第一章・第二話 追撃

文字数 7,358文字

 貸本屋について、桃の井が問い(ただ)す隙もなく、女性の後ろ姿は店の中へ消えた。疑わしいことしかない。
 すぐに追い掛けて問い詰めてもよかったが、実行すれば、自分の首を絞めるような気もした。
 そう思ったのは、桃の井も崇哉(たかなり)も同様だったようだ。
 家茂(いえもち)たちの元へ、足早に戻った桃の井と三人で、一旦その場を離れた。
「――どう思う?」
 少し離れた場所で、桐詠堂(とうえいどう)へ目をやりながら、家茂は二人に問うた。
「……引っ掛かりますね」
 考え込んだあと、先に口を開いたのは崇哉だ。
「何がどう、というところは、巧く言えないのですが……」
「同感だ。あの女、言うことに何か違和感があるんだけど、その辺はっきりしないっつーか……」
 モヤモヤするものを言語化できない自分に、家茂は側頭部を掻き(むし)りたい衝動に駆られた。
「……詳し過ぎるのでは?」
 緩く折り曲げた人差し指を口元へ当てていた桃の井が、目を伏せたまま、己の思考を探るように呟く。
「どういう意味だよ」
「……先程返した貸本に限らぬのですが、貸本には各業者の印が押されています。間違いなく元の業者の手に戻らなくては困るからです」
 もっともだ。もし、うっかり違う業者の手にでも返された日には、商売道具が一冊減るのだから、あらかじめ対策を取るのは当然であろう。
 貸本でない書物は、実は一冊の値が結構張る。貸本も決して安くはないが、私物として書物を買うよりは手頃だ。よって、庶民であれば、書物を読もうとする時、借りるほうが経済的と言えた。
「客には一見、それがどこの業者のものかの判断は付きません。背表紙の裏側に、半分だけ見えるように押されているので」
 割り符のようなものだろう。
「それで?」
「提携している店主が、一目でどこの業者かを見分けたまでは、良しとしましょう。提携相手ですから、寧ろ見分けられないと信用に関わることもあります。ですが……」
 言い淀んだ桃の井は、緩く握った拳で口元を押さえたまま、また考え込んだ。彼女も喋りながら考えを纏めているらしい。
「……貸本業者が、通常、己の業務……つまり、本を貸したり、その為の商売道具を注文する以上の情報を、提携相手に提供するでしょうか。例えば、自分の顧客に関することや、特定の顧客の現状など……」
「あ」
 家茂は思わず、呟くように声を漏らし、崇哉も息を呑んだように目を見開いた。
 そう言われればそうだ。考えてみればおかしい。
 貸本屋と書物屋の間に必要なのは、書物という商品だけだ。世間話にしろ、特定の顧客に関して情報を流すなんてあり得ない。
 まして、相手は奥女中だ。大奥のことはすべて守秘義務が課されているし、出入りの業者が女中と親しく接することはほぼ禁じられている。
 万が一、外部の業者との接触を許されている者が、大奥の情報を相手に漏らした場合は、相応の罰を受けることになる。その処罰を受けてまで、何の見返りもなく情報を外へ漏らす者がいるだろうか。
(……いたとしても、火之番(ひのばん)で関わった奴は全員死んだはずだし……そう言えば)
 確か桃の井が、七ツ口で火之番が直接貸本屋と書物の受け渡しをする現場を見たと言っていた。それはあの日、亡くなった火之番の一人らしいから、彼女が何をたくらんでいたのかは、最早知りようがない。
 はっきりしていることは、その火之番は、少なくとも外部に何かを伝えようとしていたことだけだ。
 あとは相手が誰かというところが分かれば――と思ったその時、しばらく誰もいなかった桐詠堂の店先に、先程の女性とは違う者が現れた。
 やはり女性だ。十代半ばの少女は、桃の井と話していた女性が立て掛けたままにしていた(ほうき)を手に取り、店先の掃除を始めた。
 桃の井に目配せすると、彼女は小さく目で頷き、店先の少女に近付いて行った。二言三言(ふたことみこと)、言葉を交わし、足早に戻って来る。
「先程、わたくしと話していた女性は、店主だそうです。つい今し方、店を裏から出たとか」
 覚えず、舌打ちが漏れた。やられた、としか言い様がない。(やま)しいことがあると白状したも同然だが、その内容がやはり分からないままだ。
(……今日はここまでか……)
 強引に店に押し掛け、内部を調べることもできなくはないが、確実に相手――延いては、その背後にいると推測できる慶喜(よしのぶ)にも警戒を与える。何より、証拠もなくそんなことをしては、強盗と大差ない。
 心情的には、強盗紛いのことをしてでも、という焦りもあるが、家茂はどうにかそれを()じ伏せる。
「――菊千代(きくちよ)様」
 衝動と格闘していると、不意に崇哉が、表向きの呼称で家茂を呼んだ。彼の肩には、鳩が一羽止まっている。
「仲間が一人、先程の女に張り付いています。じきに、行き先が分かるかと」
 彼の指先には、鳩から外したと思しき伝書が(つま)まれていた。

