イエスタデイ・ワンス・モア

文字数 3,907文字

 全てを包み込むような、暖かい曲だった。父が教えてくれた、街から流れてきたあの曲を思い出す。雪が降り始めた頃、流れてきたあの旋律。

 2015年12月20日、行きつけの本屋に何気なく立ち寄った私は、そこで1冊の本を手に取った。とある映画の原作小説のようで、中古にしては状態が良い。ページをパラパラとめくり、文章を所々読んでみる。破れたページも特に見当たらず、痛んでもいない。
 ふと、最初のページに2枚の写真が挟まっていることに気がついた。1枚は'98 と記された、青いワンピースを着た女性の写真で、もうひとつは'00と記された、長髪の男性が写った写真だった。手に取って、私は写真をじっくりと見る。この人は一体どこで、どんなときに撮影されたんだろう。どんな人だったんだろうか。 様々な疑問が浮かんでくる。
 別のページには電話番号が書かれた付箋が貼ってあり、私はそこから色々なことを連想した。名前も知らない人の人生が、そこに垣間見えた。
 私はその日、すぐにその本を購入して家に持ち帰った。感じたことのない不思議な感情が湧き立った。そして、その電話番号に電話してみたいと思った。この写真に写る人の番号かもしれないし、全く違う人の番号かもしれない。どちらにせよ、誰かが大切な人に向けて記したのではないかと予想した。
 この写真は、ここに写る本人か、この写真の2人をよく知る人のもとに返す必要があるに違いない。そう考えた私は次の日、付箋に書かれた番号に電話をかけてみた。すると、「もしもし?」と年老いた女性の声が聞こえた。
「すみません・・突然で申しわけないんですが、私、本屋で買った本の間に写真を見つけて・・その写真と一緒に電話番号が挟まれていて、そこに電話してみたんです」
「はあ・・」
 緊張のあまり、私は思わず早口になる。電話の向こうの人物に、私はハッキリと言った。「写真をお届けしたいなと思って」
 電話の向こうではしばらくの沈黙があった。そして、ようやく聞こえてきた声が「何かの間違いなのでは?」という一言だった。私はもう一度慌てて説明した。
「確かにこの電話番号なんです。もしかしたら、おたくが写真の人に関係があるんじゃないかって思って」
「人違いだったら困りますし、いきなりそんなこと言われても」
「青いワンピースを着た茶髪の女性と、ロングヘアーで髭の男性が写ってるんです」
 私がそう言うと、またしばらくの沈黙があった。何かを考えているようで、私もその間は何も言葉を発さなかった。そしてまた声が聞こえた。
「もしかしたら・・そんな」
「実際に見てみたら分かるかもしれないです」相手に心当たりがあるということなのか、私はすぐさま言った。
 電話口の人物は4日後なら空いているので、そのときに良かったら見せに来てほしいと言った。私はすぐに了解し、住所を聞いた。私は一体何をしているのだろうと、どこかで自分の行動に疑問を抱いていた。しかし、何かに突き動かされいるかのように、4日後の私はその場所に向かっていた。
 電車に乗って、遠くのその街へ向かう途中も、その写真の人物について思いを巡らせていた。私の家族が写った写真も、こうして誰にも気付かれない場所にあったりするのではないだろうか。
 私は小さいときに母親が失踪し、たったひとりの兄は去年、事故で亡くなった。それ以来、私の周りからどんどん人がいなくなっていくような感覚になっていた。
私の周りにいる人は、今に煙のように姿を消してしまう。そう考えるだけで、まるで私の魂まで消えてしまいそうなほどだった。残された父と私は、この後の人生をどう歩んでいけばいいのだろうか。私はあのとき、毎日でもそのことを考えていた。
 窓の外には曇った空と閑散とした街があり、早いスピードで通り過ぎていく。数えきれないほどの人の中で、私だけが狭くて暗い部屋に閉じこもっているように思えた。私以外の大勢が光のように輝いていて、私だけが対照的な影の存在なんだな、と。
 電車を降りて街に出た。郊外を抜けて一本道を歩いていると、気がつくと田舎町に来ていた。物静かな場所で、高い建物が無いため空が広く感じる。私は道を歩いていた人に家の場所を訪ねてみることにした。
「その家なら、ここの角を抜けて突き当たりだよ」
 狭い路地裏のような道を辿って行くらしい。私はお礼をして、言われた通りに進んでみる。するとそこには、赤い瓦屋根の古びた一軒家があった。
 広い庭先には年老いた白髪の女性が花の手入れをしていた。私は「すみません」と声をかけてみる。
「なんなんだい?」
 不機嫌そうに彼女は言った。私は怖気付いてしまったが、勇気を出して言った。
「写真をお届けしに来たんですが・・電話を受けてくださった方ですか」
「ああ? なんか妹がそんな話をしてたね。私には関係のないことよ」
 ますます不機嫌な面持ちで私を見る。不愉快に思っているのか、どっちにしても、電話に出たのはこの人の妹さんのようだった。私に帰ってほしい、そういった雰囲気だった。
「たまたま見つけた写真と一緒にここの電話番号があったんです。何かの偶然なんじゃないかって思って、一目だけでも」
「結構よ。そんな昔の写真なんか」
「でも・・」
 嫌がる彼女だったが、私はカバンから写真を取り出して見せた。彼女が写真を受け取ったと同時に、「もしかして」と言って、あの電話で聞いた声が聞こえてきた。黒髪で、痩せた女性が姿を現した。
「来てくれたのね」
 彼女はそう言って写真を受け取った女性に歩み寄り、彼女が手に持った写真に目を落とした。すると、驚いたように口元に手を当てた。その瞬間、彼女は涙を流した。
「あの子じゃない! まだ生きてた頃の・・」
 彼女が涙ながらにそう言うと、写真を持った白髪の女性も涙を流した。そして、家の軒先と長髪の男性が写る写真を見比べて言った。
「ほら、ここ。あのとき、この場所で撮ったのよ。まだアキちゃんといた頃・・2人でここに座ってたんだよ」
 2人が泣き崩れる様子を見て、私の目にも涙が浮かんだ。
「もう一生会えないと思ってた。写真が嫌いだって言ってたのに・・」黒髪の女性は涙を拭きながらそう言った。写真を持った白髪の女性も同じように涙を流して、私に言った。
「私の息子なの。ありがとう・・ありがとう・・」
 彼女は私の服の袖を掴む。私は溢れる涙を抑えることができなかった。

