第3話
文字数 3,171文字
【メイプル・ビーズ(MAPLE BEADS)】が揃って入って来たのを見た石倉マネージャーは、テーブルから少し体を出しながら手を挙げて大声で呼んだ。
「こっちこっち」
他のお客は誰もいない。そうされなくてもすぐに所在は分かる。マリアは祖父に近い印象のマスターとその奥でランチ後の片づけをしているバイトの女の子に対して、大変に申し訳ない気持ちで頭を下げる。
「うるさくて、すみません」
マスターは柔らかな表情で返してくれた。
「大丈夫ですよ。気にしないで、さあ、どうぞどうぞ」
テーブルに着くと妃美香が真っ先にメニューを広げた。石倉はウエットティッシュをそれぞれに配りながら言った。
「好きなの何でもいいぞ。俺はレモンティーさえあればいいけど、遠慮するなよ」
「ウザっ」
メニューを見ている妃美香以外の三人が同時に言い放った。
「似合わないし」
アマネのダメ押しに傷ついたように、石倉は大げさに首を横に振ってからガクッと肩を落とす。
「嗚呼、イヤダイヤダ、固定観念に縛られた考え。なんだよ、オジサンがレモンティーじゃあ、いかんかね。っていうか、まだアラサーだっていうのに」
「アラサーはおじさんです」
最年少のリンが珍しく愛嬌を消して毅然と答えた。
「なんだよ、お前まで。こういう時にヒミの崇高さが身に染みるぜ」
「すみません、マスター」
スッと手を伸ばしてマスターを呼ぶ姫様にとっては存在さえも認められていないことを悟った石倉は、背もたれにふんぞり返って拗ねるしかなかった。
「どうせ、おじさんの気持ちなんかお前らには・・・・」
やって来たマスターに妃美香が尋ねる。
「このホットケーキは昔ながらのよくあるタイプですか? 」
「そうなんだよね。今流行りのふわふわのパンケーキではないんだよな。しかも、若い人に言わせると、少し硬いらしい、ハハハ」
「そうですか」
あからさまに絶望した妃美香の姿にマスターは慌てた。
「ハ、ハハ、ハ・・・・。ごめんね、ふわふわが好きなのかい」
妃美香はマスターの心遣いに申し訳なく思いながらも答えた。
「ふわりとしながらもスッと引力でしっとり包むような」
「難しいな。昭和のじいさんだからな」
「失礼なことを言ってしまってごめんなさい」
少女は我に返って下を向いて黙った。
「いいんだよ。気にしないでおくれ。でも、そういう具体的な思いを込めたこだわりがあるってことは、そういう奇跡のようなホットケーキを食べたことがあるのかい」
「はい。一度、ガキんちょの頃の記憶に。
ずっと、探しているんですけど、二度と味わうことは出来てません。
失礼な態度をとってしまってごめんなさい。
マスターのホットケーキをセットでお願いします」
「ありがとうね。他の皆さんはどういたしましょうか。時間は過ぎたけど、ランチセット出来るけど」
マリアはランチメニューを見てメンバーに聞く。
「どうする?
今日はナポリタンだって。それにミニパフェかコーヒーのお替り自由のどちらかだって。私はミニパフェのランチにするけど」
アマネ、リンも頷いた。
「では、ランチセットのパフェを三つとホットケーキセットでいいですかね」
マスターは注文を確認しカウンターに向かう途中、何かを閃いたようで声を漏らした。
「あ、そうだ。佐藤さんちょっといいかな」
カウンター内で洗いモノをしていた少女が顔を上げた。
「は、はい? 」
マスターが話している最中に一度、手を広げ断るようなしぐさをしたが、一息ついて深呼吸をすると、、何か覚悟を決めたのように、当人は無意識であったろうが凛々しい表情をして、【メイプル・ビーズ】にまで聞こえる声で言った。
「分かりました。作らせて頂きます」
ヒミは少女の声に誘われて視線を向けると、向きを変えてフット巻きあがったボブの髪の細い首筋とTシャツの背中のデザインが一瞬見えた。
「あ、あれ、うちらのツアー・Tシャツだ」
妃美香が思わず発した言葉に他のメンバーは興味を惹かれ、一斉に立ち上がり視線を向けたが、既に中に消えてしまっていた。
マリアが石倉マネージャーに聞いた。
「石倉さんが布教してくれたんですか? 」
「否、知らんけど。後で確かめてみるよ」
「あの子が嫌じゃなければサインしてあげたいんだけど」
妃美香の提案に残りのメンバーも頷いた。
「マジマジ?
