あとがきのようなもの

文字数 2,669文字


【IMAKIRIエッセイ】『月と匙』のタイトル画像にしたケーキと、もう食べられない、大好きだったケーキ屋さんの話。

『月と匙』は、先にNOVEL DAYSで公開していた(いまもしている)、オリジナルの短篇小説である。NOVEL DAYSは小説投稿サイトのひとつで、もとはトークメーカーという名称だったのが、運営元が講談社に変わったのを機に、現在の形にリニューアルされた。
 私はトークメーカーだった時代から、複数の小説を公開している。

 最近、新たにnoteにページを作ったのは、エッセイを公開するためだった。けれども始めてみたら、写真と一緒に文章を掲載できるデザインや雰囲気が、短篇の『月と匙』には合っている気がして、こちらでも公開することにした。
 結果、NOVEL DAYSとは異なる層の人たちが読んでくださったと思うし、幾人かからは「♡(スキ)」をいただき、うれしかった。ありがとうございます。

 物語にケーキは出てこないのに、どうして各話のタイトル画像がケーキの写真なのだろうと、不思議に思った人もいるかもしれない。
 写真のケーキは、わが家の最寄り駅の近くにある、小さなケーキ屋さんの手作りである。私たち夫婦は再婚同士で、夫が50代、私が40代のときに入籍し、この地へ越してきた。
 私に子は授からず、夫は持病のために仕事をセミリタイアしているので、フリーランスである私の出版の仕事で生活を立てている。家計にゆとりはないのだが、クリスマスと互いの誕生日には、ささやかな贅沢として、この店にケーキを注文した。それを食べるのが、私たちの楽しみだった。

 この店のケーキは、凝った装飾はないけれど、フランスの伝統的な手法を学んだ店主が、昔ながらのやり方で、いつも一人で手作りしており、良心的な価格の上に、しっかりとおいしかった。
 いちばん小さなサイズのホールケーキなら、年に3度の大切な日に、私たちでも買うことができた。そして、払った金額をはるかに超える満足と、幸せを与えてくれた。


 私は仕事で、有名店や人気店のスイーツを多く取材してきている。その私から見ても、この店のケーキは絶品だった。そんな、知られざる名店が近所にあることが、ひそかに誇らしくもあった。
 もちろん、店主には何度も直接、「ものすごくおいしい」と感動を伝えた。その度に、白髪交じりの温厚な彼は、はにかんだように笑みを浮かべ、いつもどおりの朴訥な物言いで、接客してくれたものだった。私たち夫婦は、店主の人柄と、彼の作るケーキが大好きだった。

 生菓子だけでなく、焼き菓子やゼリー、チョコレートもおいしくて、取材のときの手土産や、デザイン事務所への差し入れにと、機会があれば人にも贈った。すると、必ずといっていいほど相手から、味への賛辞をいただくのである。

 またいつでも食べられると思っていた。近所だし、店主は初老といっても引退するような歳ではなかったから、当分は閉店しないだろう、とも。
 しかし、まったく予期せぬ形でそのときは突然やってきた。
 昨年の春である。
 私たち夫婦に、何だったかちょっとだけいいことがあって、たまにはあの店のショートケーキでお祝いしよう(といっても1個300円前後と手ごろ)という話になり、訪れたところ、定休日でもないのにシャッターが閉まっていた。
 気になって、その後もたまに前を通ってみたのだが、シャッターが開いている日はなく、店先に貼紙もなかった。「どうしたのだろう」と思いながら数カ月が過ぎて、あるとき、取材先への手土産が必要になり電話をしてみたら、「電話機が接続されていません」というメッセージが……。

 真相は、ほどなくしてわかった。商店街の知人に聞いたのである。
 店主はその年、まだ寒い季節に店内で倒れ、3日経って発見された。幸い命はあったものの、後遺症で手足を思うように動かせず、いまは施設で過ごしている。回復の見込みは遠く、意思の疎通もままならない、という話だった。

 その知人も店主のケーキの大ファンで、私たちは驚きと、悲しみと、店主への心配と、もうあのケーキを食べられないという失望を共有し、慰め合い、励まし合った。

 私はクリスチャンだから、こういうとき、なるべく過去志向にならないよう、未来志向に切り替えるよう、気をつける。すでに起こってしまった物事について、「もし、あのときこうしていたら」と、誰かが自分を責めたり、他人を責めたりしても、いいことはないだろう。たとえば、もう少し早く様子を見に行っていたら、とか……。
 起こってしまった物事についての悔恨は、半分でも神様に預けて、自分自身はいまできる最善のことをするために、勇気とエネルギーを傾けられるようにする。というか、そうできるよう、努める。実際は、人間は弱いものだから、胸の重さや、締めつけられるような痛みを、なかなか手離せるものではないけれど。

 写真フォルダーを発掘してみたら、クリスマスケーキや誕生日のケーキの写真がいくつか出てきた。あの店の、店主の仕事を、より多くの人の目に見える形で残しておきたい。そう考えて、『月と匙』のタイトル画像に使ってみた。
『月と匙』は、それぞれに悩みを抱えたふたりが、相手のことを想って行動する、優しい関係を描きたかった作品である。だから、店主のケーキの柔和なイメージに、マッチするのではないかとも思った。

 昨年のクリスマスは、他店のもので穴埋めをする気になれなくて、結局、ケーキなしで過ごした。私は欲張りな人間だから、やがて店主(私と夫はおじさんと呼んでいる)が元気になって、再びケーキを作ってくれる日を願わずにはいられない。
 でも、まずは――。
 この広い世界で、あの店のケーキに出合え、そのおいしさを何度も味わうことができ、こうして思い出すこともでき、夫や知人と語り合えるということを、感謝したい。
 どうかおじさんの日々が、安らかでありますように。

2019年春 真帆沁
※先にnoteで公開していたエッセイを転載しました。
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