 二羽目の鳩が崇哉の元へ飛んで来たのは、家茂たち三人が、桐詠堂と川を挟んで筋向かいにある甘味処に腰を落ち着けてから、四半刻〔約三十分〕ほども経った頃だった。
 鳩に付けられていた伝書には、地図が記されている。どこかの長屋のようだった。
「では、参ります。菊千代様はこちらで桃の井様とお待ちを」
「待った、俺も行く。桃の井はここに残って、桐詠堂の監視を続けてくれ」
「でしたら、わたくしが菊千代様と参ります」
 桃の井は、崇哉に地図を渡せと言わんばかりに、手を伸ばした。
「しかし」
「土地勘でしたら、ご心配なく。江戸(こちら)へ参って、わたくしもそろそろ一年になります。その(かん)、ただぼんやり奥で勤めていただけと思われては困ります」
 崇哉も、同じ隠密業に従事する者として、その意味は分かったらしい。だが、崇哉は尚も戸惑うように家茂を見た。
 他方、桃の井は崇哉に指先を突き付ける勢いで、更に彼のほうへ手を伸ばす。
「川村殿。お早くご決断ください。向こうにいるのは女将(・・)でしょう。何か交渉する時、女性相手なら同じ女性のほうが、向こうも心を開いてくれる可能性が高い。行った二人が二人とも()の子だったら、引き出せる情報も引き出せずに終わるかも知れません」
 この一言が決定打になり、最終的に、家茂と桃の井が女将の行き先へ向かい、崇哉には桐詠堂の監視に残ることとなった。
 桃の井は、近道をすると言い、裏路地へ入るなり、民家の屋根へ飛び乗った。さすが和宮(かずのみや)に『現役武士並』と評された女だ、などと、どこかズレた感心をしつつ、家茂も難なくそのあとへ続いた。
 民家の屋根から屋根へ飛び移り、全力で駆けながら、時折地上の様子へ目を投げていた家茂は、ふと、早足で歩く女を視界に捕らえた。
「邦子!」
 表向きの呼称で呼び止める声が、下を移動していた女にも聞こえたらしい。こちらへ向けられた女の顔は、間違いなく先程桃の井と店先で話していた、桐詠堂の女将(おかみ)だった。
 彼女が、何らかの行動に出るより早く、家茂は彼女の進路を遮る形で、その前へ飛び降りる。続いて、退路を断つように、桃の井が女将の背後へ降り立った。
 女将は、家茂と桃の井を交互に見ながら、寂れた長屋の壁を背にするように後退(あとじさ)る。
「……俺の顔、覚えてるよな」
 家茂は、前置き抜きでそう切り出した。先刻、女将が桃の井と会話している時、彼女のすぐ後ろに立っていたのだから、覚えていないわけがない。
 女将は、忌々しげに唇を噛みつつ、また一歩後退(あとじさ)った。
「単刀直入に訊くぞ。どこに行ってた? しかもわざわざ裏口から出て」
 彼女は、また一歩後退し、壁へ背を付ける。
「……関係ないだろ」
 左右に落ち着きなく視線を動かしながら、女将は吐き捨てるように答えた。家茂が桃の井に目配せすると、彼女は小さく頷いて、身を(ひるがえ)した。
 女将が先刻まで背にしていた方向には、貸本屋の居住する長屋があるはずだ。
 家茂は、桃の井の背に向けていた視線を、女将に戻す。
「貸本屋に会いに行ってたんだな」
 ほとんど断定的な家茂の確認に、女将はまた落ち着きなく視線を泳がせた。
「何の為に」
「……あんたらに話す義理も義務もない」
 女将が()()なく告げた直後、桃の井が駆け戻って来て、家茂に一礼する。
「どうだった?」
「室内は荒らされていました」
 桃の井がそう告げるなり、女将は髪を振り乱すようにして顔を上げた。
