第2話 キツネの災難

文字数 2,277文字

 キツネがずる賢い動物だと言われ始めたのは、いつ頃なのだろうか。
 イソップ寓話や昔話はもちろんのこと、先日読んだロシアの作家クルイロフの寓話集でも、キツネがずる賢い動物の代名詞的な存在として、頻繁に登場しては悪事のかぎりを尽くしている。
 同様にオオカミも怖い存在として登場するが、キツネほど悪い印象には描かれていない。
 なぜならば獲物を得るために、キツネは口滑らかにオオカミさえも騙して、奪い取ってしまうからである。

 ロシア民話でキツネとオオカミが登場するものに、こんな話がある。
冬の食べ物が乏しい時期に、キツネがたくさん魚を抱えて、こちらへとやって来る。それを見た腹ペコのオオカミが「どうやって、それだけの魚を手に入れたんだい?」と聞くと、「凍った湖に穴を開けて、そこに尻尾を垂らすだけで、尻尾を餌と間違えた魚が、いっぱい喰いついてくる。それで時を見計らって尻尾を上げればいいことさ」と説明する。
 オオカミはキツネに感謝して、言われた通りに、氷の張った湖に穴を開けて尻尾を垂らし、魚がかかるのを辛抱強く待つ。冬の寒さで体を震わせながらも、魚はかからず、時間ばかりが経つばかり。
 寒さに耐えきれなくなったオオカミは、我慢できずに尻尾を上げようとするが、再び張った氷で固められしまい、うんともすんとも動かない。
 これはたいへんと、思いっきり引き抜こうとしたら、尻尾が根元から切れてしまった。

 この話はお人好しのオオカミと度し難い悪戯好きキツネの性格が、鮮やかに対比されている。寧ろ、この話のキツネはずる賢いと言うより、性悪な奴と言えるが。

 しかし何故キツネはずる賢くて、嫌味な生き物にされたのか。
 キツネやオオカミを人間が忌み嫌われる原因は、家畜を襲う動物ということに尽きるだろう。
 それならば家畜を襲う方法に、キツネのずる賢さを想起させる習性があるのではないかと調べてみると、オオカミとキツネの大きな違いは、集団で狩りをするのか、単独行動をとるのかである。
 キツネは夜行性なので、朝起きたら鶏小屋に行くと、大きな穴が掘られ、小屋のなかは鶏の羽根が散乱し、親鳥も卵も消えている惨事を見て、キツネの仕業だと農家は地団太を踏むしかない。人間が寝静まったときを見計らって、鶏小屋を襲うとは何と用意周到な動物なんだと。
 しかしずる賢いとする根拠は、それだけでは少し弱い。

 ただ面白いことに、東洋ではキツネは妖術を使うる動物として、古くから畏れ祀られてきた経緯がある。キツネの姿をした狛犬や九尾のキツネ伝説などが、主な例になるだろうか。東洋のキツネは妖艶な人間の姿に変えて (大抵が女性の姿が多いが)、人々を誘惑して異次元の世界へと迷い込ませる。
それはずる賢いというよりは、人間の考えることなどすべて御見通しとばかりに誘惑する、人間よりも精神的に高みにいる存在である。
ずる賢いなどという庶民的な言葉を使うなんて、誠に畏れ多い。

 ちなみにジミ・ヘンドリックスが「フォクシー・レディ」という曲で、キツネのように魅力的な女の虜になっている男の心情を歌っているが、これは正に東洋的な発想。
 妖艶な女に惑わされていく男は、キツネの伝説と同じである。
 ジミ・ヘンドリックスが何にインスピレーションを受けて、この曲を書いたのかはわからない。しかしこの女と一緒に過ごせたらと願望する男の心情を、激しいギターソロで表現するのは、天才ギターリストと東洋伝説の邂逅である。
 少し言い過ぎたかもしれないが、豊潤なイメージを掻き立てられるのはまちがいない。

 それならば、ほとんどのキツネずる賢い説に関する記述、がイソップ寓話にあると書いてあるとおり、紀元前のギリシャが発祥になるのだろうか。たぶん有名な「すっぱい葡萄」が、キツネずる賢い説の原点になるのではと推測する。
 ただ高いところに実っている葡萄が食べられなくて、きっとあの葡萄は酸っぱいにちがいないと、捨て台詞を吐く姿にはずる賢さは微塵もない。
 猿蟹合戦のサルのほうが、ずる賢さでは上である。

 さて投了か。
 ただし少し興味深い記述があった。
 イソップ寓話の現代英語訳が出版された十六世紀頃は、イギリスでキツネ狩りが始まったのと同時期。大勢の犬を野に放ち、指示をしながら包囲し、キツネの逃げ道を絶って追い詰めていくという娯楽である。
 穴倉を掘って棲みかとするキツネは、穴へと逃げ込もうとするが、巣穴を塞いだり、前に犬を立たせたりと、退路を断たれたキツネは、最後は犬に食いちぎられて無残な一生を遂げる。今の感覚からいえば、残忍極まりない狩猟だが、ふとキツネ狩りに、ずる賢い説のルーツが隠されているのでは思ったのである。 

 イギリスの貴族がいろいろと策を尽くしてキツネを追い込むものの、必ずしも狩りが成功するわけでもなく、むしろほとんどが寸前のところでキツネに逃げられてしまったのではないか。
 それも東洋のキツネのように人智では思いつかない方法で、嘲り笑うかのように(もちろんキツネにすれば命を狙われているので必死なのだが)、見失った獲物を探している貴族や犬の様子を丘のうえから見つめる姿を発見して、どうやってあそこに移動したのだと、臍を噛んで、ずる賢い奴めと、中年太り貴族が「酸っぱい葡萄」のように苦々しく捨て台詞を吐いたのではないかと思う。

 キツネはずる賢い説のルーツは、キツネ狩りで獲物を逃したイギリス貴族の言葉からきている。
ただこの説には何ら学術的な根拠はない。私の妄想からの所産である。
 都市伝説にもならないことをお忘れなく。
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