第5話「結論は夜が更け、迎えた朝の奇跡」(2020年天皇賞秋予想編:その5)

文字数 4,124文字

「アーモンドアイ。府中の2,000mなら心中するか」
問答無用と源司は稟音の黒いツインテールの毛先を右手で梳かす。
黙って受け入れる稟音が目を細めて口端を吊り上げる、妖しげで良からぬコトを考えているようだ。
膝上で上体を起こした稟音は「馬連ボックス六点かなぁ」と艶やかに漏らす。

「⑨アーモンドアイ、⑦クロノジェネシス、⑧キセキ、④ダノンキングリー、⑪ダノンプレ
ミアム、⑩スカーレットカラーの六頭だよ」
「それで大丈夫か?」
心配する源司が着るジャージの裾へ侵入した稟音の両手が胸に向かう。
源司の疑いに反駁するように彼女は可憐な指使いで彼の胸を弄り始める。
源司は頭から足先まで衝撃が迸る。
小悪魔な手指に身を任せると悦楽の沼で溺れ、意識が透けてくる。
揺れるツインテールの毛先が鼻先を擦る。
手指が翻り止まると男は動きを希う、手の指は見透かすように又ぞろ刺激する。
勝ち誇った女が鼻から一息を投げ、身が悶える男を見下した。
脱力してソファーに上体を凭れかける源司は快楽の余韻に肩で息をする。

「稟音さぁ。アーモンドアイ入れた六頭の馬連ボックスだと、下手すりゃ取りガミだぞ」
苦笑する源司の評価に稟音が立ち上がる。
「当たるのが先だよ!」
鋭い声音を発して、機敏に源司の後に回る。
稟音は首を目がけて肘を喉の前にして左右から挟む。
ツインテールを振りかざして頬を膨らませる稟音はスリーパーホールドを決めた。
細い両腕がしっかりと源司の首を捉えていた。
両手でソファー叩いて苦しがる源司を無視して稟音は予想を続ける。

「その六頭ならキセキと両ダノンに期待だね。クロノジェネシス、スカーレットカラーは押さえかな」
そうフォローを入れた稟音は頬を大きくしたまま、失神直前で技を解き放つ。
稟音は鼻を鳴らすと、咳き込む源司の正面に回る。
確かに配当を考えるならと同意し、息継ぎする源司が三連単、馬単を買おうかという。
面白そうだねぇと稟音が源司の膝上に再び乗る。
やっと落ち着いた源司が緊張するも、平素を装いながら買い目を披露する。

「三連単なら、⑨アーモンドアイ一着固定の⑧キセキ、④ダノンキングリー、⑪ダノンプレ
ミアムを二着と三着で、⑦クロノジェネシスと⑩スカーレットカラーを三着に追加したフォーメーション」
何だその買い方は?と吹き出してバランスを崩す稟音を手で支えると、小ぶりな尻が両手のひらに納まる。

「馬単は、⑨アーモンドアイ一着固定で二着に⑧キセキ、④ダノンキングリー、⑪ダノンプレミアム」
「源司はスケベだねぇ」と稟音が冷ややかな目を投げる。
心音を速くする源司は馬券の買い方だよねと念を押すも、稟音は黙って薄ら笑みだ。
「まあ、稟音も取りガミ覚悟の「奇妙な」買い方だ」
「まっとうな馬連ボックスだけどなぁ」と愚痴る稟音に源司が向く。
「稟音さ、俺たちは「怪しい競馬ファン」なのかな」
真顔の稟音が頭を源司の額に付ける。
「源司、私たちは「飛び切りな競馬ファン」と言いなさい」

稟音の真剣な表情が可笑しくて、源司の相好が崩れる。
稟音も目尻を下げると、二人して腹を抱える。
お互いの笑声をリビングルーム一杯に響かせた。
さて、今夜は飲むかと宣言した稟音は源司から離れ、キッチンに向かう。
何事かと顔色で問う源司に稟音が後ろを向き、口元を下げて喜色を浮かべる。
「泡盛だよ、いけるだろ」
沖縄の乙類焼酎である泡盛、今日はアルコール分三十度とのことだ。
今夜は飲み明かそうと、酒瓶を掲げる稟音が嗾けると源司も腹を括った。