「あっ、あたしじゃない!」
 すると桃の井は、「でしょうね」と頷いた。
「どうして分かる?」
「室内には飛び散った血が、あちこちに付着しておりました。しかし、彼女は一見、返り血を浴びた様子はありません。今の()に犯行に及んだとしたら、着替える隙間などないはずです。加えて、付着した血はすでに乾いて固く、黒くなっておりました。数日以上経っております」
「……で、人はいなかった?」
「はい。近所に少し聞き込もうと思いましたが、生憎(あいにく)周囲は留守か、さもなければ住人がいない様子でした。後程(のちほど)確認いたしますが、多分普段から人気(ひとけ)のない長屋なのでしょう。とは言え、壁の薄い長屋のことですから、少しでも斬り合いのような争う音がすれば、それが近隣にわずかでもいる住人が在宅中の刻限であれば、気付かないはずがありません。ということは――」
「……斬り結ぶ隙もなく()られたってことか」
「恐らく。あるいは、人の寝静まった夜半にその争いがあれば、気付かない可能性もなくはありませんが……あれだけ出血があれば、助かるのは難しいでしょう。よしんば、助かったとしても、一人では動けない傷を負っていると推測できますゆえ、どちらにせよ、下手人(げしゅにん)が被害者を長屋から連れ去ったと思われます」
 助かったとしても、数日しか経っていないのであれば、まだ動ける状態ではあるまい。そして、被害者がどこに行ったか、どこへ運ばれたか、下手人は誰か――
(……十中八九、殺ったのはあいつ(・・・)なんだろうけど……いや)
 浮かんだ推測を、家茂は一旦即座に打ち消した。こういう件に於いて、思い込みを含んだ調査は、もっとも避けるべきものの一つだからだ。あの男(・・・)は関係なく、ごく個人的な揉め事か、物盗りの仕業という線もなくはない。
 とにかく、女将を連れて一旦桐詠堂へ戻ろう。そう口に出そうとした直後、首筋をなぞり上げられるような寒気に、家茂は目を見開いた。
 漏れ出た殺気に、考える()もなくそちらへ目を向けてしまう。
 殺意の持ち主は、長屋の屋根の上にいた。と認識した時には、相手は構えていた矢を放っている。
 ピウ、というかすかな風切り音を耳に捉えた刹那、家茂はとっさに抜刀し、正確に矢道(しどう)へ振り下ろした。狙い過たず、飛んで来た矢が真っ二つになって跳ね飛ぶ。
 もう一度屋根の上へ目を投げるのと、そこにいた影がスッと死角へ消えるのとは、ほぼ同時だった。
「邦子、あと頼む!」
 口早に言い捨て、桃の井の返答も待たずに、家茂は膝を軽く折り曲げ跳躍する。
 だが、屋根に着地するより早く、こちらへ向けて矢を(つが)えた男の姿が目に入る。覚えず舌打ちするが、どうにもならない。
 相手が番えた矢を放つ瞬間を見極め、空中で無理矢理身体を捻り、刀を振るう。刃に分断された矢は、家茂の身体を掠めもしなかった。
 家茂が屋根へ着地すると同時に、相手は、先刻まで家茂がいたのとは、建物を挟んで反対側の路地へと飛び降りる。
 先刻と同じ(てつ)を踏むのを恐れ、一拍遅れて地上へ目を投げると、相手は駆け出していた。全力で追い縋り、屋根の上で追い越したところで屋根を蹴る。
 相手の進路を絶つように相手の前へ飛び降りると、相手は急停止した。二人は、一間(いっけん)〔約一・八メートル〕ほどの間合いを挟んで対峙する。
「……あんた、誰だ。何であの女を狙った」
