『眠り姫』

文字数 1,998文字

 ジリジリと鳴りだすまで

だとは思わなかった。
 トラ猫のぬいぐるみは、私と祖母が拾って警察に届けるも持ち主が現れず10年間我が家に鎮座した。名前は私のあだ名と同じチョコ。
 チョコは祖母の葬式後に鳴りだした。試しに中に入っていた機械を

に切り替える。
 刹那、チョコを拾った日の祖母とのやりとりと、今日まで忘却の果てにあった記憶が呼び戻された。

 「チョコのような忘れ物が最後にどこへ行くか千夜子知ってる?」
 祖母は優しいまなざしで問いかけてきた。
 「うんてんしゅさんのおうち?」
 「いいえ。ぜーんぶ眠り姫が持ち帰るのよ」
 「ねむりひめ?」
 あの時、祖母は微笑むだけで具体的な答えはくれなかった。
 以来、忘れ物に対して私はとても敏感になった。
 
 11歳の時、真夏にも関わらず厚着をした背の高い女性に街中で声を掛けられた。
 ストレートの黒髪は背中まで垂れ、地面を引きずるほど長い黒のローブを着ていた。
 彼女からは潮風のような匂いもした。
 「ワタシ1か月寝テナイ。だからアナタの家で眠らせてイタダケル?」
 外見にそぐわず片言の日本語だった。さらにその顔は、おぼろげな記憶の中にある母の容貌と似ていた。
 面長の色白。信じがたいほど左右対称の丸い瞳はどこまでも漆黒だった。 
 「ワタシたちタブン知り合いネ? 1か月寝テナイ。オネガシマス?」
 ふと「眠り姫かもしれない」という直感がした。
 祖母の話は単なるおとぎ話ではなかったのだ。
 ひとたびそう考えると、彼女の言葉から眠り姫を連想せずにはいられない。奇想天外な申し出でも私には断る理由などなかった。 
 「ぜひ」
 「知り合いネ?」
 一見嚙み合っていないようで実は運命の糸がわずかに繋がったような心持ちがした。
 事実、彼女の瞳もこれを僥倖ととらえているかのように輝いて見えた。

 家に着くと祖母が居間で冷やし中華を食べていたが、来訪者を目にしたとたん箸を置き、てきぱきと部屋を片付け始めた。
 まるでこの日が来ることを予知していたかのような無駄のない動きだ。
 「暑くはないですか?」
 つい口を突いて出た。
 「いつもサムイの家。キコウヘンドウでね」
 「気候変動?」
 私は祖母に視線を移す。
 「懐かしい匂い。眠り姫の国は半年ほど真冬だから、その間こうして旅するのよ」
 祖母はまるで超能力者だった。
 その説明に感嘆する一方、己の想像力の乏しさが恨めしかった。
 「眠らせてイタダケルね?」
 「どうぞどうぞ」
 祖母の対応は完ペキ。
 彼女はローブこそ着用したままだったが全身をおおっていた緊張感は脱ぎ捨て、安堵の表情で体を床に横たわらせた。
 ラグとローブの素材、黒色が似ているせいで以前からそこが眠り姫の寝床であったかのような錯覚がした。
 彼女の就寝中、祖母が口にした言葉はただひとつ。
 「やっぱり千夜子に寝顔がそっくりね」
 我が耳を疑った。
 「私とこの人が?」
 私とは裏腹に祖母はいつになく柔和な笑みを浮かべていた。
 キッカリ30分後、玄関から謎のアラームが鳴りだした。
 私と祖母はすぐに音の原因を探るため玄関へ行ったが、それらしい物は見当たらず。
 「おかげでよく眠れたわ」
 いつしか背後に眠り姫がいた。
 片言でないばかりか親しげな口ぶりになり驚いた。
 しかし、鳴りやまない目覚まし時計のせいで私のほうは気もそぞろだ。
 「やっぱり拾ってくれたのね」
 嵐の日に道で拾ったビニール傘。親骨は曲がり生地も汚れていたが、彼女はそれを嬉々として手に取った。 
 瞬間、鳴り続けていた音がぴたりと止んだ。
 「千夜子、大きくなったね」
 「何で私の名を?」
 鼓動が速くなる。
 「我々に託された使命は行き場を失った落とし物をひとつでも多く回収して湖畔に持ち帰ること。落とし物には持ち主の魂が宿っているから捨てても燃やしても完全消滅はしない。正しく処分しなければ微量の有害物質が蓄積し、やがて争うはずのない者同士が殺し合いを始める。我が<眠りの女王>のお告げ」
 すべてを理解するのは難しかったが、饒舌に語る

の言葉に私は魅了された。
 ふと、頭に手が添えられた。祖母とは一味違う撫で方。
 聞きたいことは山ほどあったが、眠り姫はローブをマントのように翻し颯爽と消えた。
 これまで深く考えないようにしていた事柄や疑問がマグマの如く突き上げてきた。
 「お母さんもおばあちゃんも眠り姫だったの~!」
 軽い足取りで台所へ行く祖母に大声で叫んだ。

 トラ猫のチョコは一族を繋ぐふたつめの鍵だった。
 再びスイッチをオフにするとアラームは止み、代わりにチョコがブルッと身震いした。
 「こちらをお召ください、眠り姫」
 チョコが床の黒いラグを持ち上げると、たちまちそれは黒のローブに早変わりした。
 ローブを着た瞬間、主を失った物たちの気配を感じた。
 「では早速、<眠りの女王>に会いに行きましょう」
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