第1話

文字数 4,070文字

 ランチの時間が終了した頃のことだ。僕は、とあるお客さんの対応に悩んでいた。
「……永瀬くん、どうしたの?」
 見かねて声をかけてくれたのは、緩く巻かれた長い髪を無造作に束ねた眼鏡の女性だった。彼女は、店の常連の珠希さんだ。この近くに住んでいて、店長夫妻とも顔見知りらしい。大学生の僕よりも少し年上の社会人だ。
「じつはあの子、迷子らしくて」
 窓側の客席にいたのは、小学校三~四年生くらいの女の子だ。
「母親と喧嘩して、置いてかれたみたいなんです」
「ああ、さっきの親子喧嘩の」
 ほんの少し前に来店していた親子連れが店内で激しく言い争っているのを、珠希さんも目撃していたようだ。
「どこかで親が見てるんじゃない?」
「そう思って店の周りを探したんですけど、見当たらなくて」
 ふたりで内緒話をしていたつもりが、急にエプロンの裾を掴まれる。
「迷子じゃないよ。私ひとりでも兼六園まで行けるから、先に行ってって言ったの」
 いつの間にか女の子が隣に来て、会話の輪に入っていた。
「兼六園まで? ひとりで行けるの?」
「大丈夫だよ。私、もう四年生だから」
「ひとりじゃ危ないから。この子が携帯を持ってたから、店長が両親に連絡を取ってるんですけど……」
 女の子が、携帯をこちらへ差し出す。 
「写真が送られてきた」
 どうやら、メールが届いたようだ。
『お姉ちゃんへ、今ここにいるよ。早く来てね』
 メッセージには、写真が添付されていた。二~三歳くらいの小さな女の子が、椅子に座ってピースしている。たぶん、休憩館だ。
「ここへは行ったことある?」
「あるけど……」
 しゃがみ込んだ珠希さんが顔を覗き込むと、女の子は不安げな表情を浮かべた。
「私が一緒について行こうか」
「いいの?」
「うん、いいよ。ちょっと待ってて」
 立ち上がった珠希さんは、店の奥から出て来た店長と話をする。ランチが終わっても、じきにアフタヌーンティのお客さんが来店するだろう。店を離れるわけにいかない店長は、珠希さんに女の子を任せるつもりなのか、ぺこぺこ頭を下げていた。
「私がこの子を両親のところへ連れて行くことになったから、永瀬くんは心配しないで」
 こちらへ戻って来た珠希さんは、レジで会計を済ませると珠希さんは店を後にする。
「待って! 僕も今から休憩なんで、一緒に行きます!」
 店の奥にいた店長に目くばせすると、「ついていけ!」という指示が飛んできた。僕は、脱いだエプロンをレジカウンターに放り出し、珠希さんを追う。

 バイト先の町家カフェがあるひがし茶屋街は、金沢で一番大きな茶屋街だ。
 石畳の道の両側には、昔ながらのお茶屋や町家が立ち並んでいる。割付の細い出格子は、金沢の町家の特徴である木虫籠。古き良き時代にタイムスリップしたような、そんな気分を味わえる。
「いい天気でよかったね」
「そうですね」
 四月最初の休日だ。朝晩はまだ少し肌寒いくらいだったが、晴れてさえいれば昼間は気温も上がり、まち歩きをするには心地よいくらいだ。桜の開花時期もあり、休日はどこも人でいっぱいだった。
 細い路地を、人混みをすり抜けていく女の子を見失わないように追いかける。
 江戸時代に建てられた町家を復元した休憩館は、ひがし茶屋街の入り口近くにある。待ち合わせ場所としては丁度いい場所だったが、そこに両親の姿はなかった。
「ご両親も妹さんもいないみたいだね」
「……ですね」
 僕と珠希さんが館内を覗き込んでいると、女の子が携帯を見せてくる。
「またメールが送られてきたよ」
「そうなの? どれどれ?」
 両親は先に行ってしまったのか。写真には、浅野川と橋が写っていた。
「浅野川大橋だ」
「それなら、通りへ出たところですね」
 話を聞いていた女の子が真っ先に駆け出す。僕と珠希さんも、休憩館を出て先を急ぐ。