偶然にグッズを身に着けている人を見るのって嬉しすぎ。わーいわーい」
リンが興奮してうるさくなり始めたので、妃美香は手を握って優しく座るようにうながした。
「落ち着けって。迷惑になっちゃ意味がない」
「そうだね、分かったよ。そうだ落ち着く為にさっきの続き、ヒミちゃんが沼っている『ノベンバー・ソウル・ランド』について話してよ」
ニヤッと笑った妃美香はいつにない前のめりの早口でまくしたて始める。
「通称『NSL』と言うんだ。でね、仮想世界が舞台のオープンワールドゲームも備わっているメタバースプラットフォームなんだけどこれまで存在しているようなものとはレベチでもっと懐が深いというか直接脳の意識態が仮想世界を楽しむ世界線を逸脱して現実世界とクロスオーバーしながら人類の進化にチャレンジしていてこの世界の主催のKZは魂をサイバーの・・・・」
「ひ、ひ、ヒミちゃん、圧が強いわ。もっとゆっくり、ちゃんと息継ぎしなさい。えっと、ちょっと待ってその前にオープンワールド? メタバ? 分かんないわ、私には」
「リーダーは最年長だから厳しいな」
少しむっとしてアマネの方をキッと睨む。
「あなたは詳しそうね。あなたの口から説明をしてちょうだい。ヒミちゃんは黙ってて」
「いやいや、知っているけどね、アタイは口下手で無口なキャラだから時間を無駄にしちゃうので申し訳ない。な、ヒミ先生」
最年少のリンはいつもの茶番のパターンになることを制止する為に立ち上がる。
「アマネちゃん、いい加減におふざけは止めて。あ、ヒミちゃんは飽きてよそ見しないで、レクチャーを続けてね」
苦笑いが少し残った微笑みを返しながらヒミは愛弟子の指示に素直に従うのであった。
「リン様の仰せの通りに。
それでだね、プレイヤーが自由な意思で動き回ってその世界を体験することで、仮想現実の境が消えて、新たなリアルに生きていく世界になりうるんだよ。ゲームという枠組みを無視して特に極端なミッションを成し遂げなくてもその世界にいる事実だけで何気ない影響が生まれ自らの使命を見つけていく。
これからはもっと一般化すると思うんだよ。仮想世界だとしてもオンラインゲームでは多くの人たちとコミュニケーションによる快感的体験を共有できていくわけだからね。仮想ゆえにより正直な興奮を絡ませていける。だからもっと主流になるんじゃないかな。マリアだって楽しめるシンプルな愛の世界だよ」
「息継ぎして。聞いてるこっちが苦しくなるから」
「ごめん、ゆっくり話す」
「大丈夫よ。でも、オンラインゲームって、サバイバルゲームとかバトルゲームとかじゃないの? ゲームでも殺すのはちょっと」
「確かに『NSL』にもそういうエリアもあるけどね。とにかくそれだけではないんだって。マリアも楽しめるような、人生ゲーム的なものやスポーツゲームも当然デフォルトで装備されているし、独自の株式システムをもとにしたビジネスプラットフォームがあって、現実の社会とすでにリンクしているんだって。
だから、ミュージックビジネス、映画産業、アパレル、ウチらが興味ある分野の未体験の世界が広がっているんだ。アイドル育成ゲームだってすごいみたいだぞ。ウチはリアルでやっているからちょっとしんどい気がして見ないふりしてるけどさ。コアなヲタクたちの理想を追求して進化しているからな。
まあ、リンは好きだと思うぞ、ウチは」
「大好き。やりたいなあ、ヒミちゃんに教わる。あ、来たよ」
気が付くとマスターがランチセット3人前を一度に運んできた。
「こっちこっち」
他のお客は誰もいない。そうされなくてもすぐに所在は分かる。マリアは祖父に近い印象のマスターとその奥でランチ後の片づけをしているバイトの女の子に対して、大変に申し訳ない気持ちで頭を下げる。
「うるさくて、すみません」