「まあ、ナカナカいい結論だと思うけど」
目を細める果凛が泡盛で氷を踊らせるグラスを掲げた。
ソファーに並んだ二人は泡盛をロックで愉しんでいた。
夜が更けると杯は重なっていく。
「当たるといいな」
そう念願する源司もグラスを合わせると氷が動く音色が響いた。
お互いに泡盛のしっかりとした透明なミネラルをゆっくりと玩味する。
頬を紅潮させる稟音は「サリオスがいればなぁ」という泡盛独特の甘い吐息で残念がる。
苦笑する源司はグラスに口を付けて「お楽しみは後でもいいだろ」と喉を湿らせる。
少し酔ったなぁと稟音が頭を源司の肩に乗せ、身体を凭れる。

「稟音」
源司が稟音の名を呼ぶ。
「源司」
稟音も源司の名を呼ぶ。
リビングの柔らかい照明が稟音の唇を艶やかにする。
源司が婉美な口唇を意識する。
稟音の瞼が重くなり半分だけ開く。
源司は稟音を求めるように迫り、光を遮断し影を落とす。
久しぶりの稟音の息吹を感じる距離。
唇から出る可愛らしい吐息だ。
稟音は瞼をほとんど瞑り、源司に身を預けていた。
小柄で華奢な稟音だが、肉体を傾けて寄せられる重さに甘美を覚える。
起き上がる稟音が薄い目で両手を源司の頭に回す。
刹那、妖精が遁逃するような軽さ感じると、愛おしさが募る。
稟音が目を閉じるとお互いに惹き付けられる。
一瞬、触れる唇を共感する。
こんなにも柔和で温かいのか、恋人同士が舞い戻る。
源司の手がパジャマのボタンに手がかかる。
手の動きを愛らしい指でそっと止める稟音の「今夜は徹底的に飲むよ」が、源司の脳髄に伝わった。

予想大会を終えて飲み明かした朝。
朝というより11時半過ぎはもう昼間だった。
カーテンの隙間から覗く陽光が早く起きろと源司を催促する。
眩しさを右手で避ける源司は昨晩を想い起こす。
飲んだり食べたり寝たり起きたり、お喋りしながら過ごしたのだと。
そして、稟音とお互いを感じながら融けるように寝入ってしまった。
顎に手を当て、髭を感じる源司の頬が自然に緩む。
左隣の稟音は源司と肩を並べて可愛らしい寝息を立てていた。
パジャマの胸元でチラリと覗く、陽の光を浴びる白いキャミソールが艶めかしい。
微笑する源司に頭痛の鉄槌が下る。

「痛っ」
大声と共に何とか酔いに負けじと、意識を働かせる。
さすがに飲み過ぎたか、目を覚まそうとするが二日酔いが寝起きを阻止する。
何故か右肩にも重さを感じる。
ふと見ると源司が寝ていた右隣には豊満な身体の若い女性。
栗色のセミロングはクセ毛のようにエアウエーブで毛先がカールする。
ふくよかな顔つきが幸せそうに目を閉じて息の緒を小さくしている。



稟音は源司の左側で寄り添い、同じように寝ながら息を吸ったり吐いたりしている。
右にいるもう一人の若い女性、何処かで見たことのあると記憶を辿る。
「まさか、まさかと思うけど」
源司は衝いて出た声を大きく、リビングに響かせた。
大声はソファーで寝ていた稟音を揺すると、右手で眼をこすりながら起きる。
源司を挟んで右の女性に目がいき、少し寝ぼけた稟音は源司と対峙する。