 2人は短い間だったが、私を家に招いて話をしてくれた。白髪の女性のひとり息子の写真であり、23歳で事故死したのだという。もうひとりの青いワンピースを着た女性は彼の恋人であり、数年前に病気で亡くなったのだと教えてくれた。本と音楽が好きな子供だったと優しげな表情で語るその姿に、私はもう一度涙が溢れた。
 彼の写る写真は子供時代のものがほとんどで、この写真を見たことで、当時の記憶を全て思い出したようだった。私がそのあとに見せた付箋に書かれた文字は、確かに息子の字だと気がついたようだった。

 私はその家を去り、田舎道を抜けて人通りの多い繁華街まで向かった。自分でもなぜ駅と反対の方向に行ったのか分からなかった。ただ、気がつくとその街にいた。
 街はクリスマスの装飾で溢れており、所々に大きなプレゼントを抱えた子供の姿があった。ビラが地面に点々と散らばっており、デパートのセールについて書かれていた。ああ、私が気付かないうちに季節が変わっていたんだな、と思わず目を見張る。
 凍てつくような寒さのなか、私はコートのポケットに手を入れて街を歩いた。私が今日経験したことは、私にとって一体なんだったんだろうと考える。だが、確実に私の中の何かが揺れ動いていた。郊外の風景だって、さっきとはまるで違って見えた。視界が開けたような、目の前の曇りが消え去ったかのような。
 私の横に一台の車が停まり、クラクションが鳴る。私は咄嗟にその方向を見ると、そこには父がいた。
「お父さん! なんでここに?」私は驚いて聞いた。父も私がここにいるとは思ってなかったらしく、驚いたような顔をしていた。
「偶然ここを通りかかったんだ。本当に、偶然だよ」
「お父さん・・」
 そこには、私が幼い頃から見てきた古い車と、優しい父の姿があった。あのときから何も変わっていない、あのときのままだった。
父は親指で車の中を指した。
「乗って帰るだろ?」
「うん!」 私は明るく声を出した。
 後部座席に乗り込む。昔から変わらない、私の定位置だった。隣にいつも座っていた兄を思い出す。いなくなってしまった、あの兄の笑顔を。
 家族は私と父の2人だけになってしまったが、この先も歩んでいけそうな気がした。
私は冷たくなった手に息を吹きかけ、「なんか食べていこうよ」と言った。父は笑顔で「そうだな」と言ってくれた。
「冷えてるだろ? コーヒーでも買ってくるよ」
「お願い」
 父は車から出て、姿が見えなくなった。そして、そのままどこか遠くへ行ってしまいそうな気がした。行かないで。心の奥の声がそう呼びかける。
 外は雪が降り出していた。私は車の窓を開ける。雪が窓から吹き込んできて、私の服についたあと、そのままゆっくりと姿を消した。
 そのとき、街中のラジオからある音楽が聞こえてきた。いつかどこかで聞こえてきた、全てを包み込むような、暖かな曲。あの日もこうして、車の中で雪を見ていただろうか。
 やがて、両手に缶コーヒーを持って、笑顔で父が戻って来るのが分かった。私も思わず笑みがこぼれた。

 とある真冬のお話  YESTERDAY ONCE MORE
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