではないでしょうか。残念ながら、警察からは新しい情報は出てきていません」
「そうですか……」
 里中は落胆した表情で言った。そして、思い直したように。「では、個人的な見解で結構なのですが、記者として、この事件についてどう思われますか」
「そういえば、いま気がつきました――」
 里中の質問には答えず、秋津が言った。「さきほどの記事と、この記事には関連性がありますよね」
「わかりましたか」
「ええ。つまり、最初の記事のヨシダというホームレスと、この記事の吉田美貴さんとは夫婦繋がりだったということですよね」
「そうです。よくわかりましたね」
「そりゃ、順番に見せられれば、誰だって、おやっと思いますよ」
「さすがです」
 里中は眼を細めて言った。「で、さきほどの質問の続きなんですが、この男性について、もう少し詳しいことはわかりませんか」
「そうですね。わたしが取材させてもらったのは、その反対側のお家でしたが、そこの奥さんによると、男性はひ弱な感じで、いつもぴりぴりした様子だったと言っていました。
 なんでも、この吉田美貴さんは、世話好きな女性で、色々とこの男性の生活の面倒も看ていたようです。旦那さん、つまり吉田栄一さんは、その奥さんが越してくる一ヶ月ほど前に失踪していたようで、一度も顔を見たことはないそうです」
 里中は、まるで吉田の書いた小説を再吟味しているような気持ちで聞いていた。その辺りまでは、吉田の情報とまったく同じだ。問題は、そのあとの解釈にある――。
「で、秋津さんとしては、どんな感触なんです」
「そうですね。わたしの感触としては、この男性はシロともいえますし、クロともいえますね」
「ほう。その根拠は――」
 意外というか、期待どおりというか、自分の思いに近い答えが得られそうな気がして、里中は身を乗り出していた。ひょっとして自分のように、吉田を犯人と見ているかも知れない……。
「根拠というほどのものではありませんが、あの男性には、吉田美貴さんを殺すほどの動機がなかったと思うんですよ」
「動機がなかった……。そんなことまで調べたんですか」
「いや。調べたというより、里中さんも言われるように、個人的な見解に過ぎないんですがね。あれこれの話を総合してみると、二人は、あまりにも似すぎているんですよ。似すぎているがゆえに、二人は、心中を図ったのではないかとわたしは見ています。
 新聞記者という立場上、滅多なことは言えませんが、警察発表の内容を見てみると、そんな気がしてくるんです。吉田さんの着衣に乱れはなく、抵抗した跡もなかったとありますが、それもそのはずで、合意の上での心中なら、そういうことは充分にあり得ます。
 つまり、男性は、不憫さゆえに不遇な彼女を殺したものの、その場では死に切れなかった。そして、自分のやったことが恐ろしくなって、逃げ出したんです」
「なるほど――。この種の事件にありがちなパターンですね」
 里中は、感心した面持ちで言った。「そして、心中する気持ちがほんものなら、いずれどこかで、男性の遺体は発見されるであろうと、そういうことですね」
「そうです。わたしは、その後の足取りが掴めないということは、そういうことだと見ています」
「つまり、いまごろは……」
「おそらく――」
「うーむ」
 里中は嘆息した。この解釈のほうが、自分のよりは妥当かもしれない。自分の推測は、あまりにも荒唐無稽すぎた……。
 と、そのとき、里中の携帯が鳴った。
「あ、ちょっと失礼します」
 秋津に言って、電話に出た。「もしもし」
「あ、お疲れさまです。三田です。例の保険金ですが、やはり吉田栄一本人に支払われているということがわかりました」
「そうか。では、小説に書かれたことは本当だったんだな」
「そうですね。あれだけリアリスティックで、自伝的な小説もないでしょうけどね」
「わかった。ありがとう。また連絡する」
「なんか新しい情報が入ったんか――」
 辛抱強く二人のやり取りを聞いていた谷口が、興味をそそられたように訊ねた。
「ああ。あの小説を最後まで読んでみたんだが、吉田美貴に保険金が下りたことになっている。それで、ウラを取ってみると、実際に死亡保険金を吉田自身が受け取っていることがわかったんだ」
「なるほど。それで、『小説に書かれたことは本当だった』か――」
 谷口が言い、
「なんなんです。その小説というのは……」
 秋津もまた興味をそそられた格好で訊ねた。
「いや。実を言いますと、ホームレスの吉田栄一が書いたという小説を預かっていましてね。一種の遺書代わりに書かれたもののようなんですが、どうも最後の描写が不確かなんです」
「不確かとおっしゃいますと……」
「つまり、死んだのは事実でしょうが、あのラストシーンの描写だけでは、自殺か他殺かを判定することはできないんです」
「ああ、それで、さきほどの質問が出たんですね」
 秋津が言い、ちらと時計を見た。「それにしても遅いですね。もうそろそろ連絡があってもいいはずなんですが……」
「いいですよ、そんなに急がなくっても――。わたしたちは、その間にこいつをやりますから……」
 里中が言って、モーニングを食べ始めた。
 三人がコーヒーを飲んでいると、誰かの携帯が鳴った。
 三人とも自分の携帯を取り出した。
 秋津が自分の携帯に出た。
「はい、秋津です。あ、そう。後藤田くんだったんだ。で、彼はいまどこにいるの。ふーん。じゃ、しようがないね。わかった。また彼にはこちらから連絡するから、きみはもう心配しなくていいよ。うん。ありがとう。じゃあ」
 携帯を折りたたんで秋津が言った。「あの記事を書いた記者の名前がわかりました。後藤田という若い記者なんですが、いま取材中で、対応できないそうなんです。彼には事情を話し、さきほどいただいた名刺のところに連絡するように伝えます」
「そうですか。ありがとうございます」
「ところで、この二つの事件は関連があるんでしょうか」
 秋津が訊ねた。
「いまのところ、直接的な因果関係は見出せませんが、少なくともその背景に、なんらかの陰謀が働いている事件であることは確かですね」
「陰謀というと、狂言自殺とか、そういったことでしょうか……」
「そうですね。ある意味、日常茶飯なできごとですが、これが事実かそうでないかとでは、天と地ほどの開きがありますからね。ノンフィクション作品として上梓する以上、嘘が少しでも入っていれば出版社の面目丸つぶれになります」
「ほう。出版されるおつもりなのですか」
「一応、その線で部下に下読みさせていたのですが、ここまでことが大きくなってくると、刑事事件にも発展しかねませんのでね。われわれとしては、慎重にならざるを得ないのですよ――」
「ホームレスの書いたノンフィクション小説ですか……。面白そうですね。ドキュメンタリー本として売れるかも知れませんよ」
「だといいですが、まずは、書かれたことが真実かどうかを確かめるのが先決でしょうね」
「そうですね。わかりました。では、わたしはこの辺で――」
「ああ、すんまへんなぁ」
 立ち上がった秋津を見て、素早く立ち上がった谷口がぺこりとお辞儀をして言った「わざわざきてもろたいうのに愛想なしですんまへん。またゆっくり……」
「そうですね。じゃ、失礼します」
 秋津が立ち去って行ったあと、谷口が言った。
「さて、食うもんも食ったし、つぎ行こか――」
「ああ」
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