「久美だよ」
恥ずかしそうにパジャマのボタンを閉じる稟音は源司の妻の名を眠そうに告げた。
言われてみれば、確かにその女性は若い頃の「久美」だった。
稟音と別れた源司が久美と付き合い始めた二十歳の姿だ。
今のオバサン全開ではなく、もの凄くおしとやかで可愛い頃の久美だ。
起きようと身体を震わせる久美に源司は思わず感嘆を挙げる。
「私と久美ちゃんはね、本当は仲良かったんだよ」
稟音が起き上がろうとする久美をそう紹介する。
源司が半目を開く久美を指さしながら絶句する。
口を開けて呆ける男の両脇はタイプの異なる二人の美女だ
「久美は競馬の初心者だからねぇ。源司、教えてあげなよ」
稟音がそう言うと久美が目を開く。
源司は二十五年前と同じ姿の妻を見入る。
きょとんとしている久美は寝起きから脱するように背伸びする。
顔にかかる髪を掻き上げた久美は稟音から「ほら、源司がいるよ」と紹介される。

「源司さん、ですよね」
笑みを浮かべた久美が源司ににじり寄る。
「そう、ですけど」
何かと言い淀む源司に若く優しい久美が希う。
「お願いします。源司さん。私に競馬を教えてください」
目を見張る源司に頭を下げる久美。
分かりましたと頭を下げる源司は様々な疑問を巡らす。
「何時頃から久美はココにいたのさ?」
一番の疑問について源司は肘で稟音を突く。
「ナイショ。久美も居るという事実だけで満足だろ」
悪びれる素振りもなく言い放つ稟音は「招致に手間取ったな」と独り言ちる。

「ま、天皇賞を三人で楽しもうや」
悦楽を妖美な口唇で震わせた稟音は源司の背中を叩く。
「本当は競馬場で観たいたいんだけどな」
苦笑の源司は競馬ファンの本音を語る。
JRAカードのサイレンススズカに祈ったものの指定席抽選はハズレたらしい。
「指定席、903席だけだっけ!?無理だねぇ……」
ツインテールを左右に振り残念がる稟音でも抽選に影響が及ばないか。
「……そりゃぁ、万馬券当てるより難しわねぇ」
ご時世だし、美女二人でおうち観戦で我慢しろと戯けるように言うと、稟音が愛らしい久美に目を向ける。
今度は土曜日の夜の予想大会に間に合うように久美を喚び出すかともいう。

「まあ、今度はジャパンカップが目標かな」
準備が要ると稟音は口を緩めて犬歯をひけらかした。
今日の天皇賞を楽しもうとするか、決意した源司は稟音の肩を軽く叩いて促す。
彼女が85インチの8K液晶テレビのスイッチを入れると競馬中継だ。
「府中なら第五レース、マイルの新馬戦からなら買えるねぇ」
目を細めて口の両端を上げる稟音の提案に源司が乗る。

「よし、寝起き覚ましに競馬をするか」
「いいですねぇ、早速教えて下さい」
両手を一度叩いて喜色を披露する久美は栗色のセミロングのウェーブ気味の毛先を揺らす。
寝て起きて、日曜日の午後は可愛い稟音と久美とで競馬三昧だ。
今日はG1天皇賞秋もある。
競馬ファン前田源司四十五歳の秘密にしたい、あり得ない僥倖が今、始まろうとしていた。


*天皇賞秋、買い目
源司:
「三連単フォーメーション、一着固定⑨アーモンドアイ、二着④ダノンキングリー/⑧キセキ/⑪ダノンプレミアム、三着④ダノンキングリー/⑦クロノジェネシス/⑧キセキ/⑩スカーレットカラー/⑪ダノンプレミアム」

「馬単ながし、一着固定⑨アーモンドアイ、二着④ダノンキングリー/⑧キセキ/⑪ダノンプレミアム」

稟音:
「馬連六点ボックス、④ダノンキングリー/⑦クロノジェネシス/⑧キセキ/⑨アーモンドアイ/⑩スカーレットカラー/⑪ダノンプレミアム」


第一回、了。


イラスト:みかん


*参考文献
ようこそ荷葉亭へ もてなしおつまみ65
著者:森 荷葉
発行所:講談社
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