マスターは柔らかな表情で返してくれた。
「大丈夫ですよ。気にしないで、さあ、どうぞどうぞ」
テーブルに着くと妃美香が真っ先にメニューを広げた。石倉はウエットティッシュをそれぞれに配りながら言った。
「好きなの何でもいいぞ。俺はレモンティーさえあればいいけど、遠慮するなよ」
「ウザっ」
メニューを見ている妃美香以外の三人が同時に言い放った。
「似合わないし」
アマネのダメ押しに傷ついたように、石倉は大げさに首を横に振ってからガクッと肩を落とす。
「嗚呼、イヤダイヤダ、固定観念に縛られた考え。なんだよ、オジサンがレモンティーじゃあ、いかんかね。っていうか、まだアラサーだっていうのに」
「アラサーはおじさんです」
最年少のリンが珍しく愛嬌を消して毅然と答えた。
「なんだよ、お前まで。こういう時にヒミの崇高さが身に染みるぜ」
「すみません、マスター」
スッと手を伸ばしてマスターを呼ぶ姫様にとっては存在さえも認められていないことを悟った石倉は、背もたれにふんぞり返って拗ねるしかなかった。
「どうせ、おじさんの気持ちなんかお前らには・・・・」
やって来たマスターに妃美香が尋ねる。
「このホットケーキは昔ながらのよくあるタイプですか? 」
「そうなんだよね。今流行りのふわふわのパンケーキではないんだよな。しかも、若い人に言わせると、少し硬いらしい、ハハハ」
「そうですか」
あからさまに絶望した妃美香の姿にマスターは慌てた。
「ハ、ハハ、ハ・・・・。ごめんね、ふわふわが好きなのかい」
妃美香はマスターの心遣いに申し訳なく思いながらも答えた。
「ふわりとしながらもスッと引力でしっとり包むような」
「難しいな。昭和のじいさんだからな」
「失礼なことを言ってしまってごめんなさい」
少女は我に返って下を向いて黙った。
「いいんだよ。気にしないでおくれ。でも、そういう具体的な思いを込めたこだわりがあるってことは、そういう奇跡のようなホットケーキを食べたことがあるのかい」
「はい。一度、ガキんちょの頃の記憶に。
ずっと、探しているんですけど、二度と味わうことは出来てません。
失礼な態度をとってしまってごめんなさい。
マスターのホットケーキをセットでお願いします」
「ありがとうね。他の皆さんはどういたしましょうか。時間は過ぎたけど、ランチセット出来るけど」
マリアはランチメニューを見てメンバーに聞く。
「どうする?
今日はナポリタンだって。それにミニパフェかコーヒーのお替り自由のどちらかだって。私はミニパフェのランチにするけど」
アマネ、リンも頷いた。
「では、ランチセットのパフェを三つとホットケーキセットでいいですかね」
マスターは注文を確認しカウンターに向かう途中、何かを閃いたようで声を漏らした。
「あ、そうだ。佐藤さんちょっといいかな」
カウンター内で洗いモノをしていた少女が顔を上げた。
「は、はい? 」
マスターが話している最中に一度、手を広げ断るようなしぐさをしたが、一息ついて深呼吸をすると、、何か覚悟を決めたのように、当人は無意識であったろうが凛々しい表情をして、【メイプル・ビーズ】にまで聞こえる声で言った。
「分かりました。作らせて頂きます」
ヒミは少女の声に誘われて視線を向けると、向きを変えてフット巻きあがったボブの髪の細い首筋とTシャツの背中のデザインが一瞬見えた。
「あ、あれ、うちらのツアー・Tシャツだ」
妃美香が思わず発した言葉に他のメンバーは興味を惹かれ、一斉に立ち上がり視線を向けたが、既に中に消えてしまっていた。
マリアが石倉マネージャーに聞いた。
「石倉さんが布教してくれたんですか? 」
「否、知らんけど。後で確かめてみるよ」
「あの子が嫌じゃなければサインしてあげたいんだけど」
妃美香の提案に残りのメンバーも頷いた。
「マジマジ?