 家茂はソロリと、間合いを伺うように言葉を紡いだ。が、覆面で目のすぐ下を覆った相手は答えず、新たな矢を番える。
「じゃ、質問を変える。あんたの雇い主は?」
 しかし、やはり相手の答えは、キリリ、と弓を引き絞る音だった。
一橋(ひとつばし)慶喜、か?」
 試すようにその名を口にすると、覆面から見えているその目に憎悪が宿るのが分かる。
「誰が!」
 やっと発した言葉と共に、相手は引き絞った矢を放つ。家茂は身体を開いて放たれた矢を避けた。
 この長屋街(ながやがい)はよほど(すた)れているのか、ほとんど人気(ひとけ)がない。矢を避けても無関係の人間に当たる気遣いがないのは、今は有り難かった。
 それにしても、(さび)れた長屋街をそのままにしておくのは、治安上の問題がある。こんな風に、争いごとも起き放題だ。
 あとで人を寄越してこの辺調べとかないと、という、今はどうでもいいことが頭をよぎるのは、民を()べる(おさ)としての自覚が出て来た証拠だろうか。
あんな男(・・・・)(あるじ)でも何でもない!」
 家茂が思索に(ふけ)(あいだ)に、今度は三本同時に矢を番えた男が喚き散らす。
「なら、何であの女を襲った」
 これで、少なくとも目の前の男を雇っているのは慶喜だということは、はっきりした。そう脳裏で断じながら、静かに問いを重ねる家茂を、男の目が憎々しげに見据える。
「お前らも、あの男の手先だろう。あの女……桐詠堂の女将に命じて、私にとどめを刺しに来たんだ。違うか」
「全然違うな」
 家茂は呆れたように細めた目で男を見返しつつ、あっさりと否定し、肩を竦めた。
「なら、余計にあんたのやってることの動機が見えねぇ。あんたがそこの長屋に住んでた貸本屋であることは、間違いないんだろ」
「そうだ。将軍の所為で(・・・・・・)、私は貸本屋に身を(やつ)すしかなかった」
 家茂は、ピクリと眉尻を跳ね上げた。
 将軍の所為――つまり、家茂の所為、ということか。どうしてそこに自分が出て来るのだろう。
 目の前にいるのが、その将軍本人とは思っていないらしい男は、弓を引き絞った腕をブルブルと震わせながら続けた。
「私にはかつて許婚(いいなずけ)がいた。出自は寺の住職の娘で、武家へ形式上養女に上がったあと、私に嫁いで来るはずだった」
「何……?」
 寺の住職の娘――武家へ養女に上がった。その経緯には覚えがある。
「初顔合わせの時に見て、一目で好きになった。嫁いで来る日を心待ちにしていたのに――彼女は大奥へ行儀見習いとして上がり、将軍の手付きになった!」
 叩き付けるように言った男は、弓を引いていた両腕を下ろした。
「何かの間違いだと思った。正式に破談になったあとも、何とか彼女に直接会って(ただ)す機会を得ようと、この職に就いた。やっと七ツ口に出入りできるようになった直後――彼女は死んだ!! 皇女が嫁いで来るとかで、柊和(ひな)は殺された。将軍が、彼女が邪魔になって殺したんだ!!
 愕然とした。表情を取り繕う余裕もない。
 柊和が、一時期どこかの武家の養女となり、嫁ぐ寸前だったことは、自身の乳母・浪江(なみえ)に聞いて知っていた。しかし、柊和が大奥へ上がることでその縁談は立ち消えになったと思っていた。それも、後腐れなどなく――
「……どうして……あんたが、それを知ってる」
 カラカラになった喉に、無理矢理唾液を流し込み、どうにか言葉を紡ぐ。
「……そのことと、あんたが今、桐詠堂の女将を殺そうとしたことが、どう繋がるんだ」