 浅野川交番の交差点を左へ曲がり、城北大通りへ出た。僕等は、行く手に見える浅野川大橋を目指す。美しい3連のアーチが大正ロマンの雰囲気を醸す浅野川大橋は、国の登録有形文化財だ。金沢を代表する風景のひとつだ。
「桜、すごいね! 綺麗ー!」
「今日あたり、満開じゃないですか」
 川沿いの桜の木々はたくさんの花をつけ、重そうに枝を垂らしている。風が吹くたびに花弁が舞って、橋の方まで飛んできた。
「ここで写真を撮ったと思うんだけど、いないね」
 橋の途中で立ち止まった珠希さんが、カメラで写真を撮るような仕草をする。振り向いた僕は、写真の中の子と同じポーズをしてみせた。
「こんな感じですか?」
「もうちょっと右! それと、下!」
「……下?」
 僕と珠希さんがじゃれ合っていると、女の子は呆れたような顔をして携帯をこちらへ差し出す。
「写真だよ。今度はどこ?」
 またしても、両親は先に行ってしまったのか。次の場所への手がかりとして、写真が送られてきていた。
 携帯を受け取って写真を見ていた珠希さんが、ぽつりと言う。
「なんか、お銀と小金みたい」
 それを聞いた女の子は、きょとんとする。
「何それ?」
「民話だよ」
 ああ、珠希さんお得意の民話の語りだ。
「お銀と小金は異母姉妹だけど、とても仲良しなの。お銀がお姉ちゃんで、小金が妹ね」
 それは、古くから伝わる金沢の民話だ。
「お母さんは、自分の子供だった小金は大切にしてたけど、血の繋がらないお銀のことは嫌ってて。ある日、お銀を山に置き去りにしちゃうの。だけどね、お銀のことが大好きな小金がお銀を助けようと、小金が道中に花を置いていくの。見つけた花を辿って歩いたお銀は、家に帰ることができたって話だよ」
 珠希さんの話を聞いた途端に、女の子は頬を膨らませる。
「お銀は嫌いとか、お母さんサイテー」
 ひったくるように携帯を手にした女の子は、さっさと先を歩いて行ってしまった。
 浅野川大橋を渡って右手に見えるのは、主計町茶屋街だ。主計町の名称は、加賀藩士・富田主計が屋敷を構えていたことに由来しているという。
「写真の坂は、どっちですか?」
「たぶん、あかり坂のほうじゃないかな」
 細い裏路地を行くとすぐ左手に曲がったところにあるのが、あかり坂。さらに二軒先の角を左に曲がったところにあるのが、暗がり坂だ。
 僕等は、あかり坂を通った。
「あれ? あかり坂は、誰が名前を付けたんでした?」
「作家の、五木寛之氏だね」
 金沢をゆかりとする作家は多く、この地を舞台にした作品もある。
『あかり坂』と書かれた標柱を横目に、細く急な階段を上っていく。その先で写真を撮ったはずだが、女の子の両親は見当たらなかった。

 僕等は、路地裏を抜けて百万石通りへ出る。
「さてと。どっちへ行きますか?」
 金沢文芸館の前で立ち止まってきょろきょろしていると、女の子の携帯に再びメールが送られてきた。
「……兼六園だね」
 写真は、兼六園下の交差点で撮られたものだ。ここから徒歩で十分か……子供連れなら十五分ほどかかるだろう。
「もう少しで目的地だね」
 車通りの激しい道だ。珠希さんは、女の子の手を引いて歩き出す。その後を、僕はゆっくりついて歩く。
 不意に、女の子が言う。
「さっきの。お銀は、可哀想だね」
 先程の民話が気になっていたのだろう。
「お銀はその後、どうなっちゃうの?」
 女の子の問いに、珠希さんは何の気なしに答える。
「お母さんに殺されちゃうんだよ」
「……えっ?」
 女の子だけでなく、僕もどきりとした。
「嵐の日に、河原の穴に落とされるの。最後は、追いかけて来た小金も一緒に落ちて、それで、ふたりとも亡くなるの」
 お銀と小金の物語は、悲しい結末を迎えるのだった。
 そんな民話の語りの最後に、珠希さんはこう付け足す。
「でも、あなたはお銀じゃない」
 きっと、女の子が自分とお銀とを重ねて話を聞いていたからだろう。
「お母さんは、あなたのことを心配しているよ。だから、早く会いに行こう」
 そう言って、女の子の手を強く握りしめた。

 兼六園下の交差点から坂を上る途中、珠希さんの女の子が立ち止まった。坂の上で両親と妹が待っていたのだろう。心配そうな顔をした母親が、スマホを握りしめていた。
 躊躇って足踏みをする女の子の手を放し、珠希さんがそっと押し出す。
「大丈夫。自分でもわかってるでしょ?」
 女の子は、振り向いて僕と珠希さんにお礼を言うと、両親と妹のもとへ駆けて行った。
 それを見届けてほっと胸を撫で下ろした僕は、珠希さんに問いかける。
「わかってるって、何がですか?」
「行き先を教えてたのが誰だったかってこと」
「あれ? 妹じゃないんですか?」
 お銀と小金の話をしていたから、てっきり妹が居場所を伝えているのだと思っていた。けれど、スマホを握りしめていたのは母親だった。
「あんな小さな女の子が、スマホを使ってメールなんて送れると思う?」
「じゃあ、あのメールは、母親が成りすまして送ってただけ?」
「そういうこと」
 こちらに気づいた両親が僕等に頭を下げる。僕等も頭を下げた後、大きく手を振る女の子と妹に手を振り返した。
「結局、兼六園まで来ちゃいましたね」
「そうだね」
 吹き抜ける強い風に、桜の花弁が舞いあがる。
「せっかくなんで、このまま兼六園を散歩しますか?」
 僕はまだ、もう少しだけ珠希さんとまち歩きをしたいと思った。けれど、
「永瀬くん、バイトは? 休憩時間、とっくに終わってるんじゃない?」
腕時計を見た僕は真っ青だ。
「しまったっ! バイト! 珠希さん、すみません。僕、店に戻らないと」
「いいよ、気にしないで。早く戻って。私から店長さんに電話して、事情は話しておくから」
「ありがとうございます!」
 満開の桜と珠希さんを背に、泣く泣く来た道を戻る。僕は、通りを目指して坂道を駆け下りた。

 まち歩きの続きは、また今度――。

 (了)
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