偶然にグッズを身に着けている人を見るのって嬉しすぎ。わーいわーい」
リンが興奮してうるさくなり始めたので、妃美香は手を握って優しく座るようにうながした。
「落ち着けって。迷惑になっちゃ意味がない」
「そうだね、分かったよ。そうだ落ち着く為にさっきの続き、ヒミちゃんが沼っている『ノベンバー・ソウル・ランド』について話してよ」
ニヤッと笑った妃美香はいつにない前のめりの早口でまくしたて始める。
「通称『NSL』と言うんだ。でね、仮想世界が舞台のオープンワールドゲームも備わっているメタバースプラットフォームなんだけどこれまで存在しているようなものとはレベチでもっと懐が深いというか直接脳の意識態が仮想世界を楽しむ世界線を逸脱して現実世界とクロスオーバーしながら人類の進化にチャレンジしていてこの世界の主催のKZは魂をサイバーの・・・・」
「ひ、ひ、ヒミちゃん、圧が強いわ。もっとゆっくり、ちゃんと息継ぎしなさい。えっと、ちょっと待ってその前にオープンワールド? メタバ? 分かんないわ、私には」
「リーダーは最年長だから厳しいな」
少しむっとしてアマネの方をキッと睨む。
「あなたは詳しそうね。あなたの口から説明をしてちょうだい。ヒミちゃんは黙ってて」
「いやいや、知っているけどね、アタイは口下手で無口なキャラだから時間を無駄にしちゃうので申し訳ない。な、ヒミ先生」
最年少のリンはいつもの茶番のパターンになることを制止する為に立ち上がる。
「アマネちゃん、いい加減におふざけは止めて。あ、ヒミちゃんは飽きてよそ見しないで、レクチャーを続けてね」
苦笑いが少し残った微笑みを返しながらヒミは愛弟子の指示に素直に従うのであった。
「リン様の仰せの通りに。
それでだね、プレイヤーが自由な意思で動き回ってその世界を体験することで、仮想現実の境が消えて、新たなリアルに生きていく世界になりうるんだよ。ゲームという枠組みを無視して特に極端なミッションを成し遂げなくてもその世界にいる事実だけで何気ない影響が生まれ自らの使命を見つけていく。
これからはもっと一般化すると思うんだよ。仮想世界だとしてもオンラインゲームでは多くの人たちとコミュニケーションによる快感的体験を共有できていくわけだからね。仮想ゆえにより正直な興奮を絡ませていける。だからもっと主流になるんじゃないかな。マリアだって楽しめるシンプルな愛の世界だよ」
「息継ぎして。聞いてるこっちが苦しくなるから」
「ごめん、ゆっくり話す」
「大丈夫よ。でも、オンラインゲームって、サバイバルゲームとかバトルゲームとかじゃないの? ゲームでも殺すのはちょっと」
「確かに『NSL』にもそういうエリアもあるけどね。とにかくそれだけではないんだって。マリアも楽しめるような、人生ゲーム的なものやスポーツゲームも当然デフォルトで装備されているし、独自の株式システムをもとにしたビジネスプラットフォームがあって、現実の社会とすでにリンクしているんだって。
だから、ミュージックビジネス、映画産業、アパレル、ウチらが興味ある分野の未体験の世界が広がっているんだ。アイドル育成ゲームだってすごいみたいだぞ。ウチはリアルでやっているからちょっとしんどい気がして見ないふりしてるけどさ。コアなヲタクたちの理想を追求して進化しているからな。
まあ、リンは好きだと思うぞ、ウチは」
「大好き。やりたいなあ、ヒミちゃんに教わる。あ、来たよ」
気が付くとマスターがランチセット3人前を一度に運んできた。