「柊和のことは、一橋慶喜に聞いた。いつだか、向こうから近付いて来て、将軍に一泡吹かせてやれるから協力しないかとな。仕事の繋ぎにと紹介されたのが、あの桐詠堂の女将だ。だが、数日前の晩、刺客が送り込まれて、私は殺され掛けた。返り討ちにした相手から雇い主を聞き出したまでだ。その刺客の背後にいたのが――」
 男の言上(ごんじょう)は、そこで不自然に途切れた。瞬間、耳元で不快な風切り音が通過し、気付いた時には目の前の男の額に、矢が突き立っている。
「な、に……!」
 何度目かで目を見開いた家茂は、後ろを振り向いた。
 視線の先には、弦の震える弓を持った、見慣れた男が立っている。
「――やあ、上様(・・)
 ニコリと笑ったその男が、矢を放つ刹那まで、その殺気さえ感じ取れなかった。背筋を、冷たいモノが伝う。
「注意力散漫なんじゃない? 背後にご注意。ホント、隙だらけだなぁ。まあ、俺としては有り難い気もするけど」
「……慶、喜……!」
 無意識にその名が口を突く。
 慶喜は、弓をひょいと肩に掲げて、その肩を竦めた。
「何だ。俺たちも親しくなったモンだねぇ。下の名前で呼び合う仲だったっけ?」
 しかし、家茂は慶喜の言葉をほとんど無視した。
「……あんた……こんなトコで、何してんだ」
「こっちの台詞だよ。(なーに)こんなトコで天下の将軍サマが、大立ち回り繰り広げてんの」
 どこかからかうように問い返される。家茂は唇を噛み締め、顎を引いて慶喜を()め付けた。
「こっちの質問に答えろ! 何でこいつを殺した!」
「口封じ♪」
「なっ……!」
 楽しげにあっさりと言われて、今度は唖然とする。だが、家茂が反論するより早く、慶喜は弓をトントンと肩先で跳ねさせながら、微笑を深くした。
「当たり前デショ? 数日前に刺客差し向けたと思ったんだけど、意外に役立たずでさぁ。調べさせたら、どっかの寺……善光寺、だっけ? そんなトコで虫の息になってたらしいから、そっちは始末しといたけど」
(善光寺……だと?)
 またも聞き覚えのある名前に、過剰に反応しそうになる衝動を、どうにか捩じ伏せる。善光寺は、柊和の実家だ。
 だとすれば、今死んだばかりの男が、返り討ちにしたという相手を、何らかの理由を付けて運び込んでも不思議はないかも知れない。
「まったく、やっぱり人を介すると確実性が失われるよねぇ。住処に戻る可能性を考えて、張ってて正解だったよ。君たちと遭遇したのは予想外だったけど」
「……だろうな。俺らと鉢合わせすんの分かってたら、あんたのことだ。迂闊なことしなかっただろ」
「だねぇ。君が一緒じゃなかったら、お付きの二人(・・・・・・)は始末してたよ」
 息を詰めるようにして、唇を噛む。無意味な反論で噛み付きたくなる衝動を、苦労して呑み込んで、口を(ひら)いた。
「……とにかく、殺人の現行犯だ。一緒に来てもらうぞ」
「現行犯ん? どこが」
 慶喜は、弓を下ろすと、大仰(おおぎょう)に肩を竦めた。
「俺の目の前でやらかしたクセに、何言ってんだよ」
「だったら訊くけど、君は俺が矢を放つ瞬間(・・・・・・)を見てたの? 俺が放った矢が(・・・・・・・)空を飛んで(・・・・・)彼の額に刺さった(・・・・・・・・)所まで、確実に(・・・)?」
「屁理屈ゴネんな。取り敢えず」
 武器捨てろ、と続けようとした言葉尻に、建物を挟んだ向こう側の通りから上がった悲鳴がかぶった。

©️神蔵 眞吹2024.
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登場人物紹介

【和宮親子内親王《かずのみや ちかこ ないしんのう》(登場時、7歳)】


生年月日/弘化3年閏5月10日(1846年7月3日)

性別/女

血液型/AB

身長/143センチ 体重/34キロ(将来的に身長/155センチ 体重/45キロ)


この物語の主人公。


丙午生まれの女児は夫を食い殺すと言う言い伝えの為、2歳の時に年替えの儀を行い、弘化2年12月21日(1846年1月19日)生まれとなる。

実年齢5歳の時、有栖川宮熾仁親王と婚約するが、幕閣と朝廷の思惑により、別れることになる。

納得できず、一度は熾仁と駆け落ちしようとするが……。

【徳川 家茂《とくがわ いえもち》(登場時、15歳)】

□幼名:菊千代《きくちよ》→慶福《よしとみ》


生年月日/弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)

性別/男

血液型/A

身長/150センチ 体重/40キロ(将来的には、身長/160センチ、体重/48キロ)


この物語のもう一人の主人公で、和宮の夫。


3歳で紀州藩主の座に就き、5歳で元服。

7歳の頃、乳母・浪江《なみえ》が檀家として縁のある善光寺の住職・広海上人の次女・柊和《ひな》(12)と知り合い、親しくなっていく。

12歳の時に、井伊 直弼《いい なおすけ》の大老就任により、十四代将軍に決まり、就任。この年、倫宮《みちのみや》則子《のりこ》女王(8)との縁談が持ち上がっていたが、解消。


13歳の時には柊和(18)も奥入りするが、翌年には和宮との縁談が持ち上がり、幕閣と大奥の上層部に邪魔と断じられた柊和(19)を失う。

その元凶と、一度は和宮に恨みを抱くが……。

【有栖川宮熾仁親王《ありすがわのみや たるひと しんのう》(登場時、18歳)】


生年月日/天保6年2月19日(1835年3月17日)

性別/男


5歳の和宮と、16歳の時に婚約。

和宮の亡き父の猶子となっている為、戸籍上は兄妹でもあるという不思議な関係。

和宮のことは、異性ではなく可愛い妹程度にしか思っていなかったが、公武合体策により和宮と別れる羽目になる。

本人としては、この時初めて彼女への愛を自覚したと思っているが……。

【土御門 邦子《つちみかど くにこ》(登場時、11歳)】


生年月日/天保13(1842)年10月12日

性別/女


和宮の侍女兼護衛。

陰陽師の家系である土御門家に生まれ、戦巫女として教育を受けた。

女だてらに武芸十八般どんと来い。

【天璋院《てんしょういん》/敬子《すみこ》(登場時、25歳)】

□名前の変転:一《かつ》→市《いち》→篤《あつ》→敬子


生年月日/天保6年12月19日(1836年2月5日)

性別/女


先代将軍・家定《いえさだ》の正室で、先代御台所《みだいどころ》。

戸籍上の、家茂の母。


17歳で、従兄である薩摩藩主・島津 斉彬《しまづ なりあきら》(44)の養女となる。この時、本姓と諱《いみな》は源 篤子《みなもとのあつこ》となる。

20歳の時、時の右大臣・近衛 忠煕《このえ ただひろ》の養女となり、名を藤原 敬子《ふじわらの すみこ》と改める。この年の11月、第13代将軍・家定の正室になるが、二年後、夫(享年34)に先立たれ、落飾して、天璋院を名乗っている。

生まれ育った環境による価値観の違いから、初対面時には和宮と対立するが……。

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